WhiteBandの最近のブログ記事

 8日から15日の日程で、エクアドルの首都キトで第三世界債務の問題についての会議が開かれます。
 そこにATTAC Japan(など)の代表と言うことで参加してきますので、お知らせします。

 とりあえず出発する前に、「第三世界の債務問題」とはなにか、またなぜエクアドルが会場として選ばれたのかについて、簡単に解説してみたいと思います。

 近年、盛んに「不公正な債務」(illegitimate debts)あるいは「汚い債務」(Odious Debt)という議論がされるようになってきました。
 主として、第三世界の貧困国(特に「重債務貧困国」HIPCs)が、世界銀行や先進諸国に対して(その中にはODA=援助という名目で貸し付けられたものも多い)、あるいは商業銀行などに対して負う)債務について議論するときに出てくる言葉です
 これらの国々では、債務の利子返済が極めて大きな負担になっており、国家予算の2割、3割を債務返済に充てざるを得ない状態に陥っている国々も珍しくありません。
 当然、こうした状況下では教育や医療といった一般的な福祉予算も限られてくるわけで、第三世界でマラリアやエイズなどの病気が蔓延する原因の一つにもなっています。
 また、世界銀行やIMFはこれら債務返済を円滑に行わせるために、農業を換金性の高いプランテーション作物に転換させたり、税金が安く労働法の規制も緩い経済特区を設置させて先進国企業の誘致に努めるといった政策を推進してきました(そしてそのような政策のための資金を、これら国際金融機関や米国、日本などの政府が貸し付けることでさらに途上国の債務を増やしました。)。
 しかし、価格の変動制の高いプランテーション作物は小農の経営を不安定にし、また経済特区ではスウェット・ショップといわれる劣悪な環境での児童労働などが深刻な社会問題となっています。

 そこで、これらの債務を2000年という節目の年にいっきに帳消しにすることによって、社会問題の解消を狙ったのがジュビリー2000キャンペーンです。
 これは、ユダヤ人が約束の地カナンにたどり着いた年から50年ごとに、それを記念して債務を帳消しにしたという聖書の逸話に基づいています。
 その名の通り、ジュビリー・キャンペーンは左派の社会運動体だけでなく、キリスト教会も熱心に取り組んだことによって、極めて大きな運動に発展しました。
 これを受けて、日本政府も含めた各国政府による、二国間債務の帳消しが行われるようになりましたが、これはまったく十分な規模ではありませんでした。

 2005年の英国グレンイーグルス・サミットのさいには、ジュビリーキャンペーンで中心的な役割を果たしたキリスト教会などに変わって、ボブ・ゲルドフやU2のボノといったロックスターが債務帳消し運動の先頭に立ちました。
 日本でも「ホワイトバンド運動」として知られる運動です。
 1985年に、エチオピア飢饉などアフリカの貧困問題が深刻化したことを受けて、ボノらスターたちが開いたチャリティイベントが「ライヴエイド」でした。
 ライヴエイドでは1億ドル以上の寄付が集まったと言われますが、一方でこれらはアフリカが債務返済に充てている資金のわずか1〜2週間分に過ぎないとい
う事実が、ボノたちに衝撃を与えました。
 そこで、「チャリティではなく、政策提言」として行われたのが債務帳消しを求めたライヴ8です。
 これも、極めて大きな注目を集め、世界銀行、IMF、アフリカ開発銀行は、HIPCs対象国がこれら機関に対してこれまで持っていた債務のほぼ100%を帳消しすると約束しました。

 しかし、それにもかかわらず、現在も多くの貧困国は債務問題に苦しんでいます。
 これまで、全面的な債務の帳消しは何度も宣言されていますが、実行に移されたのはごくわずかな債務にすぎません。

 そんなか、2006年にエクアドル大統領に当選したラファエル・コレアが債務問題に取り組むことを宣言しました。
 コレアの顧問として、長く債務問題に取り組んできたベルギーのNGOであるCADTM(第三世界債務帳消し委員会)のエリック・トゥサンを迎え、そもそも債務が発生した仕組みやその効果を精査し、独裁政権や先進国企業の私益のために供与された債務や、あきらかに現実性のないプロジェクトで発生した債務に関して、返還を拒否するという作業を開始しました。

 また、エクアドル政府はヤスニ国立公園内に存在する油田の開発を敢えて行わないことによって抑制される温暖化ガスおよび保護される生物多様性の代金の50パーセントを国際社会に請求するという提案も行っています(これは、OPECの支援を受けて研究が進められているようです)。
 こうした、開発と環境のバランスを取ることと、債務の問題を積極的に結びつけるコレア大統領の主張は極めて興味深いと言えるでしょう。

 もちろん、我が国もこうした「汚い債務」と無縁ではありません。
 原発を持たないタイに何故かつくられた揚水発電施設や、まったく田に水が供給されないフィリピンの灌漑ダムは日本の援助で作られたものです。
 また、やはり日本の援助でつくられたインドネシアのコトパンジャンダムを巡っては、現地住民による日本政府への訴訟が始まっています。

 こうした中で、ジュビリー2000からホワイトバンドという流れの中で喚起された日本社会の債務問題に対する関心を無駄にしないため、「不公正な債務」や「汚い債務」問題に関してきちんと整理し、提言していくことは重要ではないか思われます。
 今回は、先進国と第三世界の両方から、この問題について活動している人々が集まりますので、いろいろな事実や意見を聞けるかと思いますので、帰国後にご報告させていただきたいと思っています。

 先のエントリー

アンチ・ホワイトバンド層にもおそらく4段階あって、
1)「市民による政策提言」にそもそもアレルギーがある派
2)市民が政策を論じるのはいいが、貧困の問題のような「左っぽい」いいこちゃん議論に忌避感がある
3)貧困の問題は重要だが、方法論として債務帳消しやトレード・ジャスティスに反対
4)債務帳消しやトレード・ジャスティスには同意するが、日本のキャンペーンのやり方に反対

 と書いたのだが、実際はどんなもんだろうと思って、思いつきではてなアンケートにしてみた
 インターネット上のアンケートなので、数字をあてにするわけにはいきませんが、考えたり論じたるするネタになればいいんじゃないか、と…。

 もうちょっと細かく区分できるんじゃないかとか、ご意見があれば当該アンケートのコメント欄かここのコメント欄へお願いします。

 昨日の日記「彼らが釣り竿を持たなかったのではない。我々の驕慢が彼らの釣り竿を打ち砕いたのだ」で扱ったホワイトバンド・ブログの記事 「魚ではなく釣竿をあげる。」は削除されたようです。

 「ほっとけないキャンペーン」事務局の某氏から「チェック不足だった」というメールもいただきました。

 まぁ、とりあえずここは良かった(削除という方法が適切かは兎も角)ということにしておきましょう。
 しかし、やはりNGOサイドと、サイトをつくっている広告代理店サイドで、だいぶキャンペーンの方向性に関する認識に差がある上に、「ホワイトバンド・ブログ」などのインターフェイス部分は基本的には広告代理店が握っている、ということのようですね。
 ちょっとそのあたりはどうにかした方がいいというか、どうにかならないものか、というか…。

 今日のホワイトバンド・ブログ「魚ではなく釣竿をあげる」の主張はあまりに非道い。

 ほっとけない・キャンペーン全体やホワイトバンドの販売方法に問題があるのは事実ですが、年間予算規模100億円を超え、法律や経済の専門家を抱える欧米のNGOと、基本的にはシロウトの集まりで専従も満足にいない日本の運動とに同じクオリティを期待されても、と思っていました。
 しかし、今日のブログがホワイトバンド・キャンペーンの基本思想を表したものであるなら、私はこの運動は支持できないし、国際的なGCAP運動の一端を担うものとしてもまったくふさわしくないと言わざるをえません。

 ブログ曰く

小麦粉をあげる。
作り方を教える。
パン工場をたてる。
そして作ったパンを売る。
そのお金でまた小麦粉を買う。
つまり、ずっと続けていけるシステムをつくることは、
100個のパンをあげるよりもずっと効果的で、発展性があるんです。

 
 これはIMF/世界銀行であれ各国政府であれ、ずいぶん昔から言ってきたことです。
 そして、このお仕着せがましい啓蒙主義が失敗したことで、世界の貧困と環境問題は深刻さを増してきたのです。

 ETV特集「アフリカと世界と日本と」(NHK 8日22時から)はMDGsや国連サミットの問題を取り上げていた。
 若干ホワイトバンド・キャンペーンにも触れていたが、基本的にはアフリカの現状を分析するという趣旨。
 出演は「ほっとけない」キャンペーン賛同団体でもあるアフリカ日本協議会の林達雄氏や『アフリカは本当に貧しいのか』などの著作のある勝俣誠氏。

 「ホワイトバンドを巡る議論についての覚え書き」に関しては、この地味なブログにしては驚くべき量のレスポンスをもらったと思います。コメントもきちんと返せていませんが、貴重なご意見として読ませていたいています。まぁ、これというのも(こういっちゃなんですが)「ほっとけない」サイトがやや頼りなさすぎるせいかな、という気もします。もともと日本で常勤のいる国際関係NPOはわずかですし、今回のホワイトバンドも(たぶんこんな大事になるとは思っていなかっただろうから)やっとかき集めた NPO関係者とバイトで慌てて回しているという感じなんでしょう。
 ただ、そうはいってもネット上に溢れている反感のうち、多くの部分は少なくとも理論的にレスポンスを返せるはずのものですね。2ちゃんねるなどでずいぶん叩かれているキャンペーンですが、その中には当然の疑問も散見されます。(もちろん悪意だけで叩いている人もいるので、そのへんの峻別は重要ですね)例えば、なぜこれまでの援助は問題だったのか、どう方向転換しないと行けないのか、など、すでに欧米のNGOで分析が進んでいるところは(読者がそれに納得するかどうかはともかく)、もう少しきちんとした説明を出していけたはずです。

 ホワイトバンド(昨日の記事および公式サイト参照のこと)はチャリティ(慈善)じゃないというのはその通りである。チャリティというのは、AからBにお金を渡すことであり、そこにはAのほうがBよりエライ、という含意が払拭しがたい。また、お金の使途についてはなるべく多くを現地の「困っている人」に渡す方がよく、その使途のモニタリングに消えていくのは「効率が悪い」と考えられたりもする。そこで、むしろ欧米ではホワイトバンドが「チャリティであるべきではないのに、チャリティっぽく宣伝されいてる」「ドナー側(のボノやゲルドフ)が偉そうだ(白人のくせにっ!)」「現地の声がほとんど聞こえてこない」といった非難が多かったように思う。本来、チャリティで世界が救えるという考え方が時代遅れだと見なされているのである。ところが、日本では「実はチャリティではない」ことに批判が集中している。なぜそこが欧米と日本で逆転してしまうのか、「ホワイトバンドを巡る議論についての覚え書き」の続きで議論してみようと思っていたのだが、その前に、この問題に深く関係するニュースが報じられたので、チャリティの必要性と限界について考えてみよう。

※ ところで、些細なことですが「ホワイトバンドは募金じゃない」としているのは間違いで、その使途がチャリティであれ政党活動であれお寺の建設であれ、そしてもちろんNGO活動であれ、一般にむけて広く資金を求めたら「募金」でいいんだと思いますけどね。日本語としては…。

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