August 2008アーカイブ
週末、STS Network Japan夏の学校に行って参りました。
終了日の午後、東北大からの参加者の方の発案で、野蒜築港資料室に出かけました。
Wikipediaの野蒜築港という項目によれば、
野蒜築港(のびるちくこう)は、明治初期に仙台湾の野蒜で行なわれた港湾建造事業。日本初の近代港湾の建設であり、明治政府による東北開発の中心的な事業と位置づけられていたが、完成から3年後に台風で突堤が崩壊し、施設はそのまま放棄された。現在では土木学会選奨土木遺産となっている。また、三国港、三角港とともに明治三大築港とされる。
ということで、日本でも最初といってよい、大規模港の開発だったようです(港の近代化工事としては横浜より早い!)。結局、台風、資金難、場所の選定プロセスの誤りなど、もろもろの事情が合わさって、完成されることはなく放棄されてしまったようです。
しかし、この片田舎の海岸線が、もし歴史的な条件がちょっとだけ違っていたら横浜や福岡に匹敵する港になっていたかと思うと、なかなか感慨深いものがあります。
上の写真がその当時の資料を集めた資料館。地元の人の努力で運営されているという感じで、非常に好感が持てます(当時の歴史を丁寧に解説していただきました)。
資料館の対岸(下の写真)が、当時内港として建設された部分です。
当時の港は外洋からの大型船が泊まる外港があり、そこで荷物を下ろして小さな船に積み替えて、小さな船で内港に運んで陸揚げするか、そこからさらに川や運河を使って内陸に運ぶというシステムになっていました。
野蒜からは北上川(の下流である石巻)などに運河が建設されています。
この運河と内港まで建設されたものの、内港を守る突堤と外港の工事がうまくいかず、台風などを期に工事が放棄されたと言うことのようです。
石巻には伊達政宗が支倉常長を欧州に派遣したときのサン・ファン・バウティスタ号を復元した宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)もありますし、実はこのあたりは歴史という意味では非常に面白い地域かもしれません。
仙台と石巻をつなぐ仙石線も、昔に比べるとずいぶんと本数も増えたという印象ですし、機会があったらまた行ってみようと思います。