ウィーン生まれ。「コンヴィヴィアリティ」「ヴァナキュラー」など、独自の用語を駆使して近代批判を進める批評家にして、実践家。特に、近代に入って人間から自律的な生活能力を奪う装置として発展した三つの要素を析出、「学校化」「病院化」「交通化」という概念を提唱、それらの装置から自由になる道を模索した。
1950年ごろからニューヨークのプエルトリコ人地区で教会区司祭(parish priest)。プエルトリコ・カトリック大の副学長(vice-rector)に就任。1960年代、自らの主宰するCIDOC(Centro Intercultural de Documentacion)をプエルトリコからクエルナバカ(メキシコ)に移設。80年代に入ると、活動の場はアメリカ、メキシコ、ドイツに渡り、ゲッチンゲン大学、ベルリン大学などで教鞭を執る。晩年はペンシルヴァニア州立大学でSTS(Science, Technology and Societies)の客員教授。同時にブレーメン大学でも教えていた。著書多数であるが、ほぼ全てが邦訳されている。
Link: The Ivan Illich Archive http://www.cogsci.ed.ac.uk/~ira/illich/
キーワード:コンヴィヴィアリティ、ヴァナキュラー、脱病院化、脱学校化
1928年、ペルーのリマに生まれ、1959年にカトリックの聖職に付いている。1960年からPontifical Catholic University の教授。
解放の神学(Theology of Liberation) 派の理論的支柱。南米で支配的であるカトリック教会は全体として保守的であるが、解放の神学派は救済が霊性をのみ対象にすることを否定し、まず弱者を解放の対象とすることを聖書から根拠づけた。農村や都市に貧困区にキリスト教基礎共同体(CEB)を形成し、聖書の教えを具体的な日常生活に照らして解釈し、民衆層の意識化を進めようとする。これにより南米諸国で影響力を持つカトリック神父たちがマルクス主義的方法論を用いた政治運動に介入することが可能になった。マルクス主義以外にも、従属論、構造的暴力論の議論を援用している。
アメリカのアナーキスト思想家。一時的自律地帯(T.A.Z.)、エンクレーヴなどの概念を提唱、バーニングマンなどの運動に大きな影響を与える。アメリカにドゥルーズなどフランスの現代思想の導入を図ったシルヴェール・ロトランジェ編集の『セミオテクスト』誌にも関わっていた(らしい)。たまにPeter Lamborn Wilson 名義でも執筆(こちらが本名?)。ベイのもう一つの重要な主張は著作権の放棄である。したがって、彼の著作はどう改変しようが出版しようが、原理的には自由である(ただし、翻訳版について翻訳者と出版社がどういうスタンスを取っているのかは知らない)。
Link: The Writings of Hakim Bey http://www.hermetic.com/bey/ Burningman http://www.burningman.com/
アンドレ・グンター・フランクらとともに従属論経済学の創始者として知られる、エジプト生まれのマルクス主義政治経済学者。フランス留学ののち、帰国、経済開発局で働くがナセル政権の共産党弾圧を受けてフランスに亡命。その後、マリを皮切りとしてアフリカ諸国で経済開発関係の仕事に従事する。セネガルはダカールにある国連アフリカ経済開発・経済計画研究所(African Institute for Economic Development and Planning / IDEP)研究員を経て所長。同時にアクティヴィストとしても活躍。現在「世界社会フォーラム」と呼ばれている「代案のための世界フォーラム」の組織委員会暫定委員長もつとめ、「世界社会フォーラム」の実現に尽力した。