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August 10, 2007

世界社会フォーラム・ブレチン 2007年8月1日号

※この「世界社会フォーラム・ブレチン 2007年8月1日号」は英語版からの非公式翻訳です。
 英語版は以下の場所で参照できます。
 http://www.forumsocialmundial.org.br/download/wsf_bulletin_010807_ing.htm
 翻訳に誤訳等があった場合、このの場所の文書が適宜修正されますので、転載される場合は本ページのURL(http://skasuga.talktank.net/diary/archives/000302.html)を明記されることをお勧めします。
 

WSF Venue 目次
1. 2008年WSFプロセス: 動員と行動のグローバル・デー
2. アマゾンでの2009年世界社会フォーラムに向けて
3. アメリカ合衆国社会フォーラムの評価報告
4. 各地の社会フォーラム

1. 2008年WSFプロセス: 動員と行動のグローバル・デー

 1000を超える市民と組織がすでに、www.wsf2008.net のサイトから「動員と行動のグローバル・デー」(2008年1月26日)への呼びかけに署名し、参加を表明しています。2008年はグローバルなイベントとしての世界社会フォーラムは行われません。この提案書は代わりに、社会運動やネットワーク、個別の組織が全世界でこの日の前後に同時的な動員のキャンペーンを組織するためのものです。
 
 目的は世界社会フォーラムがローカルな、各国ごとの、地域ごとの、あるいはテーマごとのフォーラムにおいて生きたプロセスであり、多くの多元的な戦略やキャンペーン、「もうひとつの世界」のための対案と地球全体の開発の中で生きたプロセスであることを証明することです。1月26日という日程はネオリベラルなエリートのための会合であり、通常は1月にダヴォス(スイス)で開かれている世界経済フォーラムに対抗するという方法として選ばれています。
 
参加の方法
 動員と行動のグローバル・デーはすべての組織と運動体によって、国際的、国内的あるいはローカルなレベルでの関心に応じて個々の場所で行われます。個々のネットワークや運動体、組織は彼らのアクションをどう行うか、またそれらの目的、構成、そして国家あるいは国際的なコネクションとどう接合させるかと言ったことを決定できます。

 このキャンペーンに参加するために、あなた方の組織は以下のような行動を取ることが出来ます。

・グローバルな呼びかけに署名してください(http://www.wsf2008.net で行うことが出来ます)

・可能な限り広く、この呼びかけを告知してください。ニューズレター、ウェブサイト、新聞、ラジオ番組あるいはメーリングリストといったあらゆる手段が活用できるでしょう)

・2008年1月26日の週末に向けてすでに計画されている可能なアクションについて、明確なものにしてください。

・国家的、あるいは国際的な行動の間の連動を提起してください。

 動員と行動のグローバル・デーを成功させるためには、すべての参加者が情報を惑星上の全ての場所に届けようとし、能動的にローカルなキャンペーンのプロセスを具体的に構築する活動の一部を担わなければなりません。

 もうすぐ、ウェブサイトで全ての参加者がアクションを登録し、それらを巡るアライアンスや連合体を構築することが可能になります。サイトは活動日に向かって決定されたアクションを広めることにも使えます。より詳細な情報のために、www.wsf2008.netだけでなく、WSFウェブサイトや今後のニューズレターも参照してください。
 8月2日から5日まで、ブラジル・バイーア州のサルバドールで行われる第二回北西部社会フォーラムにて、動員と行動のグローバル・デーに向けた活動が開始されます。このキャンペーンの、最初の広報のための活動は、8月4日午後2時30分からアントニオ・バルビーノ屋内競技場で、「伝統的な人々とコミュニティ: アイディンティティ、領土と抵抗」という会議に先立って行われます。この会議は第五軸(暴力への抵抗、平和と連帯の文化、人々の自己決定と主権の防衛)に関連したものです。屋内競技場はフォンテ・ノバのライオンズクラブ通り、エスタディオ・オタビオ・マンガベイラの横にあります。
 完全なプログラムについては北西部社会フォーラムのサイト(www.forumsocialnordestino.org.br)を参照してください。

2. アマゾンでの2009年世界社会フォーラムに向けて
 5月の終わりにベルリン(ドイツ)で開かれた世界社会フォーラム国際評議会の会期中、2009年に行われる次回の世界社会フォーラムについて、アマゾン地域に於いて行われることが決定された。フォーラムを組織するための最初のミーティングは8月中にブラジルのベレンにて開かれます。

 このミーティングにはパン・アマゾン地区9カ国の市民社会組織の代表が出席し、また、その他のラテンアメリカ諸国からとして、南北アメリカ社会フォーラム半球評議会と世界社会フォーラム国際評議会からの代表も出席します。

 2009年の世界社会フォーラムの目標条件構築に関する討議以上に、この会合でも2008年1月の動員と行動のグローバル・デーのアマゾン地区での組織プロセスをどう考えるかについて議論されることになります。
 
 2009年の準備に関する更なる情報は世界社会フォーラムのサイトとニューズレターで報告されます。


3. アメリカ合衆国社会フォーラムの評価報告
 世界社会フォーラムのサイト上で、アメリカ合衆国社会フォーラムの評価が宣言文やその他の合衆国社会フォーラムでの討議の結果として提示されている文書などと一緒に閲覧することができます。

・「アメリカ合衆国市民は社会フォーラムを抱きしめた」カンディード・グリジボウスキー (ポルトガル語)
  http://www.forumsocialmundial.org.br/noticias_textos.php?cd_news=402

・「もうひとつの世界は可能だ! もうひとつのアメリカ合衆国が必要だ! PPEHRC(貧しい人々の経済的人権キャンペーン)宣言」 (英語)
  http://www.forumsocialmundial.org.br/noticias_textos.php?cd_news=403

・「アメリカ合衆国社会フォーラムへの貢献: ウィタケルとベローの『オープン・スペース』についての議論
への応答」トマス・ポニア(英語)
  http://www.forumsocialmundial.org.br/noticias_textos.php?cd_news=405

・「アメリカ合衆国社会フォーラム」マーク・ベッカー(英語)
 http://www.forumsocialmundial.org.br/noticias_textos.php?cd_news=404

 そのほかの文章も追って追加されます。
 http://www.forumsocialmundial.org.br/dinamic.php?pagina=balanco_fseua_en

 アメリカ合衆国社会フォーラムは6月27日から7月1日まで、ジョージア州アトランタにて、合衆国全土から1万人の参加者と、68の国々から400人の代表団を集めて行われました。

 アメリカ合衆国社会フォーラムのサイト(https://www.ussf2007.org/)にて、参加者が彼らの経験について書いたブログやその他の文書、記事などへのリンクを見ることが出来ます。


4. 各地の社会フォーラム

・第二回北西社会フォーラム 8月2日から5日 サルバドール(ブラジル バイーア州)

・第一回ケベック社会フォーラム 8月23日から26日 モントリオール(カナダ ケベック州)

・世界教育フォーラム 9月12日から16日 モジ・ダス・クルーゼス(ブラジル サン・パウロ州)

・第二回祖先の知恵についての世界社会フォーラム 10月12日から15日 コチャバンバ(ボリビア)

・ドイツ社会フォーラム 10月18日から21日 コットブス(ドイツ ブランデンブルク州)

・メルコスル・ユース社会フォーラム 11月1日から4日 フロリアノポリス(ブラジル サンタ・カタリーナ州)

・ロサンゼルス社会フォーラム 2008年1月25日から27日 ロサンゼルス(アメリカ合衆国)

・メルコスル社会フォーラム 2008年1月26日から29日 クリチバ(ブラジル パラナ州)

・第三回トリプル・ボーダー社会フォーラム 2008年6月5日から7日 フォス・ド・イグアス(ブラジル パラナ州)

 その他の社会フォーラム関連日程については以下のURLを参照してください
 http://www.forumsocialmundial.org.br/dinamic.php?pagina=foruns_nacionais_eng


August 7, 2007

Hoperaisers - music for a social change

 ナイロビの世界社会フォーラムで反G8ソングを歌っていたコロゴショ・スラム出身のミュージシャン、Hoperaisersのサイトを発見。
 コロゴショ・スラム内でも歌われているらしく、「コロゴショの仲間は手を挙げてくれぇ」みたいに彼らが声をかけると、私の後方で歌っていた少女たちが元気よく手を挙げていた。
 彼らをハイリンゲンダム・サミットに招致するという話はドイツのほうでは進んでいたみたいだから、できれば来年の洞爺湖サミットにも呼びたいところだが…ムリだろうなぁ。

hoperaisers - music for a social change



July 29, 2007

川田龍平当確の模様


Originally uploaded by skasuga.
 NHKで出ましたね。
 さぁ、これから徐々に、木を植えますかね。

July 25, 2007

YouTube、選挙、タックス・ヘイヴンとか…

 先日のエントリー「Tokyo MX テレビ、YouTubeに登場」の続き、というわけでもないのですが、YouTubeと選挙の話をもう少し…

 「中田氏、参院選盛り上げ役に 7月29日の投票呼びかける」(SANSPO.COM)ということで、「Take Action! 7.29 中田英寿」という映像がYouTubeに紹介されている。

 


 昨年のW杯限りで現役を引退後「自分探しの旅」に出発。既に世界の110都市以上を訪れている。貧困、環境問題など世界の現状を目の辺りにし、社会貢献活動への意欲を持った。世界各地でのサッカー慈善試合出場に続き、思い立ったのが今回の映像出演だ。
 映像は、中田氏と、賛同する有志によって製作された。「現在の政局を見ていても、世界から孤立しつつある日本にどう歯止めをかけるのか見えてこない。現状を打破するため、まず行動を起こそう!」とのメッセージが込められている。関係者によると、自身も在外投票で海外から投票するという。

 映像はこちら

 …ですが、中田氏は先日、「モナコの市民権獲得」というニュースが報じられたばかり。
 まぁ、取得までのタイムラグがあるのかも知れないし、「市民権」と「永住権」をメディア側が取り違えているのかもしれませんが、日本が二重国籍を許していない以上、市民権取得したら投票権はなくなるよね??
 まぁ、誰がどこに住もうが自由ですが、モナコと言えば言わずと知れたタックス・ヘイヴンなわけです。
 最近、発刊された『タックスヘイブン: グローバル経済を動かす闇のシステム』などでも触れられているとおり、グローバルな貧困や環境などの社会問題とタックス・ヘイヴンの問題は密接に関連しています。
 元々、減税によって魅力的な居住地にするというのは、一種のチキンレースになってしまうというところがあって、結局無茶な体力勝負にならざるを得ない。
 そうすると、人口が多く、社会問題を多く抱えているような国がどうしても不利になり、モナコやリヒテンシュタインのような小国が有利になってしまうし、また企業や政府が金持ちに有利な減税を主張する根拠としての「海外への資金流出」なんて話も出てきてしまうわけですね(注)。

 U2のボノも偉そうなことをいっているわりにパテント管理を税金の安いオランダに移したなんて報道もありました。
 確かに、税金として払って無駄な公共事業に使われるよりは、ある程度の規模の財産を持っていれば(マスコミを動員したりすることも可能な知名度もあるわけですし)自分の好きなやり方でいいことをした方がいい、という考え方も否定は出来ないものがあります(特に日本の非営利団体に対する税制は先進国中まれに見る劣悪さだと言えると思いますし…)。
 しかしながら、脱税ないし租税回避された資金の多くは(ボノや中田のお金と違って)社会的に意義のあるやりかたで使われることはほとんどないわけで、「タックス・ヘイヴンを許さない(国際協調による各国の税金に対する主権行使の尊重)」という態度表明は重要だと思うわけです。

 日本の政党がそのあたりの政策に言及することはまずないのですが、格差社会と言われる一方で、法人税減税を含めた大企業に対する優遇ばかり横行するという状況が(必ずしも日本ではなく、わりと各国共通に)進行している背景には、タックス・ヘイヴンの存在が強く影響しているので、格差に怒る若者はこういうところも投票のさいに参考にして欲しいところ。


 一方、アメリカではYouTubeとCNNが大統領選に向けた討論会をやってます(すでにヒラリーやオバマら民主党の候補者を集めた番組が7月23日に放送され、現在は共和党候補への質問を募集しているらしい。そっちの放送は9月17日)。
 質問者(市民)がYouTubeに質問映像をアップして、それに大統領候補たちが番組内で応えていく、というもの。
 質問者もなかなか個性豊か(?)で面白いし、YouTubeの使い方としては非常に気が利いているなぁ、と。


What will you ask them: The CNN★YouTube Debates
The CNN★YouTube Debates: The Democrats


(注)ただし、これら小国の弁護をするわけではないのですが、圧倒的に重要性の高いタックス・ヘイヴンは実はロンドンで取引されている所謂ユーロダラーであり、そのほか先進各国が用意しているオフショア市場(例えばJOM/東京オフショア市場)も課税に対するモラル・ハザードの重要な原因になっていることを無視するのはフェアではありません。

July 11, 2007

いよいよ参議院選挙公示ですが…

Kawada Ryuhei Manifesto Workshop

 川田龍平氏のマニフェスト[PDF版])づくりをちょっと手伝ったので、なんとか受かってくれるといいなぁ、と。
 マニフェストの最終決定に係わったわけではないのですが、様々寄せられた意見をワークショップ形式で整理してみました(右の写真)。
 本人や選挙事務所のメンバーが予想する以上に、様々な意見を持った層の期待が集まっていることが確認できたみたいです。
 特に、問題になったのは行政サービス主導の所謂「大きな政府」を求める意見と、NPOなどが活躍できる場を広げるボトムアップ型の(やや広い意味での)「小さな政府」を求める意見が幅広く寄せられていたのが印象的である。
 それを全部取り入れることはもちろん出来ないわけだが、意見を出してもらうことによってある程度バランスに配慮した政策をつくる手助けは出来たんじゃないかと思う。
 こういった、所謂「熟議型」民主制によって、ボトムアップ型の政策議論を進めていくというのは、今後、既存政党の政策に飽きている若者層の期待に応えるひとつの道なんじゃないか、という気がするのである。


World Social Forum 2007 @ Kasarani (Nairobi, Kenya)

 あと、彼とは今年の世界社会フォーラムに出かけたのであった(そのときの写真はFlickrのフォトセットでご覧になれます)。
 病気を持って、治安の悪いナイロビで炎天下を歩き回るのだから、ひいき目に見てもなかなかの根性だと思った(薬の副作用で足が痛いとはいっていたが、パソコンの入ったバッグをだいたいいつも持ち歩いていたし…)。
 もちろんアフリカはエイズの問題が非常に大きい(右の写真はそれを訴える作品)ので、彼の演説はアフリカの人々に非常に感銘を与えたようであった。
 で、そのときの顛末も書かれた本が出版された。

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 ちなみに、写真は、イラク戦争取材で有名になった志葉玲氏である。
 その志葉くん初の単著も単著もいいタイミングで発売された。
 極めて臨場感に富んだイラク・レポートである。


たたかう!ジャーナリスト宣言―ボクの観た本当の戦争たたかう!ジャーナリスト宣言―ボクの観た本当の戦争
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WSF 2004

 ちなみに、知り合いと言えば今回の東京選挙区には、セグウェイ事件で一躍有名になったお騒がせおじさん、神田敏晶氏も出馬しているのであった。
 実は、神田さんと初めてあったのも、2004年にムンバイ(インド)で行われた世界社会フォーラムでのことであった。
 川田君もこのときが社会フォーラム初参加で、ピースボートに乗せてもらって(中で講演などしつつ)ムンバイに向かったのだが、神田さんもここに突撃取材兼メディア関連の講師として乗り組んでいたのであった(右の写真は会場で行われていたチベット独立派のパフォーマンス)。
 いつものことなんだろうけど、神田さんは社会フォーラムについてもピースボートについても、なんだか理解せずに(っていうか、そんなことは考えずに)参加していたみたいで、社会運動関係者の習慣との違いに戸惑っていたのが面白かった(神田さんは、戸惑うような状況もおもしろがっていたんじゃないかと思う)。
 ジャーナリスト、と言いながら、活動に巻き込んだ上に相手も変えちゃうような取材が神田さんの持ち味何ではないかと思うのであるが、社会運動サイドの面々も、彼のスタイルからは色々学んだんじゃないだろうか。
 なんというか、世の中楽しまなければいけないが、そのためにはすっごく真剣にふざけなければいけない、というのが神田さんの基本思想なんじゃないだろうかと思うしだい。



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 二人応援するわけにもいかないが(というなら、どうせ東京の有権者でもないのであるが)、是非二人にはがんばって欲しいものである(まぁ、目標とするところはこの二人ではだいぶ違うだろうし…)。


May 23, 2007

あなたの政策大募集(川田龍平参院選2007)


Originally uploaded by skasuga.
 日曜に、「川田龍平を応援する1000人集会」を覗いてきましたが、その場で発表された彼のマニフェストが川田龍平を応援する会のサイトに掲載されています。

 ・「動けば変わる。生きるって楽しい、と思える日本へー龍平と応援する人々の基本政策集」[全文](PDF)



 表紙には次のように書いてあります。





《お読みになる前に》

● この「龍平と応援する人々の共同マニフェスト(案)」は、未完成のものです。

● 完成させるためには、「あなたの提案」が必要です。

● 付け加えたい提案がある場合は、

  提案することを【問題点】と【解決策】に整理してお寄せください。

● 文章を修正したい、あるいは削除したいという提案がある場合は、代案となる文章をお寄せください。

● 提案者が議論できる場を、別途設けます。

● できる限り多くの「提案」を含めたいと考えていますが、他の事柄との矛盾や考え方の相違によって、採用できない場合があることをあらかじめご了承願います。



《提案の送付先》

 川田龍平を応援する会共同マニフェスト係

  郵送の方: 〒160-0004 東京都新宿区四谷1-18 オオノヤビル5 階

  FAX の方: 03-5369-1474

  メールの方: office@ryuheikawada.jp

  ※ 必ず提案者の「お名前」と「ご連絡先」を明記してください。

    ご連絡を差し上げる場合がございます。




 で、「提案者が議論できる場を、別途設け」るという部分のワークショップでファシリテーターを担当することになりました。

 会場のキャパシティや「ワークショップ」として成立する人数という限界もあるのですが、ご意見を寄せて頂いた方はなるべく参加してもらうような設計で行きたいと思っていますので、みなさんの「政策」を「川田龍平を応援する会」までよろしくお願いします。



 私としては、有権者が「4年ないし6年に一度の王様」であるのではなく、コンスタントに政治に関わり、意見を出していくような(やや雑ぱくに「参加型民主制」と纏められるような)システムを作っていくことに関心があります。

 で、そういった関心に応えてくれたのが以前からの友人である川田君の陣営だったと言うことでして(まぁ、グローバリゼーションの問題なんかについては政策そのものにもだいぶ意見を聞いてもらっているので、それなりに関係は強いわけですが)将来的には他の候補、特に既存政党の候補にも使ってもらえるような政策討論ワークショップをつくっていきたいなぁ、と思っていたりします(なので、他の候補からも声をかけて頂けるのはいつでも歓迎。ただ、利益相反になるのも拙いので、参議院東京選挙区については今回は川田龍平に絞らざるをえないと思いますが…)。



【追記】

 これ、よく見るとご意見締め切りが書いてないですね。

 基本的には随時受付と言うことになるかと思いますが、ワークショップに参加して頂くには6月5日ごろまでに意見を出して頂けると(人数等調整の上)選挙事務局からご連絡が行くという形になるんじゃないかと思います(現在確認中)。

【追記2】

 ウェブサイトにはすでに掲載されていますが、締め切りはやはり5日とのことです。時間が短くて申し訳ありませんが、是非ご意見をください。

May 7, 2007

ADB京都総会・市民フォーラムはわりと成功だったんじゃないかと…

People's Forum on ADB in Kyoto

 ゴールデン・ウィークもあけて、なんとかADB京都総会・市民フォーラムも全日程を終了である。
 国際機関の総会に合わせてNGO集会を開くというのは、国際的には一般的になっているが、日本でこれだけ大規模に行えたのは初めてのことだと思われるので、この点、評価できよう。
 最初のうちはやや妖しかった主催団体や参加団体相互の連絡も、最終的にはかなりスムーズになったという実感があるのではないかと思う。
 たぶん、最初のうちはアジア開発銀行に対してどこまで否定的な論調を出していいものか、各団体ともやや決めかねていたのだと思われるが、海外団体からの要請(是非デモをさせろとか…)などもあって、結果的にはADB総会との対立軸が明白になって良かったのではないか。
 中途半端な議論をするよりも問題の軸ははっきりすることで議論は促進されるし、メディアにも取り上げられやすいというポジティヴな副作用もある。

 実際、いくつかの新聞が取り上げてくれたようである。
ADBによる開発問題を考える 環境NGOら 同大でシンポ(京都新聞)
アジア開銀年次総会NGOが対抗シンポ(読売新聞)
ADB総会:"京都デー" 光と陰と 伝統・革新PR/NGO「施策で悪影響」(毎日新聞)
アジア開発銀行年次総会で「京都デー」 市内ではNGOがシンポ(産経新聞)
 ※いずれも地方版ではあるが、読売はデモの様子まで含めて取材している。一方で朝日は記事なしってのは、どういうことだ!?

 5日のシンポジウムはかなりの大入り(250〜300人ぐらいか?)だったわけだが、中には、「ADBってなんだか分からないけど、新聞で騒いでいるし、40周年だと言うからちょっと参加してみるか」というような「普通の人」層もだいぶ混じっていたようである。
 そういう人には(特に日本的感覚からすると「40周年でお祝いだと言ってるのにネガティヴなことを言う」ことに)違和感の残る集会だったような気もする。
 開場からの質問用紙には、特に、全ての第三世界債務は正統ではない(Illegitimate)であると論じたジュビリー・サウスのリディ・ナクピル氏に対して「悪いところばかり取り上げるが、いいこともしているのではないか?」という質問が集中したようである。
 もちろん、バングラデシュのフルバリ炭坑開発の事例ではデモ隊への発砲で死者まで出しており、そのことを報告した論者がいる前で「文句ばっかりいってるんじゃないか?」と質問してしまうと言う「ブルジョア的冷酷さ」(…久しぶりに使ったな、この言葉)には不快感を禁じ得ないが、一方でそういった聴衆を納得させる論旨ももう少し必要であったという気もする(「よいこと」のアピールに関してはADB自身や日本政府がもうちょっとまじめにやった方がいいと思うんだけどね。アジア各地で無駄な「公共事業」を続けているという事実が明るみに出るのが怖くてやれないのだろうか?)。

 ADBや世銀、各国のODAが抱える問題は二つあって、一つは汚職や独裁者を支援するような開発(日本は特にインドネシア、フィリピン、ビルマ等への援助で悪名高い)や環境破壊をもたらすような開発の問題である。
 これはマスメディアに衝撃的に取り上げられることによって印象深い(デモ隊への発砲、なにもないジャングルにそびえ立つさび付いて使われていない発電所、ダム建設で先祖伝来の土地から追い立てられる先住民、と言った図はメディア的に「美味しい」素材であろう)。
 しかしながら、より本質的な問題は、先進国型のインフラ開発と自由貿易による発展という開発モデルが第三世界においても望ましく、かつ可能(より本質的には持続的なものとして可能)かという問題である。
 恐らく、前者の問題は後者の問題の従属項にすぎず、本質的な問題は世銀やADBの設立および運営ポリシーにあるのであろう。
Demonstration (People's Forum on ADB in Kyoto)

 さて、ではADBのような機関は今後「粉砕されるべき」かというとここで議論は分かれる。
 たとえば、ADBの総会の折にはASEAN+3の蔵相会議も開かれる(要するに看板が掛け変わるだけでメンツは同じだから)のだが、京都では昨年の会議(南インドの都市ハイデラバードで開かれた)で提起されたアジア通貨基金構想に近いものが実施されることがほぼ決まったようである。
 これは恐らく、短期的にみればアジア経済の安定に貢献するのであり、おそらく貧困層に対しても一定の恩恵がある(通常、先の記事でもパトマキ氏の言葉として述べたとおり、変動相場制の利益をより多く享受するのは投機的取引を行える富裕層である一方で、いったん通貨危機が起これば被害は貧困層の生活に直撃する)。
 したがって、ATTACとしてもこの結論は歓迎声明を出すべきことがらに見える。
 地域ごとに通貨統制能力が高まることは、おそらく通貨取引税などの導入の弾みにもなるということもあるかも知れない。

 しかし、開発インセンティヴを強化し、第三世界をグローバル経済により強く組み込むことが問題である、という先の立場からすればこれは大いに問題である、と主張することはできるだろう。
 このあたりで、「オルタグローバル派」の即席の連帯はやや先行きが怪しくなるのである。
 「ADBって食べられる?」という無関心層にどのようなアピールをするかということと、こういった議論をある程度つめていくかということは割と深刻な問題であろう。

 余談だが、アジア通貨基金構想は90年代に日本と東南アジア諸国(特にマレーシア、シンガポール)が積極的に推進し、アメリカに粉砕された計画そのものである。
 こういうことが(ハイデラバードでは主にインドのイニシアティヴで)可能になってきたというのは、印中をはじめとした第三世界諸国(の一部)の発言力の増大と、アメリカの世界支配能力の凋落を印象づける(朝日新聞の報道ではピール米財務次官補代理が「ADB、ミニIMFになる必要ない」と述べており、やっぱり嫌がってはいるようである)。
 90年代の「敗戦」以降、日本のエスタブリッシュメントはアメリカに抵抗する意志をすっかり失ってしまっているようであるが、この先どのようなタイミングで世界政治に復帰するか、大きな課題であろう(とかいうと右からも左からも嫌われるのであるが…)。

May 6, 2007

『通貨投機・金融自由化に対抗する: アジアのネットワークを』報告

 ゴールデンウィーク期間中、京都の北にある国際会議場ではアジア開発銀行の年次総会が開かれている。今年はアジア開発銀行40周年だとかで、それなりに気合いが入っている。
 この手の国際機関の総会のさいには、グローバルな抗議集会が行われるのが通例となっているわけであるが、日本ではこれまで色々な問題からそれが難しかった。今回は、これまでにない規模でアジアを中心とした各国からの社会運動家が来日している珍しい機会となった。

 で、とりあえず4日にATTACが中心となって行ったシンポジウムの速報。
 ちなみに、春日個人による個人的な報告であるとお考えください(ATTACとしてはそのうちなんかつくるでしょう)。

 2007年5月4日13時から17時、京都市内にあるハートピア京都にて『通貨投機・金融自由化に対抗する: アジアのネットワークを』というシンポジウムが開かれた。これはアジア開発銀行京都総会に合わせて行われている『アジア開発銀行京都総会・市民フォーラム』(5,6日、於同志社大学)の一環として行われたものであるが、スピーカーの都合などから日程をずらして行われたものである。主催は「国際通貨税ネットワーク」となっているが、これは通貨取引税(Currency Transfer Tax 以下CTT)を求める国際的なネットワーク運動の呼称であり、実態としては日本ではATTAC Japanおよび各地のATTACなどが担っている。  講演はATTACフィンランドのヘイッキ・パトマキ(ヘルシンキ大学政治学部教授)およびカタリーナ・パトマキ(グローバル民主化ネットワーク研究所)、京都大学の諸富徹氏(京都大学大学院経済学研究科助教授)によって行われ、その後3人の海外参加者から短い報告があり、最後に総合討論が行われた。  ヘイッキ・パトマキ氏およびカタリーナ・パトマキ氏はご夫婦であるが、それぞれの立場でATTACの活動に取り組んでおり、ヘイッキ氏からはつCTTについて、またカタリーナ氏からは第三世界の債務の問題について講演が行われた。

 ヘイッキ氏はまず、CTTという概念の歴史的経緯について概括した。
 CTTはトービン税と呼ばれることもあるが、これはケインズ派の経済学者ジェームズ・トービンが提唱したことによる。トービンは、現在国際社会で議論されているCTTに自分の名前を冠されることを嫌ったが、いくつかの大きな通貨危機のあと、CTTへの注目は増大している。特に、1997年のアジア通貨危機は一つの転機になり、欧州各国では2000年前後にいくつかの国でCTT法案が議会を通過している。
 また、ブラジルのルラ大統領とフランスのシラク大統領によって提唱された国際的なイニシアティヴでは、貧困削減のためのミレニアム開発目標の実現のために、国際課税が推進されることを推奨している。ミレニアム開発目標の実施には年間500億ドルの資金が必要であり、この資金を国際課税で捻出すると言うことが推奨されている。
 現在、国際的なNPOなどにとっては、この後者の意味でのCTTが重要性を増している。もちろん通貨及び国際金融の安定を、よい副作用と位置づけることはできる。また、公正さ(Justice)という問題もある。国際金融における投機的なマネーは人々の生活を不安定化する一方で、一部の人間にだけ莫大な利益をもたらす。いわば、「利益が個人化され、リスクは社会化される(Privetise Benefit, Socialise Risk)」のである。このリスクを裁定するための資金を課税し、グローバルな共有材のために利用するという考え方は、公正さの概念にかなうであろう。加えて、通貨取引への投資を規制することで、金融セクターに回っていたお金が実体経済への投資に回るという効果も期待できる。
 最後に、国際金融の統制というのは、新たな経済民主制への挑戦でもある。資金をどのように使うかなど、単に国家レベルでの民主制ではない、国際的な機構を民主的に運営するようなシステムが必要である。これについては詳細に触れる時間はないが、ウェブサイトで"Draft Treaty on Global Currency"が公開されており、日本語でも読むことができるので参照して頂きたい(注1)。

 次に、カタリーナ氏は今なお第三世界債務の問題は非常に大きく、その問題性は増大してさえいると述べた。
 債務問題は多くの問題の複合体であり、貧困やHIVなど多くの問題に取り組む第三世界のNGOの多くが債務問題についてある程度関係し、その完全な帳消しを求めている。債務は第三世界の国家予算、特に公共サービスセクターを圧迫することによって他の諸々の問題の解決を難しくしているのである。
 2000年に行われたジュビリー2000キャンペーンでは、ヨーロッパでも債務帳消しが「チャリティ」なのか経済的な公正さと効率性の問題なのか、という点が大きな議論になり、それが運動分裂の原因にもなったと述べた。その上で、第三世界債務の問題をグローバル経済の問題として位置づけ、理解していくことは今後の世界にとって重要であると述べた。
 1982年のメキシコ危機のころから、債務の問題は注目を集め、ジョゼフ・スティグリッツ、ジェフリー・サックスやポール・クルーグマンといった著名な経済学者たちがこの問題に取り組み始めた。これらの論者は債務帳消しがグローバル経済にとって必要であり、かつ好ましい結果をもたらすと論じている。
 また、国際的な市民社会組織(CSOs)の合意としては、債務問題がグローバルな経済構造、特にブレトンウッズ体制が未完成のままいくつかの問題を積み残し、GATTなどの修正案がそれを解決できなかったことの帰結である。こう考えれば、債務問題は第三世界に責任があるのではなく、先進国も含めた地球全体の問題であることはあきらかであろう。
 しかし実際は、債務削減/帳消しは経済学の用語で語られるが、基本的には政治的な動機で行われてきた。ドイツの債務削減はナチスの再興を防止するという名目のために行われたし、エジプトのケースでは湾岸戦争への協力の見返りとして行われた。最近では、イラクの債務帳消しが米国の影響下にある新体制を支援するために行われたことは記憶に新しい。
 債務についての研究はまだ30年に満たず、多くの問題が積み残されている。今後議論して行くべき問題が多く残っている。これらはもちろん、経済だけではなく、法的、政治的側面から総合的に行われるべきである。また、帳消し後に再び重債務化が起こらないようにする方法はあるかや、国内的にどのような制度を作っていくかを論じる必要もある。国連貿易開発会議(UNCTAD)は第三世界の多くの国の経済状態が悪化することにより、重債務化が激化する可能性を指摘している。
 IMFは支払い能力や正統性の低下により、国際社会でのプレゼンスを低下させている。最近、ベネズエラはIMFからの脱退を表明した。一方で、新たな貸し手が台頭している。民間資金や中国に代表される新興国である。これらの資金源は融資の条件が緩く、高金利であるという特徴がある。この影響を考えることも重要である。
 当面の目標としては、債務帳消しの完全な実施を求めること、その運動を社会的公正を求める第三世界の社会運動や、より広い意味での「オルタモンディアリズム運動」と連携させること、そしてそれらをグローバルな民主化を求める運動とつなげていくことが重要である。

 最後に、諸富氏からは環境税との関連でCTTの合理性と必要性が述べられた。
 ドイツで、租税の本質から外れるとして、環境税に対する違憲訴訟が行われたが、ドイツ最高裁の判決はこれが合憲であるというものであった。これを考えれば、CTTも認められる素地はあると考えられる。しかし、経済学者のピグーが環境税を提唱したのが1920年代のことであり、最初の環境税がオランダの下水課税であり、1969年のことである。このことを考えれば、こうした概念の浸透に時間がかかるのはある程度仕方がない。
 また、環境税はこれまでのところ国家レベルの課税として実施されているのに対して、CTTは国際課税であり、より制度的に複雑であるという問題がある。ただし、炭素税に関して言えば現在までのところ国家レベルで実施されているが、いずれにしても国際的な制度は作らなければ行けないので、この点はCTTだけの問題ではない。
 やはり、公正さという問題を私的なリスク(Private Risk)と社会的なリスク(Social Risk)という問題でとらえる必要がある。トレーダーは私的なリスクをあおり、結果として社会的なリスクにつながる。この社会的なリスクを経済の外部性(Externality)あるいは社会的なコスト(Social Cost)と考えれば、課税は可能であろう。このことは、汚染者負担の原則(Polluter Pays Principle)あるいは受益者負担原則(Benefit Principle)というところから議論を進められると考えられる。後者の場合、取引額ではなく、収益への課税が好ましいと言うことになろうが、技術的にはそのほうが遙かに困難である。
 また、税制の共通化(Tax Harmonization)への要求は高まっており、実際EU圏内では具体的な作業が進んでいる。しかし、税制の共通化は一国でも反対すると成立しないため、様々な困難がある。とはいっても、自国の税率を低くして企業を誘致するということを相互に行う租税競争所帯が長期に続くことは問題が大きいので、これは解決すべきだし、するべき問題である。また、単に収入を国際機関にゆだねるのではなく、民主的に議論するための制度が必要になってくるだろう。

 これら三者の発表を受けて、各国からいくつかの報告が行われた。
 韓国からは米国資本(ローンスター銀行)が国営銀行の一つを買収したのだが、そのときに粉飾会計を行って買収金額を下げ、3年後に3倍以上の高額で別の国営銀行を含む二つの韓国系銀行に売り抜けたという事例が紹介された。
 フィリピンからは、国家予算の半分が債務返済のために使われ、公共サービスが著しく制限されている状況が報告された。また、恒常的な関税引き下げ圧力や、日比FTAを含む自由貿易協定により、租税歳入が低減しており、そのために付加価値税の増税などが行われている現状も指摘された。
 また、フィンランドからは、こうした状況をふまえて、WPF(World Public Finance)キャンペーンの必要性と現状が報告された(注2)。世界社会フォーラムなどの機会に発議され、CTTの導入やタックスヘブンの規制などを訴えていく国際的なキャンペーンである。特にタックスヘブンの問題は深刻であり、IMFの統計でも途上国にはいるべき税収のうち少なくとも5千億ドルが世界で70カ所ほどあるタックスヘブンに逃げていると考えられるという。

 この後、質疑応答が行われ、日本からもこういった政治、経済と南北問題の公正を求める運動に積極的に参与していくべきであるという主催者側からの提起などが行われた。

May 4, 2007

『世界の〈水道民営化〉の実態: 新たな公共水道をめざして』

世界の〈水道民営化〉の実態: 新たな公共水道をめざして

 前からちょこっとお手伝いしていた本『世界の〈水道民営化〉の実態: 新たな公共水道をめざして』が出版された(昨日入手)。
 オランダのNGO、トランスナショナル・インスティテュート(TNI)コーポレート・ヨーロッパ・オブザーバトリー(CEO)で原書の発刊にも係わっていた(我が友人であるところの)岸本聡子・山本奈美両氏が編集をしている、極めて正統性、信頼性の高い翻訳である。
 ちなみに原書はブラジルとインドで行われた世界社会フォーラムに集まった水問題に関する活動家が、各地の問題を報告する中で生まれた本であり、社会フォーラムの「個別の運動をつなぐネットワークの形成」という側面の最大級の成果の一つであると言える。

 地図をつくったり(書籍に載っているものの大元を下に置いておきます。やっぱプロは綺麗に仕上げるよね)、ケララとフランスのところを下訳したりしているので、ご紹介。
 あと、写真も若干提供していて、例えば45ページがこちら(ケララ・オラヴァナの井戸)

 ちなみに下訳については翻訳者の佐久間さんに「多少は役に立ちましたか?」と聞いたところ「水問題に関係しないところは修正不要だったから…」という主旨のお返事が返ってきた orz
 (でもね、言い訳すると特にフランスの章は専門用語が多くて、しかも微妙にフランス語の直訳なので、ニュアンスが読み取りがたいんですよ)

 ここでも昨日の記事で触れたPublic/Privateと公/民の対立軸のずれの問題は顕在化してきて、「公営水道」というと巨大で不効率なものを想起させ、「民営」というとなにかよいものを指すような気がする。
 一方英語で「民営化」はPrivatization(私営化・私有化)なので、もともとからしてやや強欲さを感じさせるイメージの言葉になっている。
 政治的文脈に於ける「公益対私益」の対立では公益に有利で、経済的文脈に於いては「公営対民営」で私益に有利という、欧米よりもレーガン的なネオリベラルに有利な言語構成になってしまっているところが問題なわけである(このあたりを脱構築できないと日本の左派に未来はないんじゃないだろうか…)。

 もちろん、実践的な局面では「巨大で不効率な公営に対して素早く消費者のニーズをくみ取る民間」というイメージは各国共通のもので、それがいかに裏切られ、そこからいかにしてもう一度(たぶん真の意味で)公的なものを再構築していくか、というのが本書の各章で述べられているわけである。
 日本は「水と安全はタダ」と言われ、水道に対する危機感は非常に薄いと思われるが、公共空間についての議論にも資するであろうし、是非いろいろな立場の人に読んで頂きたいものである。

 ということで、みなさん、水と公共性は大切に…。

 以下、目次。

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May 3, 2007

憲法記念日によせて

 憲法記念日もあと一時間を残すのみですし、そもそもこの議論に参入すること自体がいまさらの気もしますが、一応。

 まず憲法を改正すると言っても大きく分けて二種類会って、アメリカなどがよくやるように修正条項(Amendment)を付加していくという方法と、文面を全面的に変更するという方法があり得る。
 「これまで我々の行なってきた全ての改革は、昔日に照らすという原理の上に立っている」というエドマンド・バーク的な(たぶん極めて健全な)保守主義に照らせば、前者のほうが国民国家としての連続性を維持できるという観点から極めて好ましいはずである。
 実際、全面改正を行ってきたのは基本的に急進主義左翼政権であり、保守政権が全面的な憲法改正を行ったという事例は近代史にはあまり見いだせないはずである。
 近年では、ベネズエラのチャベス政権が国名の改変を含む憲法改正を行っている。

 しかし、日本の保守政党である自民党による憲法改正法案は、どうも全面的な(もちろん右方向に「急進主義的」な)憲法改正を念頭に置いているようである。
 これは、「日本国憲法の改正手続に関する法律案」14条1の「国会の発議に係る日本国憲法の改正案(以下「憲法改正案」という。)及びその要旨並びに憲法改正案に係る新旧対照表その他参考となるべき事項に関する分かりやすい説明…」というところからも想像がつくし、実際自民党の新憲法草案(PDF)を見てもかなり大幅な改変になっている。

 自民党は戦後60年近く憲法が改正されてこなかったことが異常であると主張するが、逆に言えばここまで劇的な憲法改変を行った国というのはそう多いわけではない。
 また、私は必ずしも憲法を変えることに反対ではないが、そこまでやるのであれば、ベネズエラが行ったように制憲議会(Constitutional Convention)を選出し、議論を尽くすのが自然なのではないかと思われる(ベネズエラが制憲議会方式を選んだ背景にはもちろん、通常の議会で反チャベス派が主流だったという事情もあるのだろうが、結果的にはより正統性の高い方式を選択することになっていると思う)。
 憲法というものが本質的に立法の基盤になる以上、その制約を最も受けるのが立法権を司る議会である。
 国民投票というプロセスを経るとは言っても、国会議員が自分たちの作業を律するルールを決めるということには違和感が残る(同様に、本来であれば憲法改正後は自らを選出した基盤が改変されるわけだから、両院は速やかに解散するべきであると考えるのが自然だろう)。
 また、現実問題としても憲法問題のみを討議し、立憲後は速やかに解散する制憲議会は、相対的に見てクリーンで比較的公平性の高い議論を行うことが期待できるのでは無かろうか?

 それと、憲法と「公共性(Public)」のコンセプトは切り離せない問題である。
 自民党の改正案では「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に言い換えられている。

 現行憲法第12条
  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 自民党案第12条
  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。

 このことが含む法的な問題などはすでに各所で指摘されている。
 例えば社民党の自民党「新憲法草案」批判(案)では次のように述べられている。

■市民の権利 ー公の秩序が許す範囲の「自由及び権利」

 これは、単なる言葉の言い換えではない。「公共の福祉」とはある人権が他人の人権と矛盾・衝突する場合の解決をはかるための調整、実質的公平の原理であり、人権に必然的に内在する制約である。これに対して、「草案」のいう「公益及び公の秩序」は、個人の権利を否定し個人を犠牲にした上での権力に対する忠誠を意味するものともなりかねないもので、外部から人権を制約するものと解される。現憲法が「侵すことの出来ない永久の権利」である基本的人権である「個人の自由と権利」が、明治憲法下での「人権保障」のような統治機構の定める秩序や法益の下位のものと位置づけられ、その許容範囲でしか存在できないものに貶められることになりかねないのである。
 例えば国家の安全や、軍事目的といった公益のために、表現の自由や思想・信条の自由等が制限されることにつながり、戦争への批判を立法によって制限する根拠にもなりかねない。「草案」第9条2が自衛軍の任務として「公の秩序の維持のための活動」を規定していることからも、「公益及び公の秩序」が、軍事的要請をも含めた国家の求める秩序全般を指すことは明白である。

 ここでは、こういった見解に基本的に賛同しつつ、こういった見解が成立してしまう歴史的・文化的背景について若干、考察してみたい。

 英語の公共性に関する論文などで、「日本では、公共性は私益のアマルガム(混合体)ではなく、公と私という二つの領域があると見なされる」という記述が見られることがある。
 逆に言えば、欧米圏の感覚では「公共性とは私益の混合物」なのである。
 例えば、日本では井の頭公園で大道芸をする権利を地方自治体という「公」が大道芸人の「実績を審査し、許可を出す」ということが天下り的に許容される。
 しかし、本来は静かな公園を望む「私益」と、賑やかな公園を望む「私益」の間をどのように調停するか、というのが公共性であり、規制はその公共性の結果にすぎない。
 同様に、国家は市民の共有物であり、私的なものに先駆けて国家という公があるわけではない。

 英語では国家に対して"Nation State"という語が当てられる。
 これは、文字通り「民族の財産」という意味であり、元来「国家」が王の財産(Royal Estate)であったことに対して、国民(Nation)の財産になったということに由来する(「国」と呼んでいたのを国囲いに民という字に変えた、というイメージだと考えればわかりやすいだろう)。
 ちなみにNationというのも、中世の大学で出身地域が一緒のグループが結成した同胞団をNatioと呼び習わしたことに由来するもので、元来極めて相対的なものである(例えばパリ大学ではフランス各地方についてそれぞれのNatioが存在する一方でイタリアについては単一のNatioが存在し、逆にボローニャの大学では…、という相対的な概念にすぎない)。

 現在ではもっぱら英連邦のことを示すCommonwealthも、歴史的にはしばしば国家の意味で使われるが、これも同様に(文字通り)「共有の財産」を意味する。
 こうした思想的前提のなかでは、全体主義的な思想はあくまで無理筋にすぎないし、逆に私的な利益を主張することは(それがあくまで事後の調整のための討議に開かれているという前提の上では)それがしかるべきプロセスの後に公益に資するという合意が生まれることになる。
 一方で、公と私が二元論的にとらえられて、「貴方は公と私のどちらにつきますか?」と問われて、「私は私益を追求するのだ」と言い切るのは非常にハードルが高い(ホリエモンの日本社会に於ける新しさはこの言い切りにあったのかも知れない)。

 また、微妙な混乱を招いているのは、「公」が国家に独占されていることである。
 逆に、国家および地方自治機関以外のすべては「私」であり「民」であるとみなされる。
 一方で、欧米語では公は「Public」であり、これは日本語の公よりもだいぶ広い言語である。
 たとえばNPOは日本では「民間」だが、欧米ではPublicな組織である。
 また、例えば「郵政民営化」といったような公共サービスの「民営化」は英語ではPrivatization (私有化)と表現される。
 「民」がPoepleを指すものだとすれば、どちらかというと公的なものの領域に属する。

 このあたりに留意すれば「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」の差異は明かであろう。
 基本的に、「公」というのが、異なる私益を持つ集団の間の討議というプロセスを指すという欧米型民主制の理念に従ったものであるのか、民衆の外部に、その生活を規制するものとして存在するものであるのか(つまり明治以降の翻訳的な意味で使われているのか、江戸以前の伝統的な意味で使われているのか)明確にして論じていくべきであろう(その上で中世への回帰が好ましいという議論があるのであればそれもいいと思うのだが、そんな人はどの程度いるのだろうか?)。

January 20, 2007

ナイロビから

 ナイロビにおります。

 本日(20日)から第7回の世界社会フォーラムが開幕します。
 19日までは、川田龍平くんのサポートということで、Global Yang Greens(緑の党世界ネットワークの若手部門)の会合に出席していました。
 こうした会合を社会フォーラムのついでにやってしまうと言うのはよくあることで、参加者を世界各国から集めやすいというメリットもある一方、ナイロビという、インフラも万全でなく、治安の問題もある都市での運営は非常に大変であったと思います。
 特に、GYGは名前の通り、学生など、35歳以下のユースの集まりで、そういったことに慣れているとは言い難いわけで、そういうことを成し遂げてしまう行動力に驚きを禁じ得ません(欧米各国の緑の党からのサポートがそれなりにあったようですが)。
 また、アジアの国々(韓国、ヴェトナム、フィリピンなど)からも若い参加者に会えました。
 彼らの多くは自分でインターネットに公開された情報を見つけ(多くの場合、親の反対を押し切って)応募したということでした。
 ヴェトナムからの参加者に将来の夢を聞いたところ(もちろんヴェトナムは共産党一党体制なので、残念ながら緑の党が結党される余地は大きくない)、自分たちがやっている学生NGOを軌道に乗せて、そこで働くことだと教えてくれました。
 彼女の夢が叶ってほしいものです。

 最終日には、川田龍平スピーチ。
 なんか、アフリカからの参加者たちには感銘を与えたようでした(たぶん、「権威主義的な政府の腐敗の犠牲者として、政府と戦う」みたいな話が欧米人には当たり前というか過去の話になっているのに対して、アフリカの多くの国では今そこにある現実であるから、かなという気もしました)。

 ナイロビで泊まっているホテルは(治安の問題などからいつもより若干ランクを上げているので)快適なのですが、インターネット環境が厳しいのが難点。
 設備が古いせいか、部屋から外線はかけられず、もちろんLAN環境もなし。
 インターネットカフェは比較的安いのですが、治安のせいか空いている時間が極めて短い(遅くても出かけるのが怖いというのはあるのですが…)。
 ただ、平日の昼間、たまにセキュリティのかかっていない無線LANを部屋や廊下から拾うことがあって、それでメールチェック(GMailを利用中)ぐらいはできることも…ある。
 泊まっているホテルの道路を渡った反対側は高級ホテルで、そこの無線LANもホテルのロビーまで漏れてきているが、これはさすがにセキュリティがかかっていてアクセスは不能。
 ちなみに、正規で使わせてもらうと一日1200シリング(1800円ぐらい?)らしいです。

 ナイロビの治安はさんざん脅されてきましたが、『地球の歩き方』にあるよりはやや改善されている模様。
 とはいっても、世界でも有数の危険地帯であるのは間違いないので、十分気をつけたいと思います。

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January 7, 2007

川田龍平氏、参院選に出馬

 個人的な友人でもある川田龍平君が次回の参議院選挙に立候補するということがニュースになっています。

 個人的には前々からその意向を聞いていたのですが、本当はもう少し後に発表するつもりだと思っていました。
 まぁ、どっかからばれてしまったなら仕方ない、というところなんでしょう。
 なので、彼自身の公式サイトブログにも発表がないという事態。

 川田氏は、僕より上の世代だと、日本中を騒がせた薬害エイズ問題で知らぬ人はないという感じですが、大学生ぐらいだと知らない人も少なくないのが実情のようです。
 彼が親子連れと会うと、母親が「あなた、川田君よねぇ。大きくなったわねぇ」とかはしゃいでいて、子どものほうが「…誰?」みたいな不審そうな顔でその様子を見ているのがちょっと面白い。
 しかし、選挙という意味では、ワン・イッシュー候補ではもはや通用しないと言うことなんでしょう。

 で、幸いなことに、彼は(少なくとも友人として見る感じでは)わりと柔軟な思考の持ち主だし、いろんな問題を対局から見られる政治家になれるんじゃないかと思っています。

 日本の左派の問題として、英ブレア政権の「ニューレイバー」に代表される経済政策の「現実路線」も取れない一方で、フランスのシュヴェヌマン派やらベネズエラのチャベスやらに代表される「オルタグローバル」路線にも感度が鈍い、冷戦構造をそのまま引きずった旧態依然っぷりがあるでしょう。
 その点、私が彼と出会うきっかけになったのは、オルタグローバル運動の大集会である社会フォーラム関連の集会でのことでして(たしか、2002年にインド・ハイデラバードで行われたアジア社会フォーラムの報告会だったと思う)、まぁ、そういうところに出てくる意志というか、感性のある人なんだと評価しているわけです。

 ちなみに、彼としては「過激派の集まりだったらどうしよう」と不安でもあったらしく、わりとおっかなびくりやってきたようです(笑)。
 もちろん、2ちゃんねるで話題になるほど、日本の左翼が団結しているわけではない…っていうか、分裂と内ゲバが左翼の習性なので、別にお互いよく知っているというわけでもないし、こういうのは蓋を開けてみるまでどんな人間が来るか、解らないのです(まぁ、2ちゃんねるで妄想されているような大組織があったらとっくに「革命」が起こっているわけで…)。
 私も別になんらかの左翼組織に属していたわけでもなく、社会運動に積極的に関与するようになったのは2001年にヴァンダナ・シヴァの活動に接したのがきっかけなので、「業界」(笑)にそんなに詳しいわけではないのですが…。

 その後、翌年のムンバイ(インド)で行われた第四回世界社会フォーラムに一緒に行ったりして、割と断続的につきあいが続いているわけです。

 選挙前にいいのかよ、という気もしますが、実は今月末にナイロビで行われる第7回世界社会フォーラムにも彼と一緒に行ってくる予定だったりします(これについてはまたこのブログでも報告させて頂きます)。
 多くの方がご存じの通り、アフリカのエイズ問題は現代社会を象徴するような問題ですから、彼としてもこの機会は見逃したくないのでしょう。
 彼の選挙に関与しているわけではないので、その間のマスコミ対応なんかがどうなってるのか知りませんが…(笑。

 そんなわけで、これまでもそれなりに議論をする時間もあったわけですが、憲法問題をのぞけば意見の齟齬は感じないので、是非当選していただきたいと思っています。
 まぁ、朝日の記事「東京HIV訴訟元原告の川田龍平氏、参院選出馬へ」では彼は

 立候補の理由について「教育基本法が改正され、憲法も、という不安が増した。いのちや人権を守る憲法があったからこそ訴訟で国を相手に闘えた。今こそ憲法を守りたい」と話している

 と述べたと伝えられていて、憲法こそが最大の争点ということになっているのかもしれませんが、願わくばそういった戦後・冷戦構造の残余の問題だけではなく、グローバル化の問題に切り込むオルタグローバルな政治家として活躍して頂きたいところです。

【追記】(2007.01.13)
 昨日、出馬表明の正式な記者会見があったようです。ブログも更新されています。
 川田龍平を応援する会(準備会) ホームページも出来ていたり…。
 そのあと行われたパーティには出席して、「決意」を聞いてきました。
 そのあたりについてはまた機会があれば後日…。

September 10, 2006

「生存の権利のための闘い インド・プラチマダから」『季刊ピープルズ・プラン』36号

「生存の権利のための闘い」『季刊ピープルズ・プラン』 No.35

 ピープルズ・プラン研究所の機関誌『季刊ピープルズ・プラン』に先日インド、ケララ州を訪ねたときのレポートを載せて頂きました。
 本当は、オラヴァナの住民による水道管理、科学コミュニケーション団体KSSPの活動などについても書くつもりだったのですが、枚数の関係などで今回はプラチマダのコカコーラ工場の問題に集中しました。
 販売している雑誌であることから転載は避けますので、よろしかったら買ってください。
 2004年に発表された「プラチマダ宣言」だけは翻訳を転載しておきます(「宣言」の文脈については拙稿をご覧いただければ幸いです。「宣言」である以上、たぶん転載歓迎と言うことになると思います)。


「生存の権利のための闘い: インド・プラチマダから」
  2006 『季刊ピープルズ・プラン』 2006年夏号 [Amazon] / [bk1] /[楽天]



【プラチマダ宣言】
(2004年1月 ケララ州プラチマダでの世界水会議にて採択)

 水は生命の基盤である。それは自然からの贈り物であり、地球上の生きとし生けるものすべてに属する。

 水は私有財産ではない。それはすべてを支えている共有資源である。

 水は根源的な人権である。それは保全され、護持され、管理されなければならない。水の枯渇と汚染を防ぎ、後の世代のために守り伝えることは我々にとっての根源的な責務である。

 水は商品ではない。水の市場化、私有化(民営化)、企業化といった全ての犯罪行為に抗していかなければならない。それによってのみ、我々は世界のすべての人々のための水のための根源的で不変の権利を保証することが出来る。

 水に関する政策はこういった見地を基本として策定されなければならない。

 水を保全し、利用し、管理する権利は完全に地域のコミュニティに帰属している。これこそが水の民主制の基本である。この権利を縮小しようとしたり、否定しようとしたりするすべての試みは犯罪的である。

 コカ・コーラやペプシ・コーラの有害な生産物の生産と販売は全面的な破壊と、汚染と、なにより地域コミュニティの存立の危機をもたらす。

 プラチマダ、プドゥチェリーなど、この世界の様々な場所でわき起こった抵抗運動は、我々の水を略奪する悪魔的な企業ギャングへの様々な形式の闘いの象徴である。

 プラチマダの恐ろしい商業的圧力という責め苦に抗するために立ち上がったアデヴァシ(先住民)たちと連帯した闘争の場にいる我々は、すべての世界の人々にコカ・コーラとペプシ・コーラのボイコットを呼びかける。

July 12, 2006

スウェーデン緑の党Per Gahrtonさんと語る会(7月9日)報告

 「緑のテーブル」などの主催によるスウェーデン緑の党である「環境党・緑」創設者ペール・ガットン氏との交流会に出席。当初は通約をやらされそうだったのだが、そこは(大阪外大のスウェーデン文学研究者が協力してくれたことなど)諸般の事情により免れることが出来た。ただ、手元にメモはつくってしまったので、せっかくだから概要を報告。

 以下、簡単なまとめ。

▼緑の党の結成
 ガットン氏は若い頃は20年にわたり自由党のメンバーであり、個人の自由を重視するという立場であって、決して計画経済の支持者ではなかった。1979年に自由党から議員になるが、1980年に原発問題が勃発、原発導入に積極的だった自由党に疑問を感じて程なく議員辞職、環境政党の設立に動き出した。
 スウェーデンでは原発が国民投票にかけられたが、単純なイエス・ノーを問うものではなく、3つの選択肢が用意された複雑なものであった。ひとつは保守政党が準備した、12の原発をつくるが2010年までにそれらは全廃するという「一時的原発案」、もうひとつは左翼政党が支持した「国家の厳格なコントロールの元で原発政策を進める」というもの。そして「完全なノー」。これは前者二つが「なにか現実的な案である」と見せようと言う政府の策略であったが、それが功を奏して、第一案が多数の支持を得た。ちなみに現在、2機の原発は停止させられたが、保守政党はこの国民投票が「現在の情勢を反映していない」として残り10機の原発停止に反対している(最大与党である社会民主党は廃止を約束している)。
 下野したガットン氏は20ページほどの宣言文を作成、数百人の支持者に送るとともに、新聞紙上などで環境政党の発足を呼びかけた。『未来の政党が必要だ』という著作も出版された。これに呼応した人々によりスウェーデンの主要都市や各地の郡で集会が開かれた。一部の環境運動家からは、政党化すれば運動は絶対的に腐敗するとして、政党化そのものへの反対も聴かれた。欧州のいくつかの国では環境運動体がそのまま緑の党を形成すると言うことも見られたが、こうした反対意見も考え、スウェーデンではそういった手法は採らず、個々人が自分の意志で参加するということにこだわった。
 広く市民の意見を募り、集会で選出されたワーキンググループで一年かけて党の基本政策がつくられた。環境だけを扱うワン・イッシュー政党にするか、幅広い問題について政策を提示するかについては議論になったが、人々が投票先を決めるとき、環境のことだけを考えるわけではないとして、広く政策を提示する方針が採択された。ただし、現在でも緑の党は一般に「環境と平和」を扱う党であると見られており、世論調査でもそこのところの政策を支持するという回答は多くても、例えば経済政策で支持する政党に緑をあげる有権者は多くない。
 しかし、その方針に反するように、「環境党」という名称が採用された。これは人々の認知をえるのにもっとも有効な名前だと考えられたからである。後に他のヨーロッパと同様に、緑の党という名前が採用された。ノーベル賞物理学者で反核運動家のハンネス・アルフヴェンなど、著名な知識人が支持を表明した。しかし、最初の二度の選挙では敗北。野心を持って近づいてきた人々など、多くの人が離れていったが、結果的にはそれなりに志のある人間を選別する機会になった点で、敗北も意味があった。


▼緑の党の政策と活動
 三回目の選挙で議席を得、その後は着実に支持者を増やしてきており、現在は他のヨーロッパ諸国同様、国会で一割弱の議席を有する。野党で、批判勢力であるべきだという議論もあるが、ガットン氏は積極的に政策協定などを結び、国政に影響を及ぼすべきだと考えている。現在、与党に対しては閣外協力の位置にあるが、そのさいにいくつかの政策協定を結んだ。
 第一に、労働による収入ではなく、消費に対する課税を進めるべきだという考え方から、所得税を削減、その分をエネルギー税や消費税に切り替える方針をとっている(ただし、有機農法など環境に優しい生産法を採用している食料などには消費税の軽減措置がある)。これは(特に人口密度が低く、環境条件の厳しい北部などで)あまり国民に人気がない。
 また、ストックホルムなどの大都市への車の乗り入れへの課税も進めており、これは社会民主党が「導入しない」という公約を掲げたものだったので議論は紛糾したが、「実験的に」行われている。当初、有権者の反応は厳しいものだったが、渋滞も解消されて、公共交通機関などもスムーズに動くなどの結果を目の当たりにして、現在はこの政策の支持が不支持を若干上回った状態である。現在、中道右派政党もこの法律に反対しているが、考えてみれば教育や福祉などの「自己負担」を求める彼らが、都市の道路だけはフリーライダーを認めているというのはおかしなことだろう。
 最後に、「フリー・イヤー」制度がある。これは、これまで出産、病気、教育の場合において認められていた一年の長期休暇を、いかなる理由であれ認める、というものである。条件としては、同等の能力を持った失業者が雇用されることである。この場合、それまで労働者に払われていた給与が失業者に払われ、それまで失業保険として払われていた金額(正規給与の8割)が休暇中の労働者に払われる。従って、国家負担は変わらない。これは「働きたいものは職を得る権利があるという考えは支持するが、労働者を際限なく増やす方向で右肩あがりの成長が必須の社会を支持するわけではない」という緑の党の基本的な立場を制度化したものでもある。緑の党以外の諸政党はすべて、労働者に怠け癖をつける政策だとして批判しているが、実際に利用された例を見てみれば、その一年を利用して勉強できたとか本を書けたとか、労働者はその制度を極めて有効に利用していることが解る。また、失業者にとってもジョブ・マーケットに戻ることが出来たという感想が多く、他党の批判は根拠がないと思われる。
 
▼緑の党の組織
 政党組織はほぼ必ず腐敗するという認識は極めて重要である。そのため、我々は腐敗を防ぐ多くのシステムを採用している。民主的であることのためには、政策内容と形式(content and form)の両方が重要なのである。例えば、男女二人の共同代表制などがある。しかし、マスメディアは代表一人を決めたがるもので、結成後ながらくは男性ひとりのほうを代表と見なすという傾向は抜けなかったが、20年以上しぶとく共同代表の概念を主張してきた甲斐あって、最近はやっとメディアのあいだでも「緑の党は男女一人ずつの共同代表制」という原則が理解されるようになってきた。
 また、党大会でも、発言は男女交互でなければならず、どちらかの性が余ってしまったら、別の性の発言者が現れなければ発言できないということになる。もちろん、多くの場合あぶれるのは男性である。しかも、男性の場合、「自分が発言した」という事実をつくるために、他の人と同じことをしゃべる場合もあるので、そういう行為を牽制する意味もある。他にも発言の回数を平等化するために、発言の前に「今日何回目の発言です」と宣言する制度も考えられていたが、これはあまりにも評判が悪いために撤回された。
 議員を務められる回数も、スウェーデン国会で三期(発足当時、スウェーデン議会の任期は3年だったため9年、現在は4年にのびたため最長12年ということになる)、欧州議会(任期5年)で二期までである。ガットン氏も94年の欧州議会発足から二期、議員を務めて2004年に引退した。経験によってできることも増えてくるが、当初のモチベーションも失われるのも事実なので、「何年がいい」という答えはないが、一定の期間で引退する制度は決めておく方がいい。
 スウェーデンより二年早く結成されたドイツ緑の党では、ドイツ議会が4年任期であるにもかかわらず6年の定年制を定めていたため、議員は二期目の半ばで辞職していた。これはあまりに効率が悪いので、ドイツ緑の党では現在、定年制度はうやむやになっているようである、無理をするのもよくないと言うことか。
 

▼緑の党と他党の違い
 緑は一般に中道左派とみなされているが、実際は伝統的な左右の対立軸の直線上に乗らないことが望ましい。与党社会民主党の主流派は労組などの支持を受けており、福祉国家(大きな政府)を求める一方で、経済成長には積極的である。緑は成長の限界という概念を支持している点が大きく異なる。また、スウェーデンは労働者の雇用を手厚く保護している点については緑にも異存はないが、大企業に対する規制と中小企業に対する規制は異なるべきであると考える。教育についても社民党は公的な教育以外の手段を認めたがらないが、緑は、最低限の保証は国家がするべきであると考える一方で、モンテソーリなどの実験的教育を民間が担い、親がそれを選択する権利は保障されるべきだと考えている。この意味で、多くの政策において、緑は社民のやや右よりに位置する中道左派だと見なされることになる。
 多くの場合、ラテン圏(フランスやスペイン)の緑はよりラディカルな左派であるが、北欧などでは、こうした中道的なポジションを採ることが多い。フィンランドなどでは、緑の党は保守派の政党と連立を形成している。
 労組に指示された社民党主流派を「灰色」の社民と称するが、それらの人々はスウェーデンの伝統産業である製鉄や製紙などの労働者からなり、従ってエネルギー課税などには反対である。一方、多数派ではないが一定数の社民党議員は環境問題に理解を示しており、その人々とは政策的にほとんど差は見られない。現在、首相の私的顧問の一人も著名な環境活動家であり、その人物の政策などは緑とまったく齟齬がない。その影響もあって、首相はスウェーデン社民党の伝統的なキャッチフレーズである「人々の家」を改変して、「緑の人々の家」をキャッチフレーズとして使い始めている。
 すべての緑の党にとっての最大のディレンマは、環境問題について理解が広まったり、問題が解決するたびに逆に緑の党の必要性は薄まると言うことである。例えば、オゾン排出の問題が解決されたことは人々にとって緑の党を選ぶ理由がひとつ少なくなったことを意味するし、おそらく原発などもそうなるであろう。


▼春日の感想
 もちろん勉強することは重要で、日本に環境政党を定着させることを考えるとすれば、各国の事例に学ぶことや、各国とのネットワークの構築は欠かせないだろう。しかしながら、本当はスピヴァク流に言えば「学び捨てる unlearning」ことこそが重要なのである。
 例えば、Free Yaerは確かに、労働の権利と持続的な社会という両方の理念を満たす社会をつくるための、興味深い実験であるし、そうした手法を生み出せるスウェーデンには敬意を表するべきであろう。それには、運動にあたって、きちんとした哲学を練っておくことと、経済や法律に対するプロフェッショナルな知識を動員できることの両方が欠かせないのである。
 しかし、根本的に「労働」の価値に対する懐疑と敵意が残っている欧州諸国ですらもFree Yaerの導入への抵抗が大きいのであれば、ほっておけば死ぬまで働いてしまう日本人の社会でそれを行うことはなおさら困難であろう。例えば、Free Yaerの導入が日本において(少なくとも一朝一夕には)政策目標になるわけではない。
 現在の日本で必要なのは、彼らの手法や理念を学ぶことではなく、そうした美しい「結論部分」は一度忘れ去り(unlearn)、そこにいたるまでの四半世紀にわたる苦闘から学ぶべきであろう。つまり、ヨーロッパ人がたどり着いた結論を利用するのではなく、タウンミーティングなどで地道に綱領と政策についての議論を重ねてきたプロセスを学ぶべきであろう。(結論としては同じようなところにたどり着くとしても、議論をしたという経験そのものが運動の基盤を形成するはずであろう)
 これは政治的な右翼、左翼を問わず、西洋の文物を取り入れることで繁栄を維持してきた日本人がもっとも苦手とすることかもしれない。また(哲学面は兎も角)、特に政治・経済の「プロフェッショナル」が社会運動に入ってこないという問題が、これまでの議論を非現実的にしてきた面は否めないであろう。もちろん、NPOやシンクタンクなどのセクターが貧弱であることの問題はある。また同時に日本ではプロフェッショナルという言葉が「ある技術で食える人」というふうに解釈されているという文化的問題もあるかもしれない。Profess(公言する)という語源を考えれば「プロフェッショナル」という言葉は本来、「その技術で社会に役立つことを宣言した人(社会はその対価として権威と食い扶持を付与する)」という(契約論に基づいた)言葉であって、たまたまニーズに合致する技能があったから推移律的に食える、ということでは十分ではなく、長期的ないし社会的なヴィジョンに基づいて自分が食えるための条件を設定、それを満たすという反省的・投影的な自意識が必要なのである。
 環境運動を成功させている人の講演はもちろん興味深いし、日本の活動家を元気づけるということはあろうかと思う。しかし、そこから何を「学び捨てる」か議論されなければ、なかなかその先がないということも強調される必要があるだろう。

June 17, 2006

ジョゼ・ボヴェ、仏大統領選出馬表明

 

 ロイターによれば、ジョゼ・ボヴェが2007年に予定されているフランス大統領選に出馬を表明した模様。
 Bove sets sights on French top job (CNN.com)

 ボヴェは「私は歯止めのない自由市場に反対する左派を連合させるための候補だ。それは、環境的で、反生産至上主義、反グローバル主義の候補と言うことであり、また社会党の左に位置する候補と言うことである」と述べたらしい。
 同時に、ニコラ・サルコジ内相による郊外の若者たちの暴動に対する厳罰主義(「法と秩序」ポリシーと呼ばれる)を避難し、人種主義も郊外の排除も認められないと述べた。

 今のところ左派の候補として決選投票に望む可能性が高いのは最大野党であるフランス社会党の候補であろう。ちなみに社会党は環境大臣や教育大臣を歴任し、オランド党首のお連れ合いでもあるセゴレーヌ・ロワイヤルを党の候補として選出するのではないかと推測されている。しかし、フランスの情勢を考えてみると、まったくボヴェに可能性がないというわけでもない。

 ジョゼ・ボヴェはフランス・ラルザックに拠点を置く反戦・農民活動家であり、フランス農民連盟(Confederation Paysanne)や通貨取引税の導入を求める世界的な運動ネットワークであるAttacの幹部としても知られる。
 1999年にはEUがホルモン添加(発ガン性が指摘されていた)された牛の輸入を規制したことに対し、アメリカがロックフォール・チーズなどに対抗関税を課したことなどに抗議、ミヨーに建設中であったマクドナルドを「襲撃」してみせるパフォーマンスで一躍有名になった。実はこの「襲撃」は地元警察とも合意済みの演出されたパフォーマンスであったらしい。しかし、当時世界貿易機構(WTO)閣僚会議を控え、経済のグローバル化(ネオリベラル化)を巡って緊張が高まっていたため、世界各国のメディアがこの「襲撃」を反グローバル化、反WTOの象徴として報道、ボヴェの名は(本人の意図以上に)世界的なものになっていく(最終的にはこの事件でボヴェは6週間投獄される)。
 その後もアメリカ、ブラジル、インドなど各国で行われる反ネオリベラリズム運動に姿を見せ、ボヴェの存在はフランス内外で象徴的なものになっていく。特に、モンサント社の遺伝子組換え作物実験農場を「襲撃」、育てられていた遺伝子組換え作物の引き抜きを行ったことにより逮捕されたことは、世界中の話題をさらった(この事件では14ヶ月の判決を受けるが、イラク問題を巡るアメリカとフランスの対立激化などによって、国民融和を望んだシラク大統領によって特赦を受ける)。この問題については「私有の権利に対する度し難い侵害」という立場と「一般人の生活が脅かされていると判断できる場合は、緊急避難的に(特に法人の)私有の権利は制限されうる」という立場の間での議論が噴出した。法的にはボヴェに一定の責任を負わせる判決が下されたが、一般に政治活動や自己表現に対して寛容なフランス社会はボヴェを「大統領より有名な政治活動家」として評価する傾向にある。
 このあたりの感性は日本社会とはだいぶ異なると言える。とは言っても、モンサント実験農場襲撃直後の2002年に(私もちょっとだけ加わって)ボヴェを日本に招待したが、京都でも学生を中心に(京都での公演が平日の午前中になってしまったから)200人ほど集まったし、東京では700人の会場がいっぱいになり入場を制限する事態となったので、ボヴェの注目度は(諸外国ほどではないとはいえ)日本でも決して低くはなかった。
 ボヴェは2005年に農民連盟やAttacの活動の一線から身を引くことを表明したが、その後については明言を避けたため、さまざまな憶測を呼んでいた。政界進出(大統領選の他に、比較的左翼が優勢な欧州議会を目指すという観測もあった)を狙うという可能性や、逆に本来の農民としての生活に戻るのだという可能性が示唆されていた。
 今回、2007年の選挙キャンペーンを控えて、公式に前者を表明した形である。

 フランスの大統領選は例年、十を超える政党やグループが候補を出して、左右入り乱れた選挙戦が展開される。通常は中道右派の統一候補と社会党の候補が上位二人の決選投票に臨み、そのどちらかが選ばれることになる。前回2002年の選挙でもそうなることが予測されていたわけであるが、左派の内部分裂や反EUの気運に乗って極右政党である国民戦線のル・ペン党首が決選投票に進み、フランス全体を震撼させたことは記憶に新しい。
 背景には、もちろんシラク大統領率いる中道右派、は市場主義経済を重視している。また、英仏同様、フランスでもジョスパン首相(当時)率いる社会党もEUの経済統合に熱心であり、その結果としてポーランドなど域内の低賃金地域から労働者が流入するという危機感が社会的に高まっていた。そういった不安をついて、ナチス・ドイツを擁護する発言などで知られる極右の国民戦線ル・ペン党首が決選投票に進んでしまったという事態が起こった。ル・ペンの支持が伸びた理由としては、ナチスを支持すると言った人種主義的な言動を押さえる一方で、拝外主義的で過激な主張の「わかりやすさ」を経済政策に結びつけたことである。つまり、「生粋フランス人のための社会主義」を標榜したことによって反EU、反ネオリベラリズムを望み、左派の弱腰に失望した層の支持を掘り起こしたのである。
 従って、EU化を進める社会党と国民運動連合の中道左右のさらに両極に、EU化、ネオリベラル化に反感を持つ一定の層がいることが見て取れる。あとは、それらの票がどの程度と推察されるかである。ここで、ちょっとだけ2002年の大統領選の結果について考えてみよう。2位のル・ペン(国民戦線)と3位のジョスパン(当時首相 社会党)のあいだの差はわずか0.7パーセント、票数にして20万票ほどであった。また、16パーセントほど確保すると決選投票に進める可能性が出て、20パーセントほども集めると、決選投票進出がほぼ当確であると言うことが解る。
 候補者を簡単に見てみると、4位につけているUDF(フランス民主主義のための連合)はジスカール・デスタン元大統領派の中道右派で、現在はシラクの指揮するUMFに事実上吸収合併されている。5位のアレット・ラギエ率いる労働者闘争と8位のオリヴィエ・ブザンスノ率いる革命的共産主義者連盟はトロツキスト政党であり、このあたりは潜在的にはボヴェ支持に回る可能性が高い。トロツキストがオーソドックスな共産党より票を確保するのがフランス大統領選挙の面白い特徴である。6位のシュヴェヌマンは社会党左派で、ジョスパンとは元々親しかったとされるが、彼の経済政策を批判して社会党を離反、独立候補として立候補した。もちろんシュヴェヌマンの支持層はボヴェの支持層と重なるであろう。また、『右傾化に魅せられた人々 自虐史観からの解放』などを読む限り、シュヴェヌマンとル・ペンが若年層の支持者を食い合っている可能性はけっこう高い。シュヴェヌマンでは物足りなくてル・ペン支持に回った若者たちがボヴェの戦闘性に期待するとすれば、実はボヴェの立候補で一番票を食われるのは穏健派の社会党候補ではなく、ル・ペンかもしれない。
 このほか、もちろん緑の党なども反遺伝子組換え作物を掲げるボヴェ支持に回る可能性が大きい。ちなみに去年、ボヴェは共産党、緑の党、革命的共産主義者連盟の支持が取り付けられれば出馬は可能であるという見通しを示したことがある。単純に前回の選挙に当てはめてみると、これら三派の統一候補は約13パーセントを確保できることになる。従って、うまく「極左」連合を実現すれば(つまり独自候補を立てるであろう社会党以外の左派の票を積み上げられれば)一時投票でボヴェが15〜20パーセントの得票を取ることはそう難しくないのである。…もちろん、問題は自己主張の激しいこれらの左派が「統一候補を立てる」ことなど出来た試しがないということであるが、そこにこそボヴェのカリスマ性が生きてくる可能性があるところでもある。

 2002年の決選投票では、極右大統領を許すなというかけ声のもと、国民的な運動が高まり、シラクが8割を得るという大差で大統領が決まった。今回、ボヴェが決選投票に進んだ場合、6割のフランス国民がどちらに振れるのか、興味深いところではある。もちろん相手にもよるが、中道右派の候補は国民運動連合党首で高い人気を誇るニコラ・サルコジになる公算が高い(もう一人可能性が高いのはイラク戦争を巡る対アメリカの外交戦争で「勝利を収めた」とされるド・ヴィルパン首相である)。しかし、過激な治安対策やイスラム政策などを掲げるサルコジは、ル・ペン支持層の票を与党に取り込むために登用された「こわもて」であり、これも一般的な中道派市民が気軽に投票できる相手ではない。CNNの記事によれば世論調査でボヴェとサルコジはそれぞれ42パーセントと58パーセントの支持を得て、勢力は拮抗している(詳しく書いていないが、たぶんこの二人が決選投票に残ったらどうするか、という想定の質問だと思われる)。

 いずれにしても、チャベス(ベネズエラ大統領)、ルラ(ブラジル大統領)など、ラテンアメリカを中心に第三世界における反米、反ネオリベラリズムを掲げる政治家が高い支持を集める傾向があり、もしボヴェ大統領の誕生と言うことになれば、それらの流れの中核にフランスが位置することになる(ATTACは特定の政党組織を支持しないという合意があるが、ボヴェと同じATTAC設立メンバーであるルモンド・ディプロマティックのイニャシオ・ラモネとチャベスは親しいなど、これらの関係は緊密である)。ちょっと中立っぽく書いているが、日本でATTAC運動や社会フォーラムの普及を望んできた私としても、非常に面白い展開である。これから一年の選挙戦に期待したい。

 ちなみにサルコジとボヴェのどちらがなっても、ポンピドゥ以降、フランスの政治エリート養成校ENA(国立行政学院)出身ではない30年ぶりの大統領となるのが面白い(ボヴェは大学入学資格は取得したものの進学しなかったので高卒。サルコジはグランゼコールのひとつであるシアンスポ中退。ただし、ボヴェの父親はカリフォルニア大学などで教鞭を執った生物学の教授であり、完全に非「エリート」層出身というわけではないのが面白いところ)。

May 14, 2006

ブックガイド『トービン税入門: 新自由主義的グローバリゼーションに対抗するための国際戦略』

ブックガイド:
『トービン税入門: 新自由主義的グローバリゼーションに対抗するための国際戦略』
 ブリュノ・ジュタン(著) 和仁道郎(訳) 金子文夫(解説) 2006 社会評論社

トービン税入門


 通貨取引税(通称トービン税)はケインズ派に属するノーベル賞経済学者であるトービンが提唱した国際税で、為替取引に対して課税することにより、為替に対する投機的取引を抑制し、通貨を安定させることを目的にしている。その後、97年のアジア通貨危機をきっかけとしてフランスのルモンド・ディプロマティック誌に掲載されたイニャシオ・ラモネの論説「金融市場を非武装化せよ」をきっかけに、トービン税を導入することで市場の安定化をはかるとともに税収を貧困や環境問題のために使うべきだという運動がヨーロッパを中心に広まった。ラモネ自身が設立に関わったフランスのATTACは、そうした主張を掲げる団体のうち、最大のもののひとつである。
 しかし、トービン税に関しては、その導入の可否を巡って様々な問題が指摘されていた。本書は、パリ第13大学(ノール)の経済学助教授であり、ATTACフランス学術委員会のメンバーでもあるブリュノ・ジュタンによって書かれた、そうした批判への応答である。本書の主張は必ずしもATTAC の公式見解ではないが、ヨーロッパ各国(特にドイツや北欧で活発である)に広がったATTACの主張をある程度広範に反映したものになっている。

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May 1, 2006

ケララ 消えゆく夢の国か?


Originally uploaded by skasuga.

 今回、10日程度ですが、南インド4州の一つ、ケララ州を訪ねてきました。
 主要な目的は水問題についての調査なのですが、その中でケララ全体についても当然、ある程度は目に入ってきたというのもありますので、そのあたりを含めてご報告します。
 たぶん、調子がよければ3回シリーズぐらいで…

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April 20, 2006

「非暴力直接行動」の社会的意味

 「メーダ・パトカル、中央政府には一勝。『インドのヒットラー』との対決へ?」では、反ナルマダ川開発運動のリーダーとして知られるメーダ・パトカルのハンガー・ストライキがインドで高い効果を収めている、という話を書いた。

 ハンガー・ストライキやデモといった、所謂「非暴力直接行動」とカテゴライズされる政治活動の意義と必要性は多くの論者が認めるところであるが、その範囲については議論がつきないところである。

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April 18, 2006

メーダ・パトカル、ハンストを終了。闘争は最高裁へ

 「メーダ・パトカル、中央政府には一勝」で報告したメーダ・パトカルのハンストが一応一区切り着いたようなのでメモ。

 メーダ・パトカル他2名は「最高裁が問題に目覚めた」(最高裁がNBAの提出していた書類を受理したことなどを指すと思われる)ことなどを理由にV.P.シン(国民会議派議員。元連邦首相)らの説得を受け入れ、21日間のハンガー・ストライキを終了、闘争は次のフェイズに移されると宣言した。

 また、ハンストに対するアミル・カーン、ラフル・ボース(どちらもボリウッド・スター)らのサポートに感謝を表明。
 同時に、ナレンドラ・モディが"Jalhatya"(水殺し)という「もう一つの凶悪な罪」に関与してきたのだ、と非難した。

 続き:「『非暴力直接行動』の社会的意味」

関連記事:
 Medha Patkar calls off fast
 Medha Patkar ends fast

April 17, 2006

メーダ・パトカル、中央政府には一勝。「インドのヒットラー」との対決へ?

 インドの聖河の一つ、ナルマダ川の総合ダム開発計画は、世界的な関心を集める環境問題の一つであるが、ここ数週間大きな動きを見せているので、ちょっとまとめてみる。
 発端となっているのが、開発計画中最大級のダムであるサルダール・サロバール・ダムの高さを111メーターから122メーターまでかさ上げしようと言うNCA(Narmada Control Authority ナルマダ管理当局)の決定であり、それに対して反対派のリーダーであるメーダ・パトカルが首都ニューデリーで無期限のハンガー・ストライキに入ったことである。

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January 27, 2006

図書新聞に『生物多様性の保護か、生命の収奪か』の書評掲載

 『図書新聞』(2760号 p.5)に、「映画『コーポレーション』ブログからリンクを頂きました」というエントリーでも触れた『生物多様性の保護か、生命の収奪か』の書評が載りました。


October 26, 2005

WBブログQ&Aと「魚ではなく釣竿をあげる」削除について 

 昨日の日記「彼らが釣り竿を持たなかったのではない。我々の驕慢が彼らの釣り竿を打ち砕いたのだ」で扱ったホワイトバンド・ブログの記事 「魚ではなく釣竿をあげる。」は削除されたようです。

 「ほっとけないキャンペーン」事務局の某氏から「チェック不足だった」というメールもいただきました。

 まぁ、とりあえずここは良かった(削除という方法が適切かは兎も角)ということにしておきましょう。
 しかし、やはりNGOサイドと、サイトをつくっている広告代理店サイドで、だいぶキャンペーンの方向性に関する認識に差がある上に、「ホワイトバンド・ブログ」などのインターフェイス部分は基本的には広告代理店が握っている、ということのようですね。
 ちょっとそのあたりはどうにかした方がいいというか、どうにかならないものか、というか…。

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October 25, 2005

彼らが釣り竿を持たなかったのではない。我々の驕慢が彼らの釣り竿を打ち砕いたのだ

 今日のホワイトバンド・ブログ「魚ではなく釣竿をあげる」の主張はあまりに非道い。

 ほっとけない・キャンペーン全体やホワイトバンドの販売方法に問題があるのは事実ですが、年間予算規模100億円を超え、法律や経済の専門家を抱える欧米のNGOと、基本的にはシロウトの集まりで専従も満足にいない日本の運動とに同じクオリティを期待されても、と思っていました。
 しかし、今日のブログがホワイトバンド・キャンペーンの基本思想を表したものであるなら、私はこの運動は支持できないし、国際的なGCAP運動の一端を担うものとしてもまったくふさわしくないと言わざるをえません。

 ブログ曰く

小麦粉をあげる。
作り方を教える。
パン工場をたてる。
そして作ったパンを売る。
そのお金でまた小麦粉を買う。
つまり、ずっと続けていけるシステムをつくることは、
100個のパンをあげるよりもずっと効果的で、発展性があるんです。

 
 これはIMF/世界銀行であれ各国政府であれ、ずいぶん昔から言ってきたことです。
 そして、このお仕着せがましい啓蒙主義が失敗したことで、世界の貧困と環境問題は深刻さを増してきたのです。

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October 9, 2005

ETV特集「アフリカと世界と日本と」

 ETV特集「アフリカと世界と日本と」(NHK 8日22時から)はMDGsや国連サミットの問題を取り上げていた。
 若干ホワイトバンド・キャンペーンにも触れていたが、基本的にはアフリカの現状を分析するという趣旨。
 出演は「ほっとけない」キャンペーン賛同団体でもあるアフリカ日本協議会の林達雄氏や『アフリカは本当に貧しいのか』などの著作のある勝俣誠氏。

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October 8, 2005

2006年世界社会フォーラム、東南アジア会場決定

 「多中心(polycentric)世界社会フォーラム」の一つとして、2006年10月にバンコクで社会フォーラムを開催するための準備委員会が動き出した模様です。

 世界社会フォーラムが、2006年はいろいろな人々が参加しやすいように、世界各地で分散開催される「多中心(polycentric)世界社会フォーラム」になるということはすでにお伝えしました。
 これまで決まっていたのはカラカス(ベネズエラ)、カラチ(パキスタン)、バマコ(マリ)で、それぞれ2006年1月に開催されます。
 しかし、アジアはカラチ一カ所でやるには広すぎるという意見もあがっており、時期をわけてもう一カ所でやれないかという議論になっていました。
 候補としてはフィリピン、ヴェトナム、インドネシア、韓国などもあがっていましたが、最終的にフォーカス・オン・グローバルサウスの拠点でもあり、インフラも整備されたバンコクが会場となることが決定されたようです。

September 27, 2005

ホワイトバンド雑感: 報道などを受けて

 「ホワイトバンドを巡る議論についての覚え書き」に関しては、この地味なブログにしては驚くべき量のレスポンスをもらったと思います。コメントもきちんと返せていませんが、貴重なご意見として読ませていたいています。まぁ、これというのも(こういっちゃなんですが)「ほっとけない」サイトがやや頼りなさすぎるせいかな、という気もします。もともと日本で常勤のいる国際関係NPOはわずかですし、今回のホワイトバンドも(たぶんこんな大事になるとは思っていなかっただろうから)やっとかき集めた NPO関係者とバイトで慌てて回しているという感じなんでしょう。
 ただ、そうはいってもネット上に溢れている反感のうち、多くの部分は少なくとも理論的にレスポンスを返せるはずのものですね。2ちゃんねるなどでずいぶん叩かれているキャンペーンですが、その中には当然の疑問も散見されます。(もちろん悪意だけで叩いている人もいるので、そのへんの峻別は重要ですね)例えば、なぜこれまでの援助は問題だったのか、どう方向転換しないと行けないのか、など、すでに欧米のNGOで分析が進んでいるところは(読者がそれに納得するかどうかはともかく)、もう少しきちんとした説明を出していけたはずです。

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September 24, 2005

ウゴ・チャベス(ベネズエラ大統領)、アメリカ合衆国の貧困層への石油援助などを表明


Originally uploaded by KASUGA, Sho.
 日本であまりニュースになっていないネタなので、アメリカのラジオネットNPRの番組、"Democracy Now!"でのインタビュー(MP3ファイルが提供されています)を要点だけ訳出。
 やっつけ仕事なので、間違いがあったらごめんなさい(元がインタビューなので、数字はもともとややいい加減です)。
 できればチャベスについての解説とかもつけたかったところですが、それをしていると記事をアップするタイミングを逃しそうなので、とりあえずアップしてしまいます。

 ちなみに写真は世界社会フォーラムで講演するチャベス。


・2002年の暗殺未遂はワシントンに指令されたものだと判っている。
・詳細はEva Golingerの"Chavez Code"に詳しい。
・ハリケーンの被害にたいして、ベネズエラは500万ドル(5億6千万円)を提供すると申し出、キューバは医師を派遣すると言ったが、被災地域に近づく許可は出なかった。
・(チャベスを暗殺すべきだと発言したテレビ伝道師の)パット・ロバートソンは孤立しているわけではなくて、ブッシュの側近たちの意志を伝達したのだろう。
・我々が子どもの頃は、母なる土地とはスペインのことだと言われてきた。しかし、実際はいくつかの「母なる土地」を持っている。そのもっとも偉大な一つは疑いなくアフリカである。
・我々は毎日自分たちのルーツがアフリカであることに自覚的になっているが、同様にアメリカも「母なる土地」だろう。
・(シモン)ボリバルが言っていたように、我々ラテンアメリカ人は、ヨーロッパ人でも、アフリカ人でも、北アメリカ人でもない、これらをミックスした新しい人種なのだ。
・しかし、アフリカについて考えることは(アフリカの置かれた現状を考えれば)大きな苦痛でもある。

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September 17, 2005

ホワイトバンドはチャリティじゃない、ってどういうことだろう? ニジェールの飢餓問題を事例に考える

 ホワイトバンド(昨日の記事および公式サイト参照のこと)はチャリティ(慈善)じゃないというのはその通りである。チャリティというのは、AからBにお金を渡すことであり、そこにはAのほうがBよりエライ、という含意が払拭しがたい。また、お金の使途についてはなるべく多くを現地の「困っている人」に渡す方がよく、その使途のモニタリングに消えていくのは「効率が悪い」と考えられたりもする。そこで、むしろ欧米ではホワイトバンドが「チャリティであるべきではないのに、チャリティっぽく宣伝されいてる」「ドナー側(のボノやゲルドフ)が偉そうだ(白人のくせにっ!)」「現地の声がほとんど聞こえてこない」といった非難が多かったように思う。本来、チャリティで世界が救えるという考え方が時代遅れだと見なされているのである。ところが、日本では「実はチャリティではない」ことに批判が集中している。なぜそこが欧米と日本で逆転してしまうのか、「ホワイトバンドを巡る議論についての覚え書き」の続きで議論してみようと思っていたのだが、その前に、この問題に深く関係するニュースが報じられたので、チャリティの必要性と限界について考えてみよう。

※ ところで、些細なことですが「ホワイトバンドは募金じゃない」としているのは間違いで、その使途がチャリティであれ政党活動であれお寺の建設であれ、そしてもちろんNGO活動であれ、一般にむけて広く資金を求めたら「募金」でいいんだと思いますけどね。日本語としては…。

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September 14, 2005

ホワイトバンドを巡る議論についての覚え書き 1.ホワイトバンド・キャンペーンの国際的な背景

 ホワイトバンドを巡る議論がかなり混乱しているようなので、ちょっとまとめに挑戦。
 さらっと書こうと思ったのですが、書けば書くほど書かないと行けないことが出てくる感じで、とりあえず1/3ぐらい。
 日本国内についてや日本とアフリカの関わりについては、書ければまたもうちょっと書きますがとりあえず「GCAPって何?」ってあたりをまとめてみました(コメントがいっぱいつくともっと書く気になるかも、と言ってみるテスト)。
 ちなみに面倒な人は結論だけ読むのも可。

  ◎◎ホワイトバンドを巡る議論についての覚え書き◎◎

1.ホワイトバンド・キャンペーンの国際的な背景

 まず、もう一度背景を復習しておこう。ホワイトバンド・キャンペーンおよびLive8は、GCAP(Global Call to Action Against Poverty)と呼ばれる国際的なプロジェクトの一部である。このプロジェクトは各国のNGOによって多中心的に発展しており、日本でもオルタモンドや英国の巨大NGOオックスファムの日本支部などによって「ほっとけない」キャンペーンとして担われている(どこかに本部があるわけではなく、一定の目標を共有した独立のNGOがそれぞれのフィールドで活動を展開している)。GCAPは主に4つの目標を提示している。つまり、(1)貿易の公正。(2)債務の帳消し。(3)援助の質と量の増大。(4)国連の提示するミレニアム開発目標への国レベル、国際レベルの協力と、そのための(第三世界における)水道インフラなどの公共サービスの充実。

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August 20, 2005

NHK特集「ウォーター・クライシス: 水は誰のものか」


Originally uploaded by KASUGA, Sho.
 石油獲得闘争よりも熾烈であると言われているのが生命としての人間に必須の資源、水をめぐる闘争である。
 21世紀は水戦争の時代とも言われている。
 これを巡り、今、世界中で問題が吹き出しているが、この問題について日本のメディアは大変動きが遅い、という印象であったが、今回のNHK特集「ウォーター・クライシス: 水は誰のものか」はかなり力が入っている。

 第一回の今日「狙われる水道水」は、第三世界に置いてヴィヴェンディに代表される多国籍企業がなにをしているかについての、フィリピンに置ける事例の紹介に始まり、カリフォルニアのフェルトンにおける水の公営化を求める運動、ウェールズのグラスカムリという「水供給のNPOモデル」(私もこれが最終的な回答になるのではないかと思う。ある意味で真の《民》営化である)の紹介まで、かなり盛りだくさんである。
 (写真は今年の世界社会フォーラムで行われていた、各地の水道の民営化の状況について話し合う会議の様子)

 明日の「枯れ果てる大地」はインドのパンジャブが舞台とのことなので、たぶんヴァンダナ・シヴァ『緑の革命とその暴力』で取り上げているような問題を扱ってくれるのではないかと期待。

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July 21, 2005

エゴグローバリゼーションって呼び方はどうだろう

 「グローバリゼーション」「反グローバリゼーション」という言葉は扱いづらい。
 常識で考えれば、国境という障壁抜きに人間同士が交流できるのはいいことに決まっているからだ。
 だから、とりあえず「反グローバリゼーション」という言葉は「オルタグローバリゼーション」(もう一つのグローバリゼーション」)という言葉で置き換える動きが進んでいる。
 しかし、それでも「じゃ、その、もう一つのほうじゃないグローバリゼーションはどういけないの?」というのが問題。
 「新自由主義的グローバリゼーション」という言い方もあるが、ちょっとキャッチフレーズに使うには冗長なのが難点。
 それに「自由主義」は別にわるいことではないので(日本ではあまり自由主義的でない政党が長いこと名前に使っているので、手アカがついているが…)、経済学的な「新自由主義」という用語を知らない人にはやや理解しづらいのが難点。

 で、ふと思いついたのだが、エゴグローバリゼーションってのはどうだろう?
 ちょうどラテン語でオルタとエゴが対義語だし、まぁ、「エゴ丸出し」みたいな言い方は「新自由主義」の理解の仕方としてそう間違っているわけではない。

 …ちょっと思いつきですが、このブログ、1エントリーあたりの文字数が多すぎる気がするので、たまには簡潔に書いてみました。
 

July 13, 2005

放送禁止になったMTV広告(?)

 以下のようなキャプション付きのパワーポイント形式ムービーが回ってきました。
 同じものが
 http://liste-arsiv.e-kaynak.net/A-Sinema/att-0551/CensuradoMTV_1.pps
 でダウンロードできるようです(自動再生方式なので、 Windowsの方はパワーポイントをお持ちでなくても再生されます。Windowsだと音も再生されるようなので注意。Macの方はパワーポイントが必要です)。

 簡単に翻訳をつけましたが、発信源や権利関係がよく解らないので、とりあえずの公開です(事実関係についても以前ニュースになっていたような記憶があるが…忘れました)。
 趣旨から言えば公開が望ましいのでしょうが、パワーポイント・ファイルの作り方を考えても著作権者(であると推量されるMTV)が自らリリースしたものであるという可能性は少ないように感じますので、著作権者から文句が来たら削除します。

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July 1, 2005

2006年世界社会フォーラム、アフリカ会場決定


Originally uploaded by KASUGA, Sho.
 これまで何度か触れている世界社会フォーラムですが、2006年はいろいろな人々が参加しやすいように、世界各地で分散開催される「多中心(polycentric)世界社会フォーラムが予定されています(2007年はまた統一開催に戻されることも決定していますが、その後どういう方式をとるかは決まっていません)。
 「オルタグローバリゼーション運動情報」の記事で触れたとおり、6月20日から22日まで、バルセロナ(スペイン)で行われていた世界社会フォーラム国際評議会は、多中心社会フォーラムのアフリカ会場として、バマコ(マリ)を決定しました。
 http://www.forumsocialmundial.org.br/noticias_01.php?cd_news=1857&cd_language=2

 その結果、現在までのところ公式に決定されている会場は以下の三カ所となります。

 南北アメリカ会場: カラカス(ベネズエラ) 2006年01月25日〜29日
 アジア会場: カラチ(パキスタン) 2006年01月26日〜30日(※)
 アフリカ会場: バマコ(マリ) 2006年01月24日〜29日

 ちなみに、バルセロナの会議では、2007年の世界社会フォーラムをナイロビ(ケニア)で開催することも決定したようです。
 バルセロナでの会議の詳細については、ウェブサイトないしメールマガジンで更新されると思います。

 私は西アフリカに行ったことがないので、俄然生きたくなってきました(筋からいけばカラチにいくべきなんでしょうけど…)。

 でも、当初はケニア、南ア、モロッコなどが候補に挙がっていましたが、なぜマリなのか、みなさん疑問に思うんじゃないかと思います(アフリカ大陸の中では比較的インフラの発達した南アやモロッコなどに比べて、マリは大規模な集会を開く場所という意味では不安が残るということもあります)。
 いろいろな要因があると思いますが、最大の理由は、社会フォーラムの協力者であるアミナタ・トラオレ氏(元文化大臣)がいるからというのが最大の理由でしょう。
 「声なき声のコンセンサス: 転機を迎えた世界社会フォーラムと合意形成の政治学」でも触れたとおり、トラオレ氏は「ポルト・アレグレ宣言」にも署名しています(写真はATTAC名誉会長ベルナール・カッセンらとポルト・アレグレ宣言を発表するトラオレ氏)。
 また、ル・モンド・ディプロマティックでも彼女の論考が読めます。

●「持続可能」な「開発」に異議あり
 アミナタ・D・トラオレ(元マリ共和国文化大臣)
 http://www.diplo.jp/articles02/0209-6.html

May 11, 2005

すべての問題はつながっている: 世界社会フォーラムからのメッセージ

WSF Venue

 以前、市民社会フォーラムでしゃべらせて頂きました内容をもとに、世界社会フォーラム(および京都社会フォーラム)の説明ムービーを作ってみました(Powered by Keynote)。
 5分弱のQuickTimeムービーです。

ブロードバンド
 http://skasuga.talktank.net/wsf2005/
ナローバンド
 http://skasuga.talktank.net/wsf2005/2005s.html

 再配布などはクリエイティヴ・コモンズ・ライセンスのもとで行っていただけますが、考えてみればけっこう元手がかかっていますので、もしお気に召したらペイパルからの投げ銭をお願いします(最下部の羊アイコンをクリックしてください)。

May 5, 2005

日中問題の系譜学 あるいはケインズの二つの悲劇

 大阪の左翼誌『人民新聞』に求められて中国問題に関するエッセイを書きました。ただ、800字という制約はあまりに厳しすぎ、十分自分のいいたいことを書き込めなかったという気分もあるので、以下に「ロング・ヴァージョン」を書いておきます。

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April 24, 2005

「声なき声のコンセンサス: 転機を迎えた世界社会フォーラムと合意形成の政治学」

 『アソシエ』 (第15号)に、今年一月末にブラジルで開かれた世界社会フォーラムのレポート「声なき声のコンセンサス: 転機を迎えた世界社会フォーラムと合意形成の政治学」を書きました。
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4275003721/kasugashowebs-22
 http://www.bk1.co.jp/product/2546950/p-skasuga25246

 前回の「多色の大河: 世界社会フォーラムに関する同時代史的考察」『アソシエ』 (第13号)の続編として読んで頂くと理解しやすいと思いますが、単独でもお楽しみいただけると思います。
 「運動か空間か」(つまり社会フォーラムがそれ自体は政治的な方向性を打ち出すべきではないのか、それともより積極的な代案提示を行うべきなのか)という議論や、共産主義とケインズ派の方向性の違いの問題などについて議論した上で、今回論争を呼んだ「ポルト・アレグレ宣言」の意義についての評価を試みました。
 「ポルト・アレグレ宣言」が、新自由主義に変わるもう一つの価値観を打ち出すことに成功するかは予測しづらいものがありますが、そこで打ち出されている価値観は重要なものなので、日本から「宣言」をうまく活用していくすべを考える助けになればと思っています。

『ひとつのNo!たくさんのYES! 反グロバリゼーション最前線』

 『情況』5月号にキングスノース『ひとつのNo!たくさんのYES! 反グロバリゼーション最前線』の書評が載りました。

February 20, 2005

世界社会フォーラム2005報告(京都新聞)

wsf2005_kyotoshinbun0215s.jpg

 京都新聞に世界社会フォーラムの報告を掲載していただきました。

December 26, 2004

 来年の予定1 世界社会フォーラム@ポルト・アレグレ参加表明

 年末も押し迫ってきましたが、しばらく忙しさにかまけてブログがおろそかになっていたので、来年の予定についてなどお知らせの意味も含めて書いてみます。

 来年早々、調査で海外に出かける予定です。
 詳細は追ってお知らせしますが、まず1月24日からブラジルに向かいます。
 その後ヨーロッパを回って帰ってくるのですが、後半については明日以降に…。

 ブラジルでは1月26日から31日までの、第五回の世界社会フォーラムに参加してきます。
 世界社会フォーラムは、毎年ブラジルのポルト・アレグレ市で開かれている、世界中のNGOや労働組合といった人々の大会で、その場ではありとあらゆる社会問題について議論が交わされます。
 昨年の第四回はたまたまインドで開かれたので参加できましたが、これまでポルト・アレグレで開かれた三回には参加したことがありませんでした。
 しかし、ポルト・アレグレは、「参加型予算決定」という、現在ヨーロッパでも広がりつつある手法の発祥の地であるなど、一度見ておきたい場所でもありました。
 また、参加者たちから、ブラジルでの開催の時の方が、ユースキャンプが活発であったり、つっこんだ議論も行われたりするらしいという噂を聞いて、一度行ってみたいという気になってきたというのもあります。

 ヴァンダナ・シヴァなど、大物の講演が集中して聞けることも社会フォーラムのいいところですが、より重要なのは、同世代(私は30代)から20代の若い参加者の議論が聞けることです。
 もちろんこういった層は論文があればいいほうで、著作などありませんから、実地に会うことが一番の情報交換なわけです。

 去年はピースボートに乗せていただいて、日本のさまざまなグループのメンバーと議論を重ねながら会場を目指し、また会場でもいろいろと準備する必要があったので、かってしったるインドでもずいぶんと忙しない参加になってしまいました。
 今年はあまり義務のない一般参加者ですので、いろいろな議論に参加してきて、むしろ帰国後にそれらを発表する方向に努力したいと思っています。

 もちろん将来的には日本からも積極的に情報発信できるようにしていかなければいけないわけですが、そのために何が出来るか、今何を社会フォーラムに求めているかなど、みなさんのご意見も伺えれば幸いです。

December 14, 2004

京都社会フォーラム記事 産経新聞12月14日付

sankei041212s.jpg

 産経新聞(地方欄かな?)に記事にしていただきました(著作権に配慮して、読めない程度に縮小。関心のある方は図書館などでご確認ください)。
 昨年のエヴィアンでのG8抗議活動の時とかもそうだったんですが、産経新聞は反戦運動には敵対的ですが、「経済のグローバリゼーション」批判はちゃんと記事にしてくれるし、朝日なんかよりちゃんと主張を読者に理解できるように書いてくれますね。

October 31, 2004

ヨーロッパ社会フォーラムの様子 (写真と動画)

 ヨーロッパ社会フォーラムの写真をイギリスにいる友人から送ってもらいましたのでご紹介。
クリックでポップアップ・ウィンドウが開きます。

 

↓こちらは動画。ちょっと大きい(2つで1.5メガほど)のでお気をつけください(再生にはQuickTime をご利用ください)。

 

October 13, 2004

世界経済フォーラム: ブログで参加しろとのことです

Blogging Davos 2005

 先日はブラジルのポルト・アレグレで開かれる WSF/世界社会フォーラムへの参加法についてお伝えしましたが、ライヴァル(?)のWEF/世界経済フォーラムの準備も着々と進んでいるようで、今年の案内も公開されていました。

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October 3, 2004

「社会フォーラム」を扱ったブログ

 「社会フォーラム」を扱ったブログを、goolivedoorFeedBackで検索すると以下のようになります (powered by jsRSS)。
 ご参考までに…。

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September 30, 2004

【情報】 世界社会フォーラム2005への登録方法について

【世界社会フォーラム2005への登録方法について】
Information how to register to World Social Forum 2005
 http://www.forumsocialmundial.org.br/main.asp?id_menu=8&cd_language=2
 の仮訳です。内容の正確さは保障いたしませんので、あくまで公式サイトを確認するさいの補助としてご利用ください。

【利用上の注意】
 去年と変わっている部分もあるので、とりあえずやっつけで訳をつくってみました。あくまで非公式な翻訳である点にご注意いただき、申し込みのさいの参考程度にお使いください。
  転載は自由に行っていただいて構いませんが、修正などはこのページを通じて行いますので、メーリングリストなどへの転送には、このページの URL
 http://skasuga.talktank.net/diary/archives/000089.html
を付記されることを推奨します。  なお、社会フォーラムとは何か、についてはピースボートの人たちと一緒につくったパンフレット(PDF)をご覧ください。
 http://kyoto.socialforum.jp/pdf/WSFpamph0508_ver03.pdf

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August 24, 2004

ヴァンダナ・シヴァ (写真) 

 先日、『地球の歩き方』への投稿が掲載された話をご紹介しました。
 投稿の内容は世界的に有名な環境活動家であるヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva)氏の活動に関わるものでした。
 そこで、シヴァ氏が来日したときにつくったパンフレットに掲載した紹介文を載せておきます(まぁ、ちょっと時間も経ったし、いいでしょ)。
 ちょっと古くなっていますので、書誌データなどは若干、アップデートしていますが、文章は原則として書いたときのままです(ただし、パンフレットにする時点で編集が入っていたと思いますので、文面はちょっと違うかもしれません)。

 どうでもいいけど、『エコ・フェミニズム』はいつまでたっても「近刊」だなぁ(笑。

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May 16, 2004

【原稿】 WSF連絡会「もう一つの世界の可能性」 (写真)

ピープルズ・プラン研究所のニューズレターに掲載した「もう一つの世界の可能性: ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間)を考える」の報告。


 WSF連絡会「もう一つの世界の可能性: ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間)を考える」
  People's Plan Study Group Newsletter No.6 2004年5月 p.3

 2004年1月、インドのムンバイで行われた世界社会フォーラムは世界中から10万人の参加者を集めた。フォーラムは、様々な問題に取り組む人々が共通の問題を探るための場所として、年々重要性を増してきているが、日本ではマスメディアによる報道もほとんど見られず、また現地でも日本からの情報発進があまりないことに対する不満の声が多く聞かるなど、日本社会にとっての課題を残している。
 こうした中、4月24日、文京区民センターに社会フォーラムに参加する運動体の互助組織としてつくられた「世界社会フォーラム日本連絡会」が主催する報告会が行われた。タイトルも『もう一つの世界の可能性: ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間を考える)』とされ、日本からの参加のあり方を問うものとなった。ほとんど宣伝もしない中、約50人ほどの参加者があり、熱心な討議が行われた。
 まず、4月初めに開かれた世界社会フォーラムの国際委員会に参加した大屋定晴氏(ATTAC Japan)と国際委員会の正式メンバーになったピースボートを代表して山本奈美氏の二人から報告があり、その後ムンバイに参加した要友紀子氏(SWASH)、稲葉雅紀氏(アフリカ日本協議会)、なすび氏(山谷労働者福祉会館)が今後のあり方について提言を行った。特に三氏の見解の共通点を挙げれば、社会フォーラムが巨大化するなかで、どう少数派のものを含む多様な意見を無視しないようにしつづけられるかが問われている、という点である。大屋氏からも、このことについては国際委員会でも討議が行われていると説明があった。
 これらの報告を元に、参加者は6つのグループに分かれて、今後の日本からの参加のあり方について討議が行われた。大多数の参加者は社会フォーラムに参加していたわけではなかったが、各組とも活発な議論が行われた。連絡会のイベントも会を重ねるごとに、参加者が日本社会フォーラムや東アジア社会フォーラムといった場の必要性を共有するようになっているように感じられる。多くの困難は予想されるが、実現の可能性は模索されるべきであろう。
 最後に時間を若干延長して連絡会の今後についての話し合いが持たれた。今のところ、連絡会は会費も取らず、明確な会員制度もない緩やかなネットワークとしてやって来たが、世界に向けてより積極的に情報発信していくこと、特に国際委員会のような場に参加者を派遣する必要などから、連絡会もしっかりとした組織に改編していく必要があるのではないかという議論がなされた。

会場風景↓

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May 15, 2004

吉田太郎氏講演 (写真)

ATTAC京都月例会として、キューバの農政研究で有名な吉田太郎氏の講演。

吉田太郎氏

 50人集めて、月例会としては盛況(それでも決して黒にはならないのであった。まぁ、いいんですが)。

 しかし、やはり食と農はみなさん、関心がおありですね。

会場風景

関連書籍↓

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May 8, 2004

「もうひとつの世界って、ナンなんだ!?」報告 (写真)

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 すでにお知らせしたとおり、明治学院大学アートホールにて「もうひとつの世界って、ナンなんだ!?」を開催しました。主催団体のWSFJ-youthは、2004年のムンバイ世界社会フォーラムに、ピースボートのフェロー・インターンで参加したメンバーを中心につくったものです。っていうか、かなりとりあえずつくったので、方針や今後の活動など、いっさい白紙です。どうしよ(笑)。と、まことに頼りないながら、なんとか開催にまでこぎ着けました。ピースボートならびに実動部隊になった若い参加者に感謝(おかげで当日しゃべるだけですんだ感じ)。

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【講演記録】経済(移民・南北) 〜誰がもうけてんだー!?

「もうひとつの世界って、ナンなんだ!?」(2004年05月08日 明治学院大学アートホール)で利用した配布物から転載。

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May 1, 2004

「多色の大河: 世界社会フォーラムに関する同時代史的考察」もういちど

以前お知らせした下記の本、ネット上の書店で購入戴けるようになりましたのでお知らせします。
みなさま、よろしくお願いします。

春日匠 「多色の大河: 世界社会フォーラムに関する同時代史的考察」『アソシエ』13号 246 pp. - 270 pp. 御茶の水書房
[Amazonで購入] [bk1で購入] [楽天で購入]

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April 24, 2004

世界社会フォーラム報告会、の報告

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 文京区民センターで「もう一つの世界の可能性 〜ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間を考える)〜」開催。
 出席は50人ほどと、プレフォーラムの時の200人に比べたらこじんまりではあるが、宣伝もしなかった割には集まった感じ。
 最初に、参加者や国際委員会に出席した大屋氏などからの報告があり、そのあと10人弱のグループに分かれてワークショップ。
 討議のお題はこちらで決めさせていただいたのだが、どのグループもこちらの想定からはみ出して議論が進んだようで、良かったのではないかと思う。

 平均年齢はやや高めだったので、若い人は是非"Another World is Possible!” 〜もうひとつの世界って、ナンなんだ!?〜(5/8)へ、GO!!

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April 21, 2004

「多色の大河: 世界社会フォーラムに関する同時代史的考察」『アソシエ』13号

春日匠 「多色の大河: 世界社会フォーラムに関する同時代史的考察」『アソシエ』13号 246 pp. - 270 pp. 御茶の水書房

上記論文が掲載されたアソシエ、私の手元に届きました。
本屋への配本はもう1週間ぐらいかかるようです(ゴールデン・ウィークに入る前にはならぶといいな、ってことで…)

ムンバイ社会フォーラム報告会で、先行販売できるかも、です。

『アソシエ』13号

【追記】
ネット上の書店で購入戴けるようになりました。
[Amazonで購入] [bk1で購入] [楽天で購入]

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