Social Movementの最近のブログ記事
週末は博多に行きます。
エクアドル・キト債務戦略会議報告 「援助で生まれた借金を帳消しにする理由(わけ)」日 時:12月7日(日)15:00〜17:00
講 師:春日 匠さん(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任助教、 ATTAC京都)
場 所:福岡市NPO・ボランティア交流センター
福岡市中央区大名2-6-46福岡市立青年センター5F
地下鉄天神駅徒歩約4分、西鉄グランドホテルそば
資料代:800円(一般)/500円(ジュビQ会員)
主 催:債務と貧困を考えるジュビリー九州〒812-0041 福岡市博多区吉塚 6-14-3-601 藤井方
TEL&FAX 092-623-8444mail: jubilee.kyushu@gmail.com
URL: http://jubileekyushu.org/毎年、かなり大きな額のODA(政府開発援助)が先進国から途上国に出されていますが、貧困や飢餓の問題はほとんど改善の様子を見せていません。それどころか、援助の多くは借り入れであるため、その返済は多くの貧しい国々の財政を圧迫しています。債務の返済のために、教育や医療などへの支出が削られ、貧困を悪化させているケースすら珍しくありません。
こうした構造的な問題を断ち切るために、援助国と被援助国の双方からいくつかの試みが提示されています。
その中心となるのが「不正な債務」(illegitimate debts)という概念です。独裁者へのポケットにはいった援助、人びとに利益をもたらさなかった失敗プロジェクトなどへの援助、借り手側の利益を優先させた援助などは、そもそも違法や不正・不公正なものであり、返済をせまることはできない、という考え方です。この「不正な債務」について先進国ではノルウェー政府が、また途上国ではエクアドル政府が積極的な提言と調査を進めています。
市民側でも、ジュビリーサウス(債務問題に取り組む南の国ぐにのNGO・市民組織の連合体)やCADTM(第三世界債務廃絶委員会)など世界各国のNGO・市民団体が集まり、エクアドルの首都キトにおいて債務帳消しをどう求めていくかの戦略会議が開催されました。
今年9月、キトで開催された債務戦略会議に参加した春日さんから、そこでの議論を簡単に報告してもらうととも、なぜ今改めて債務帳消しが求められているのか、そして今後日本からなにができるかについて考えます。

PARC NPO法人アジア太平洋資料センターの機関誌『オルタ』2008年11・12月号にエクアドル・レポートを載せていただきました。
春日匠 2008 「第三世界債務をめぐる国際状況と課題」 『オルタ』2008年11・12月号 NPO法人アジア太平洋資料センター p.59
ジュビリーサウス他からせっつかれたので、とりあえず翻訳。
こちら("Statement on the proposed “Global Summit” to reform the international financial system")から組織および個人として署名できます。
国際金融システムの見直しのために提案されている「グローバル・サミット」に対する提言
・背景過去数ヶ月は北アメリカとヨーロッパの歴史において最も重要な金融危機のひとつであったと見られる。これに対する反応も歴史的であった。グローバルな景気後退を押しとどめ、市場の信頼と安定性を取り戻すために、北の政府は、銀行の国有化、経営不振の組織への大規模な補助金の注入、それらの金融セクターに対する再-規制といった、前例のない、巨大なプログラムを遂行しようとしている。
この反応は、世界銀行、国際通貨基金(IMF)および先進諸国によって第三世界に押しつけられてきた厳格な新自由主義的政策と、明白な対称ををなしている。第三世界政府は貿易障壁を取り払い、金融と労働市場の規制緩和を行い、国営事業を民営化し、補助金を撤廃し、社会的あるいは経済的な支出を削減することを求められてきたのである。諸国は、自分たちの役割が厳しく低下していくのを目の当たりにしていた。
このダブル・スタンダードは受け入れがたいだというだけにとどまらず、自由主義市場原理主義が終焉を迎えたことを示しているだろう。国際的な金融システム、その設計から制度まで、現在の金融及び経済危機の規模によって完全に打ちのめされたと見るべきである。金融システム、その設計と制度は完全に考え直されなければいけない。・グローバルな危機への真にグローバルな反応
最近数週間において、世界各国の指導者たちは現在のシステムの不足と、グローバルな金融システムと制度を再構築するための提案を幅広く論じ合うための会議の必要性を認識した。G20は11月15日にワシントンDCにおいて会合を開き、討議を開始する。もちろん、危機に対処するための即時的な手法についての合意は喫緊の課題であるが、我々は一般の雇用者、労働者、低所得世帯、年金生活者やそのほかの極端に脆弱なセクターの人々への対応を優先すべきであると強調したい。我々は、提案されている会合が、性急で、排他的な手法で行われ、結果として必要とされる包括的な対策が取られず、また負担が適切に配分されないことを憂慮している。
北の国々に起源をもつ危機にもかかわらず、その影響は発展途上国で最も大きなものになるだろう。従って、国際的な金融の制度設計の変革のプロセスの中で、すべての国がその意見を表明することが重要である。多くの国々と市民社会を排除し、性急に準備された会議では、現在のシステムを変容させるための公平で持続的な解決策はもたらせないだろう。これらの奮闘は実際のところ、公的な信用と信頼をさらに傷つけ、またすでにより強力で、整合性があり、公平な金融システムのための地域的な解決策を選択している国々から権利を奪ってしまうだろう[※訳注 Banco del Surが念頭にあると思われる]。
・我々の要求 根本的な再考の時である我々、本提言に署名した市民社会組織は、国際的な金融及び経済システムの根本的で遠大な変容を要求する。この目的に適うように、我々は、以下の条件が満たされることを前提に、国連によって招集され、国際的な金融及び通貨の制度設計、またその組織とガバナンスを見直すための会議を開催することを支持する。
1. 包括的な、世界のすべての国々の参加
2.市民社会、市民のグループ、社会運動やそのほかのステークホルダーの代表の参加
3.危機から最も影響を受けた人々が参加する、地域的な協議会の予定と具体的プロセスの明示
4.見通しにおいて包括的であり、問題と制度のすべてに取り組むこと。
5.透明で、提案や草稿段階での書類は公的に利用可能な形で提示され、会議の進展の中で議論されること。
グローバルな金融システムのための新しい国連のタスクフォース、来るべき国連開発金融会合や、グローバルな会合を準備しはじめたその他の国連機関が十分に活用されるべきである。
不安定と不平等をもたらしている現在のシステムから、公正で、持続的で説明責任を持った、世界の多数の人々へのメリットを生み出すようなシステムへの移行に手っ取り早い解決策はあり得ない。
エクアドルでの会議について、以下の通り報告会を行います。
【10/18】貸した金(援助)は返すべき? 〜債務と貧困のつながりを考える:エクアドル・キト会議報告〜(債務と国際金融機関に反対する世界同時行動ウィークの詳細はこちら)
スピーカー:
春日 匠(大阪大学コミュニケーション・デザイン・センター特任助教、ATTAC京都)日時:10月18日(土)18:30〜20:30
場所:(特活)アジア太平洋資料センター2F(地図)
主催:(特活)アジア太平洋資料センター(PARC)、ATTACジャパン、聖コロンバン会
参加費: 500円
お問い合わせ:(特活)アジア太平洋資料センター(PARC)普川
TEL:03-5209-3455 FAX:03-5209-3453 E-mail:office●parc-jp.org(●を@にかえてください)
毎年、かなり大きな額のODA(政府開発援助)が先進国から途上国に出されていますが、貧困や飢餓の問題はほとんど改善の様子を見せていません。それどころか、援助の多くは借り入れであるため、その返済は多くの貧しい国々の財政を圧迫しています。債務の返済のために、教育や医療などへの支出が削られ、貧困を悪化させているケースすら珍しくありません。
こうした構造的な問題を断ち切るために、援助国と被援助国の双方からいくつかの試みが提示されています。その中心となるのが「不正な債務」(illegitimate debts)という概念です。独裁者へのポケットにはいった援助、人びとに利益をもたらさなかった失敗プロジェクトなどへの援助、借り手側の利益を優先させた援助などは、そもそも違法や不正・不公正なものであり、返済をせまることはできない、という考え方です。この「不正な債務」について先進国ではノルウェー政府が、また途上国ではエクアドル政府が積極的な提言と調査を進めています。
市民側でも、ジュビリーサウス(債務問題に取り組む南の国ぐにのNGO・市民組織の連合体)やCADTM(第三世界債務廃絶委員会)など世界各国のNGO・市民団体が集まり、エクアドルの首都キトにおいて債務帳消しをどう求めていくかの戦略会議が開催されました。
キトでの会議に参加し、そこでの議論を簡単に報告するとともに、なぜ今債務帳消しが求められているのか、そして今後日本からなにができるかについて考えます。
8日から15日の日程で、エクアドルの首都キトで第三世界債務の問題についての会議が開かれます。
そこにATTAC Japan(など)の代表と言うことで参加してきますので、お知らせします。
とりあえず出発する前に、「第三世界の債務問題」とはなにか、またなぜエクアドルが会場として選ばれたのかについて、簡単に解説してみたいと思います。
近年、盛んに「不公正な債務」(illegitimate debts)あるいは「汚い債務」(Odious Debt)という議論がされるようになってきました。
主として、第三世界の貧困国(特に「重債務貧困国」HIPCs)が、世界銀行や先進諸国に対して(その中にはODA=援助という名目で貸し付けられたものも多い)、あるいは商業銀行などに対して負う)債務について議論するときに出てくる言葉です
これらの国々では、債務の利子返済が極めて大きな負担になっており、国家予算の2割、3割を債務返済に充てざるを得ない状態に陥っている国々も珍しくありません。
当然、こうした状況下では教育や医療といった一般的な福祉予算も限られてくるわけで、第三世界でマラリアやエイズなどの病気が蔓延する原因の一つにもなっています。
また、世界銀行やIMFはこれら債務返済を円滑に行わせるために、農業を換金性の高いプランテーション作物に転換させたり、税金が安く労働法の規制も緩い経済特区を設置させて先進国企業の誘致に努めるといった政策を推進してきました(そしてそのような政策のための資金を、これら国際金融機関や米国、日本などの政府が貸し付けることでさらに途上国の債務を増やしました。)。
しかし、価格の変動制の高いプランテーション作物は小農の経営を不安定にし、また経済特区ではスウェット・ショップといわれる劣悪な環境での児童労働などが深刻な社会問題となっています。
そこで、これらの債務を2000年という節目の年にいっきに帳消しにすることによって、社会問題の解消を狙ったのがジュビリー2000キャンペーンです。
これは、ユダヤ人が約束の地カナンにたどり着いた年から50年ごとに、それを記念して債務を帳消しにしたという聖書の逸話に基づいています。
その名の通り、ジュビリー・キャンペーンは左派の社会運動体だけでなく、キリスト教会も熱心に取り組んだことによって、極めて大きな運動に発展しました。
これを受けて、日本政府も含めた各国政府による、二国間債務の帳消しが行われるようになりましたが、これはまったく十分な規模ではありませんでした。
2005年の英国グレンイーグルス・サミットのさいには、ジュビリーキャンペーンで中心的な役割を果たしたキリスト教会などに変わって、ボブ・ゲルドフやU2のボノといったロックスターが債務帳消し運動の先頭に立ちました。
日本でも「ホワイトバンド運動」として知られる運動です。
1985年に、エチオピア飢饉などアフリカの貧困問題が深刻化したことを受けて、ボノらスターたちが開いたチャリティイベントが「ライヴエイド」でした。
ライヴエイドでは1億ドル以上の寄付が集まったと言われますが、一方でこれらはアフリカが債務返済に充てている資金のわずか1〜2週間分に過ぎないとい
う事実が、ボノたちに衝撃を与えました。
そこで、「チャリティではなく、政策提言」として行われたのが債務帳消しを求めたライヴ8です。
これも、極めて大きな注目を集め、世界銀行、IMF、アフリカ開発銀行は、HIPCs対象国がこれら機関に対してこれまで持っていた債務のほぼ100%を帳消しすると約束しました。
しかし、それにもかかわらず、現在も多くの貧困国は債務問題に苦しんでいます。
これまで、全面的な債務の帳消しは何度も宣言されていますが、実行に移されたのはごくわずかな債務にすぎません。
そんなか、2006年にエクアドル大統領に当選したラファエル・コレアが債務問題に取り組むことを宣言しました。
コレアの顧問として、長く債務問題に取り組んできたベルギーのNGOであるCADTM(第三世界債務帳消し委員会)のエリック・トゥサンを迎え、そもそも債務が発生した仕組みやその効果を精査し、独裁政権や先進国企業の私益のために供与された債務や、あきらかに現実性のないプロジェクトで発生した債務に関して、返還を拒否するという作業を開始しました。
また、エクアドル政府はヤスニ国立公園内に存在する油田の開発を敢えて行わないことによって抑制される温暖化ガスおよび保護される生物多様性の代金の50パーセントを国際社会に請求するという提案も行っています(これは、OPECの支援を受けて研究が進められているようです)。
こうした、開発と環境のバランスを取ることと、債務の問題を積極的に結びつけるコレア大統領の主張は極めて興味深いと言えるでしょう。
もちろん、我が国もこうした「汚い債務」と無縁ではありません。
原発を持たないタイに何故かつくられた揚水発電施設や、まったく田に水が供給されないフィリピンの灌漑ダムは日本の援助で作られたものです。
また、やはり日本の援助でつくられたインドネシアのコトパンジャンダムを巡っては、現地住民による日本政府への訴訟が始まっています。
こうした中で、ジュビリー2000からホワイトバンドという流れの中で喚起された日本社会の債務問題に対する関心を無駄にしないため、「不公正な債務」や「汚い債務」問題に関してきちんと整理し、提言していくことは重要ではないか思われます。
今回は、先進国と第三世界の両方から、この問題について活動している人々が集まりますので、いろいろな事実や意見を聞けるかと思いますので、帰国後にご報告させていただきたいと思っています。
くだんのデモで逮捕された人々も釈放されたと報告があり、8月2日には「G8サミットを問う連絡会北海道行動報告集会」(@文京区民センター)も開催されると言うことで、一応G8騒ぎも収束の方向といっていいと思う。
G8に対する対抗アクションを評価する際、もちろん意思表明は重要なのだが、それ以上にサミットやWTO閣僚級会議などにかこつけて、世界の各地から問題を抱えている人々(やそのエージェントとしての社会運動体)が集まってきて、情報交換や意見交換が行われることも重要なのだと考えたい。
ちなみに、最近はそういうイベントを「オルタナティヴ・フォーラム」とか「オルタナティヴ・サミット」などと呼ぶ。もちろん「サミット(頂上)」ではなくむしろ平原であるべきなので、私は前者の呼び方のほうが好きである。
そういうなかで今回もいくつか、私にとって大変参考になる、貴重な出会いがあったと思っている。
中でも興味深かったのは、ATTACフランスからやってきたのは初老の男女二人(たぶんカップル??)である。彼らは、背広の人間が夜の10時にオフィスビルからはき出されるのに驚き、ちょっと怒っていた。
曰く、「人間にとって自由がなにより大事だ。しかし、知識の伴わない自由は奴隷状態となんら変わりない。だから人間は週35時間以上働いてはいけない。例えば私はすでに退職しているが、彼女は今、公的な職業教育機関で働いている。もし彼女が残業に次ぐ残業で疲れてしまっていたら、仕事が終わった後に世界情勢についての本を読んだり、休暇を取ってこうやって他の国の人々と議論したりする余裕はなくなるだろう」
一応あとで、「でも、アメリカや日本の偉い人たちは、もし労働者を35時間しか働かせなかったら、残りの時間を無駄な遊びに使うだけだろうと思っているし、たぶんフランスでもサルコジやその支持者がそう思い始めているんじゃないですか?」と聞いてみたところ、ある漁業組合での取り組みの事例を教えてくれそうだったのだが、諸般の事情でタイムアウト。また今度聞いてみたい。
また、社会運動についても次のように論じていた。
「本当は一番だいじな社会運動は、5〜6人のサークルを作って、毎週社会的な問題について勉強会を開くことだ。そうして、その成果をあつめてパンフレットのようなものを作って配る。今はインターネットもあるし、そういったことは私の若い頃よりも簡単にできるようになった。そういったパンフレットを読んだ友人たちも、また5〜6人のサークルを作り始めるだろう。そうやって普通の人々の知識が向上し、それが選挙に反映されることが大事なのだ。トップダウンで市民を動員したり、政治家に直接影響を働かせようとするのは、純正な市民運動ではない。」
ちなみに、彼らは今回我々が準備していた声明文にも批判的で、口々に「こういった政治イベントはライムライトのようなもので、そこに注目することでかえって真の問題を隠してしまう」「グラムシが解明したヘゲモニー構造に、社会運動体がいまだにまんまとのってしまうのは嘆かわしいことだ」「我々はもっと、未来に目を向けて生産的な提案に努めるべきだ」と主張していた。
故ピエール・ブルデューが『市場独裁主義批判』という本の中で「国家の右手と左手」という概念を提示してたことがある。
右手というのは政治家や高級官僚のこと(そして彼らの中枢はエナルクと呼ばれるENA/国立行政学院の修了者で占められている)で、彼らが自分たちのサークルの利益のために規制緩和などの政策を推し進める一方、医療、福祉、初等中等教育に携わる地方の下層公務員たちが疲弊していく、というギャップを表現した概念である。
そういう意味では、今回 ATTACフランスから参加してくれた二人は、まさにブルデューのいう「左手」なのであろう。
正直な話、(上から下まで、公務員スキャンダルが続く)日本の状況では「右手」と「左手」の区別は相対的なものでしかないという印象しか受けないが、フランスではまさにこういった人々が「共和国」の誇りと底力みたいなものを守っているのかもしれない。
もちろん、例えばムンバイやナイロビのスラムを見てしまえば、「知識の伴わない自由は奴隷状態となんら変わりない」という彼らの素朴なユマニスム信仰を鼻持ちならないヨーロッパ中心主義と退けたくなる気分になるのも事実ではある。
例えば、日本のそれなりにカネも知識もあるサラリーマンが「奴隷の状態に甘んじている」ということに関しては、彼らにも批判されるべき点がないわけではないかもしれない。
しかし、世界各地のスラムには、その日ぐらしの労働者や物乞いがあふれているのであり、彼らが恐怖や無力感から逃れるために、その日の多くのない稼ぎの大半を酒に費やしてしまったとして、それが非難できることであろうか?
また、そういった人々にとってタバコは重要なコミュニケーションの手段(タバコの貸し借りによって一種のコミュニティができあがったりする)であることは想像に難くないが、彼らの収入からすれば極めて高価であるにも関わらず、ほとんど交換以外の価値がない(おそらく有害ですらある)ものに資金を投資することを責められるだろうか?
では、同様に先進国の金持ちたちが同様の目的のためにダイヤモンドやワインにお金をつぎ込むのは正しいことだろうか?
また、それらは北米インディアンのポトラッチ(Wikipediaにリンクしようと思ったら項目がない!!)とどのように違うのだろうか?
こう考えると、経済とは確かに啓蒙主義だけで割り切れるものではないのではないか、という気がするわけである(もちろん、新古典派的合理性ではなお割り切れない、というところはこのフランス人たちに異論はないわけであるが…)。
ちなみにATTAC北海道の若い女性が「フランスの公務員ってすごいですね。日本の福祉関係者なんかも、がんばっているのはわかるんですけど、根本的な問題には目を向けないという感じがして、そこがちょっと残念なんですよね」と主張していた。
まぁ、まさにフランス人の主張するとおり、「週 80時間働かされたら勉強する暇なんかない」ということなんでしょうけどね…。
市場独裁主義批判 (シリーズ社会批判)
ピエール ブルデュー
藤原書店 2000-07
売り上げランキング : 222096
おすすめ平均 
Amazonで詳しく見る by G-Tools
メディア批判 (シリーズ社会批判)
ブルデュー
藤原書店 2000-07
売り上げランキング : 193358
おすすめ平均 
Amazonで詳しく見る by G-Tools
前の記事でも触れたスーザン・ジョージの講演をYouTubeにアップしておきました。同時通訳付きで約30分(ファイルは4分割)。
(しかし、YouTubeへのアップロードを初めてちゃんとやりましたが、意外と面倒ですな…)

