2009年1月アーカイブ

 ちょっと、ATTAC のメンバーが泊まっているホテルでネットをお借りできたので更新。
 いつものことですが、どうも予定通り行かない。

 ATTAC国際ネットワークの集会の場所と時間が変更されたと言う情報をもらったものの、最終的な時間と場所が分からない。
 調査中ということで、本来出るはずだった「科学とデモクラシー」のほうはちょっとペンディング。

 あと、今回のプログラムはポルトガル語しかない。
 このあと、英語版が発行されるのか、もうなしですませる気なのか??

 その他、速報はtwitterで…。
  http:/twitter.com/skasuga

  • 14:58 今気がついたのですが、GMailでzipファイルが送れるようになった? 前は送れなかったよね?? #
  • 01:42 週末からブラジルです。しかし、いろいろ出納計算してみるとけっこう厳しいな。日本でおとなしくしているべきだったか、という気分にちょっとだけ…。 #
  • 01:48 テスト投稿 (tinyurl.com/7ex9ag) #
  • 01:50 PostToTwitterプラグイン(エントリーのタイトルとパーマリンクのTinyURLをTwitterに投稿します)を設定しました。 #
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 以下の記事を書いてからわずか四年ですよ。
 しかも、調査によっては支持率が8割を超えていたり、「人種差別ってどこの国の話でしたっけ?」状態。
 いかにアメリカが「何でもアリの国」と思っていても、やっぱり驚くよなぁ…

2004-10-15
[Current Affair] もう一つのアメリカ選挙選
○Iraq war takes up much of the Illinois debate

 大統領選挙選の陰でもう一つ面白い選挙戦が戦われている。イリノイ州の上院議員を目指す二人の黒人候補である。一人は先の民主党大会での演説で評判をあげ、一躍全国区のスターになった民主党のバラック・オバマ候補で、イラク戦争をまっこうから批判。今のところ初の黒人大統領にもっとも近い人物のひとりであろう。そしてもう一人は共和党のアラン・キーズ候補。そう、マイケル・ムーアがテレビシリーズ『マイケル・ムーアの恐るべき真実 』で、「レーガン主義の黒人」と表現し、彼の仕掛けた「モッシュピットで大統領候補を選ぼう」で唯一ダイブし、番組公認の候補として前回選挙の台風の目となった人物である(写真は選挙プラカードを掲げるキーズ氏)。…だからなんだってもんでもないが、このテレビシリーズ、『華氏 911』より面白いので是非手に取っていただきたい。
 WSFのブレティンが発行されています。
 [Wsf_bulletin] Ten days to the World Social Forum 2009

 去年AAASの年次総会に参加したことはレポートしましたが、そういえば今年のAAASはシカゴです。
 オバマ新大統領の地盤ということで、非常にタイムリーなのはいいんですが…。

 ABC News Podcast "The Big Chill"によると、

ABC News Podcast "The Big Chill"
 …マイナス40度。
 学術的なイベントに参加すると言うよりは、南極越冬隊に参加というほうが実情に近いような勢いですね。
 働きたい者には等しく機会を与える “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(1)。  はてなブックマークのコメントに「日本で何故出来ない?」というコメントがありましたが、たぶん最大の理由はコレ(↓)だよね。

嫌いなコンビニ店員

 もうちょっと言えば、「ウソか本当か〜ニッポンの労働生産性が低いのはサービス業が悪いから」の以下のくだり。

 2.「お客様は神様です」:顧客に直接接しながらサービス提供が行われるサービス業では、顧客の望みを何でも聞き入れ、何でもサービスに反映することが正しいと考えられている。その結果、サービスラインナップが過度に多様化し、オーバースペックで生産性を下げる結果につながっている。
⇒顧客は本当に神様なのか。顧客リレーションの構築方法が間違っているのではないか。
 お客様が神様であるうちは

  例えば、顧客のリストに「ミルク 1リットル」と書いてあったとしよう。でも、1リットルのミルクは売り切れで、500ミリリットルのミルクしか置いていないかもしれない。その時に、どのような対応が取れるか。500ミリリットルのミルクを2つ買うという手もあるだろうし、お客さんに電話して確認してもいい。いずれにせよ、このスーパーで働いているのはこの種の判断ができる従業員とハンスは言う。
 という判断を、障がい者に担わせるという判断を企業がするのは非常にハードルが高いことは想像に難くない。

 逆に、ヨーロッパへ行くと、普通の店員相手でも「接客」の要求水準は極めて低い。

 フランスなんかじゃ個人商店だと店にはいるときにお客の側から挨拶するのが普通だし、日本にいるときのつもりで忘れたりすると、怪しい人間扱いされたりするし…


関連記事:
 スウェーデン緑の党Per Gahrtonさんと語る会(7月9日)報告
 先日の日記、「ゴアから見るスーパーニッポニカ(ウェブ版)とWikipedia」 で、日本の専門家はWikipediaに消極的だという話をしたばかりですが、こんな話が…。

RNA Biology誌、論文投稿に合わせてWikipediaへの記事作成を義務化

 Journal authors must also post to Wikipedia

 要するに、RNA Biology に論文がアクセプトされたら、同時にWikipediaにも関連記事を書くことを義務化、と。
 日本の学会でもやったらいいんじゃないですかね。

 あと、記事によると、英ウェルカムトラストのサンガー研究所では、Wikipediaと組んでRNAのデータベース化を進めているらしい。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:WikiProject_RNA
 …RNA関係者はWikipediaがお好き?



※こんなニュースも…
 スウェーデン:全ての科学論文のOA化をめざす
   スウェーデンでは、国立図書館と3大学図書館の協力により、国内の高等教育機関が刊行する科学出版物を全て収集(harvest)してオープンアクセスにするポータルサイト “SwePub” が開設準備中である。
 今月末にブラジルはパラ州ベレンで開かれる世界社会フォーラムに行って参ります。
 本日は、ブラジル領事館からヴィザが届きました(ブラジルは観光でもヴィザが必要です)。

 ブラジルのヴィザはなかなかセンスあるデザインですが、注意書き部分も含めると2ページにわたっていて(前回行ったときは注意書きがなかったので1ページだったのだが…)、パスポートが残り少なくなった感じです。
 そろそろ増ページか新しいのを申請するか…。

 あと、郵送で申請したのですが、パスポートにヨドバシカメラのゴールドカードが挟み込みっぱなしだったらしく(笑)、一緒に返送されてきました。
 ブラジル領事館担当者の方、ありがとうございます。
 
 Gigazineの「ロッククライミングができる学生寮」という記事によると、
 オランダのエンスヘデという街にあるTwente大学の学生寮の外壁がロッククライミングの練習場になっているそうです。学生寮は9階建てで高さが約30メートルほどあり、本格的な練習ができるようになっているとのこと。一つの学生寮だけがロッククライミングできるのだと思いきやもう一つ同じような学生寮があるようで、大学自体がロッククライミングを推奨しているように見えます
 …とのことなので、トウェンテ大学に行く機会のある人は是非、ロッククライミングに挑戦を…
 
※トウェンテ大学はアリエ・リップ氏などがおり、STS業界では有名大学なので、私の知り合いのみなさんの誰かが、そのうち行く機会があるんではないかと思ってるんですが…。
 一応、運動などしてみようかと思って、シットアップベンチなど購入してみました。


 安かったので、あまり期待はしていなかったのですが、とりあえず使う分には問題なさそう。
 いつも重いバックパックを持って移動しているせいか、背筋には問題なさそうなのですが、腹筋がかなり厳しいことになっているので、今年の目標は毎日腹筋、ということで…。

 先日、西成ジュニア・サイエンス・カフェ『なにわの野菜が地球を救う』でもしゃべって貰った松平尚也氏のことが毎日新聞(京都版のみ?)「京の人今日の人:持続可能な「食と農」を実践、松平尚也さん」という記事になっていた。

 グローバル化した世界で「食の安全保障」が叫ばれる中、持続可能な生産と消費のあり方を考える。市民運動を続けつつ、4反(約3960平方メートル)の畑で各地の伝統野菜30種を栽培。友人らが始めた左京区の多目的施設「かぜのね」で先月末、自作野菜の試食会を開き、思いを語った。

  会場のかぜのねは先日記事にしました。

 しかし、この記事でも言及されている、農業の厳しさを考えると、昨今の「派遣労働者を農業に」みたいな議論の馬鹿馬鹿しさが解りますね。
 もちろん、農業人口はもう少し多いほうがいいという意見には概ね賛同しますが、そのためには若者を就業させるより先にやることがあるだろう、という…。

 あと、株式会社化して、という話も大いに疑問で、欧米諸国で農業がペイしている国なんて基本的にないと思うんですよね。
 大規模農業が行われているアメリカやフランスでも輸出助成金などで持たせている部分は大きいわけで、まして小さい国で補助金を入れていないところなんておそらく皆無と言っていいでしょう。
 「決定!今年のブリティッシュ・ポップの顔『BBC Sound of 2009』 - ロココの足袋」で知った"Little Boots"が大変良い。



 なお、現在英国版iTunes Storeで一曲(Stuck On Repeat)無料だ。
 (アカウントが必要ですが、英国ストアでも裏技が使えるんじゃないでしょうか…。)

 私は、前にイギリスに行ったとき買ったプリペイド・カードが少し残ってたのですが…。
 今度行ったらまた買わなきゃ。
 オバマ政権の駐日大使に、『ソフト・パワー』のジョセフ・ナイが決定したようですね。また大物が…。

 しかし、ここまでネオコン・シフトを強いてしまった日本(の政治家たち)が、今後オバマ政権の中道左派閣僚たちとどう付き合っていくのか、というのは興味深いところです。
 特に、右派の政治家や評論家に、「ソフト・パワー」という概念はまったくなさそうなので…。

 でも、台湾やらパラオやらで「昔の日本人が自分たちのために努力してくれた」と現地の人が思っている、という逸話は、そういう人たち、大好きなように見えます。
 でも、じゃあ、今アジアやアフリカで「日本が感謝されるような活動ってなんだろう?」という議論はあまりしたがらない。
 不思議といえば不思議です。
 某友人も深く関わっているようであるが、小学館大百科事典(Super Nipponica)がYahoo Japanで検索できるようになった。

 それで、前からちょっと気になったことを確認してみた。
 つまり、ヒッピーの聖地としても有名なインドのゴア州についての記述である。

 http://100.yahoo.co.jp/detail/ゴア(インド)/
 インド南西部の中央政府直轄地区。アラビア海に面し、マハラシュトラ州とカルナータカ州に接する。ゴア島とこれに接する南北104キロメートルの海岸地帯からなり、行政区上、ダマンDaman、ディウDiuとともに直轄地区を構成する。中心地はパナジー。直轄地区全体の面積は3702平方キロメートル、人口134万3998(2001)。

 一読して解ることは、ゴアは87年に直轄領から州に格上げされているが、Super Nipponicaではそれが反映されていないと言うことである。
 では、情報が80年代からアップデートされていないのかというと、なぜか人口は2001年の統計が使われている。

 ネットで情報が収集できるようになってから、エンサイクロペディア・ブリタニカですら販売に苦慮している時代である。
 日本では、ながらく「一軒家を買ったら百科事典と文学全集を本棚に飾る」というのがステータスだった時代があり、いくつかの出版社の主要な資金源だったことがあるが、今や(家が狭いということもあり)これらは斜陽産業である。
 情報をアップデートできないのもいたしかたないと思うのであるが、だったら統計データもそろえておかないと、この項目を見た人は「少なくとも2001年の段階で、ゴアは中央政府直轄地区である」と思うのではないか?
 ※ちなみに何故気になっていたかというと、以前つかっていたDVD版も、やはりここのところの記述が古いままだったからである。


 せっかくなのでWikipediaも見てみる。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴア州
 インドによるゴア併合はソビエト連邦の反対により国連安保理では受け入れられなかったが、多くの国が植民地独立の一つとして支持し、1974年のカーネーション革命を経てポルトガルは公式に主権を放棄した。1987年にパナジを首府とするゴア州が設置された。2001年現在の州の人口は135万人である。


 こちらはもちろん情報がアップデートされている。
 ただ、人口データはなぜか2001年のもので、これはSuper Nipponicaを情報源にしたのではないかと推察される(両方が共通の情報源を使っている可能性はなくもない)。
 ちなみにWikipediaでゴア州の項目がつくられたのは2004年のことのようである。
 英語版の統計情報はもうちょっと新しい。

 一般には、「Wikipediaは数理系の項目では正確なことが多いが、人文・社会系で誤りや偏向が散見されるので、そういう分野では専門化の編纂による事典を使う方がよい」といったようなことも言われたりするが、自体はさらに複雑なようである。
 年越し派遣村の話の続き。派遣村による発表(1月5日)によると、「ボランティア登録 昨日まででのべ1692人」「カンパ総額 銀行振込分以外で2315万円」らしい。…これ、東京だけの話だよね? よく集まったものだと思う。
 どうも、最近は2ちゃんねるが「サイレント・マジョリティの代弁(represent)の場」と見なされている部分があるけど、2ちゃんねる的な自己責任論が日本社会のマジョリティだとすれば、集まる金額ではないでしょう。
 mainichi.jpによれば、坂本哲志総務政務官(衆院熊本3区選出)が「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けたらしいですが、政治家として間違っている(まじめに働こうとしていようがいまいが、満足に帰る家のない暮らしを強いられるのは憲法違反だ)だけでなく、昨今の国民感情を読めていないのではないか、と。

 さて、今回のような社会運動が組織できる「市民力」みたいなものができたことは日本のキャパシティをあげるものとして評価できるはずだ、というのが昨日の記事の趣旨でした。
 ただ、そういったソーシャル・キャピタルはもうちょっとクローズドな親族ネットワークで本来維持されてきたものであったはずで、そういった社会とどちらがマシだったのか、というのは考えてみる価値があります。

 さまざまな(本来あった)社会的ネットワークは、比較的最近(たぶんここ2,30年で)急速に崩壊しているのだという印象を持っています。
 もちろん、その背景にはネオリベラル経済政策があるということになるでしょうが、単にそれだけでもなく、もっと根本的な、社会をどうデザインするかの哲学が変革期にあるのだととらえるべきかもしれません。
 アメリカに関してはロバート・パットナムの『孤独なボウリング』やシーダ・スコッチポルの『失われた民主主義』が扱っているテーマですね。

 私的ネットワークでの社会保障は(例えば結婚制度についての世代間対立のようなことを考えれば)維持するのが非常に面倒なものでもあります。
 一方で学者(私も含めて)は社会を考えるモデルが、比較的高学歴な都市住民になりがちなこともあって、つい「自律した個人からなる非営利・オープンな社会的ネットワーク」みたいなものを賞賛しがちであったりします。
 実際、私自身も「1992年のリオ・サミット以降、環境や貧困の問題で活動するNGOの意義が見直され、ボトムアップからの参加型民主制が重視されるようになりました」みたいな発達史観の説明をすることも多いわけです。
 もちろん、嘘をついているつもりは全くありませんが、一方でそれは(極端に言えば)「国際NGOなどにも参画でき、英語による、政治・経済の議論に対応できる高学歴エリート層の支配する<NGO>群が誕生したに過ぎない」と見ることもできるわけです。
 そのあたりはきちんと警戒して、真にボトムアップのネットワークとは何かについて考えていかなければいけない、というのがパトナムらの研究から読み取るべき教訓だと思っています。

 このブログは「Twitterよりちょっと長い」ぐらいの記事を更新していこうと思ったのですが、どうしてもこの問題は長くなるなぁ…。
 今年は少しでもブログの更新を多くしようと…と、毎年言ってますが。
 で、メモ的なブログはこちらに書いていこうと思っています。

 しかし、年末からガザだの「年越し派遣村」だの、言葉を失うような問題が続きます。
 オバマ大統領登場などは、多少なりと明るいニュースになってくれればいいのですが…。
 派遣の問題については、報道や政治家の反応を見ていると、問題の本質を把握し損ねているのではないかという気がしなくもありません。
 例えば、菅直人氏が「2兆円あれば、100万人の失業者に月17万円ずつ1年間支給しても賄える」と発言(Yahoo News 1月4日18時13分配信 時事通信)とか…。
 これに対して、まともに働いてもそんなにもらえないのに、というような反発が2ちゃんねるなどで散見されて、それ自体は短絡的な批判と言えるかもしれませんが、そういう反発が出るのも故なきことではない部分もあるでしょう。

 基本的には、
1)派遣の問題は、月収の問題と言うより、(派遣村の主催者のひとりでもある)湯浅誠氏が「ため」と呼ぶような、個々人をサポートする社会関係であったりするわけです。 
 例えば、ネットカフェでひと月暮らせば最低でも5〜6万にはなるわけで、一方安アパートを探せば3万ぐらいでも入れるところは出てくるわけです。しかし、保証人になってくれる人がいないので、こういったアパートを探せなかったりするわけです。ここで「保証人になってくれる親や知り合い」を湯浅氏は「ため」と呼んでいるわけです。もちろん、アマルティア・センであれば「権原(Entitlement)」の問題として論じるでしょう。

2)また、そういった安アパート自体も年々減っている。これは矢部史郎氏らが早くから指摘していることですね。例えば、銭湯があって、風呂なしトイレ共同のアパートがあるような(いしいひさいちのマンガに出てきそうな)街は、貧乏人や外国人労働者といった人々にとって過ごしやすい街であるはずですが、そういった街がだんだんと少なくなってきていることも問題でしょう。

3)これに対処するのに菅氏の冒頭の台詞にあるような、バラマキ的発想は、対処療法としてはともかく、本質的ではないし、福祉を「リソースの奪い合い」として見てしまうような(2ちゃんねらー的?、あるいは日本的)視点を納得させるものではないでしょう。

4)たぶん最も重要なことは(家族や社会そのものが疲弊している今)「ため」を供給するようなソーシャル・キャピタル/社会関係資本を構築することです。
 単純に財源バラマキだと、「誰がより多く取るか」という競争のような側面が否定しきれませんが、NPOの活性化や若者コミュニティの形成といった「ソーシャル・キャピタル」の涵養は、そこで形成されたソーシャル・キャピタルがコモンズ的性格を持つという点において、直接的に「救済される」人だけではなく、社会全体の利益になっていくのだということを、多くの人に納得して貰う努力が必要です。
 たぶん、オランダのスクウォッティングなんかはそういった理念に基づいているのですし、日本だと松本哉氏の「素人の乱」なんてのもそういう発想でしょうか。

5)ただ、ソーシャル・キャピタルを利用するには、一定の「コミュニケーション・スキル」みたいなものが要求されるのも事実でしょう。「コミュニケーション・スキル」については、いかにも勝ち組な人たちが「お勉強できるだけじゃサクセスはないのよ」みたいな言い方で取り上げられることが多いので、非常に胡散臭いものになってしまっている気がしますが、もっと生活に根ざした部分のコミュニケーション・スキルが求められるのではないか、と…。
 大学教員として、ささやかながら努力できるところがあるとすればそれかなぁ、と思う一方で、そういうのはもっと『ハマータウンの野郎ども』的なプロセスでしか取得されないのではないかと思ったり…。
 (日本の戦後教育の最大の問題は『ハマータウンの野郎ども』的なものを破壊したことにあると言っても過言ではないと思うのですが、そういうことについて議論をしている教育論は、殆どないような…)

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