日本の戦後無責任


 日本の戦争責任の取り方の話題は我々に深刻な感情的対立を引き起こしている。ことに日本においては、この感情対立は戦後のわが国の重要な政治的決定すらも、しばしば支配してきたかのように思われる。
 「アウシュビッツのあとでも、おまえは生き続けることができるのか。偶然まぬがれはしたものの、当然殺されてしかるべきであった者であってみれば、いっそう生きつづけることなどできるものであろうか。このような者にとっては、ただ生き残るだけのためにも冷酷さが必要なのだが、この冷酷さこそはほかならぬブルジョワ的主観性の基本原理なのであり、それがなければアウシュビッツもありえなかったであろう。アウシュビッツは、生き残ってしまった者が犯しつづけている過酷な犯罪だということになる。」
 こう述べたのはドイツのユダヤ人哲学者T.アドルノである。ここで我々に提示されている課題とは、以下のようなものである。つまり、被害者にとってすら生き延びることが犯罪的であるほどの悲劇を加害者たちは償うことができるのであろうか。これは戦後に生きる哲学者の共通の問題意識であった。しかし、今なおこの問題はとても解決されているとは言えない。
 しかし、現実の世界に生きる人々は象牙の塔の中のいつ果てるとも知れない議論に耳を傾けている余裕はなかった。加害者も被害者も(しかも皮肉なことに加害者の方が、敗者となったためよりいっそう)生きるための戦いに全力を傾けねばならなかった。こうした状況で人々は自らの人生の方向性を、早急に決定せざるを得なかったのだ。この「生き方の問題」には当然自分の思想信条も含まれる。
 わが国でも、左翼に属する人々はもちろんのこと、保守派といえども十五年戦争の間に何らかの非日常的で通常の社会秩序からはネガティヴに判断される事件を日本人が引き起こしていたことは否定していない。問題はそれをどう内在化するかなのである。
 ドイツでは過去を切り放し、客観的に評価する方向で比較的合意が得られた。反ナチである点では社民党も保守派もたいして代わりがない。世界の評価もドイツの場合は旧勢力が一掃され、ミュンヘン裁判で断罪されたというものだろう。一方、日本では軍の最高責任者である天皇が罪を問われることがなかったことや戦後の政界官界に旧満州の官僚らが多数活躍していたこと等がドイツ型の客体化の障害となったであろう。ここでは正当化や帝国主義諸国同士の戦争といった側面の強調といった相対化や逃げも含む。というのはこういった視点は実際の被害者を前にして何も主張することができないからである。
 そのため、あるものは罪を無視あるいは軽視することによって精神の平安を得た 。これを仏教(特に祈ることで全ての罪の救済があるとする阿弥陀信仰)とキリスト教の告解の概念の差に見る議論もあるが、祈ることと忘れることの単純な同一視には問題がある。むしろ米軍の占領政策(特に天皇制の維持と朝鮮戦争の為の、石井四郎や岸信介などの例に見られる比較的寛容な戦後処理)によるのではないかと思われるがここでは詳しく論じない。いずれにせよ過去の無視が一種の伝統として日本に根付いた点が重要である。
 一方それより率直な人々(浅田彰の言葉を借りれば愚鈍な左翼 )は戦争責任を何らかの形で贖罪しようと試みた。これは現実的な行動につながらなかったわけだが、故に病的に反復されることになった。
 こうした中で最も重要なことは、この対立軸が、精神的観念的なものであるが故にあらゆる対立に敷衍して適応されるという事実である。つまり、あらゆる対立軸がリベラルか保守かの二元論で理解されることになるのである。ことにリベラル派にとっては、証拠として提出しうる具体的な何物をも持たない観念的反省であるが故に、(合理性如何に関わらず)保守的、全体主義的ととられかねない全ての思想や政策のいっさいを許容できなかったのである。
 つまり、日本の保革対立の特殊性は、その対立軸が経済政策や福祉問題といった実務的な問題によるのでなく、自らの国民国家としての存在意義の根拠づけ方によった点にある。このことは正常な民主主義の維持に対する著しい障害になってきた。例を挙げれば、本来ならばブレーンやシンクタンクを使って多角的な視点から検討された政策を競う場である選挙や国会がウェットな感情論の流出の場になってきたのである。  このことは先の米自由化の問題の時に端的に現れている。この問題はそもそも自給率、安全保障、他の穀物の生産、ガット理念の是非、環境問題等々複合的な問題を総合的に判断して議論がなされるべきものであったはずである。ところが各党とも統計的、経済学的研究(が無かったわけではないと思うのだが)に拠ることなく原則反対を叫び続け、気がついてみたら外圧によって押し切られ、その間国民にはなんの説明も謝罪もなしである。当時この決定を非難し続けた野党自民党も与党に復帰すれば問題の存在自体を無視しているかに見える。韓国の金大統領が食料輸入国韓国がガット体制を抜けるわけには行かない厳しい事情を国民に説明し、理解を求めると同時に公約違反を謝罪したのとは雲泥の差といえよう。
 韓国と比較したことでもわかるとおり、こうした日本の政治の在り方は人間関係を重視するアジア的文化によるものでも民主主義の伝統の差でもない。韓国社会はしばしば日本以上にウエットだといわれるが、政治に論理性がないという点ではわが国をしのぐものではない。これは単に日本の保革対立が理性的論争や論理的に構築された政策以外のものを重視してきた結果である。したがってこの問題を文化や歴史の問題として語るべきではない。これらは戦後日本特有の問題であるといえる。
 だだし、つけ加えていえば欧州の近代合理主義は王権との相克の中で彼ら自身が獲得したものである。一方、東アジアの近代合理主義は外部による王権の神性剥奪という契機をもとに始まった。我々は合理性の根拠を、人権やプロテスタンティズムという形で構築する余裕を与えられていない。
 いずれにせよ、合理性コンテクスト、正義の理念、客観的意見の存在基盤等の構築に失敗してウェットな感情対立に終始したという意味でいえば、左翼知識人の責任は甚大であろう。
 世界の趨勢はナショナリズムとブロック主義である。マハティールには大東亜共栄圏思想に似た危険な匂いがする。アメリカ議会はモンロー主義の再構築に魅せられているかのようだ。ECに関してはコメントの用もなかろう。しかし、こうした中で個と個のコミュニケーションが不可能であるとは言えないはずだ。
 国連50周年記念式典の席で、しかし原爆、南北問題、分担金未払いといった(たしかに重要ではあるが)主観的な主張、見解をのべる各国首脳の中にあって、国家利益ではなく全人類一人一人の幸せを考える場としての国連を強調したチェコ大統領ヴァーツラフ・ハベル氏のまともさは評価に値する(概して悲劇の泉源はまともがユニークであることにあるのだが・・)。
 世界的に見ても、その関係の中の日本を見ても危険は増大している。左派が論理的ナイーヴさ故に実践面で無為だった間、世間は左派へのいらだちを強めていった。近年の日本の特徴はオプティミスティックな性善説とそれを嫌悪する偽悪主義の分化だろう。政治的議論の不在は一部の海外援助活動などに見られる理論なき善意を生んだ。これは、さらにいえば(欧州に見られるような)理念の裏打ちの結果としての善意ではなく、自己正当化のための善意である。このことは結局この善意も戦後思想の流れの中に生まれていることが解る。一方、戦中の五族共和の理念が善意の空回りであったことを忘れられなかった人々は、いっさいの理念を認めないにわか拝金主義者か、浅田彰に代表されるような高踏的懐疑論者(あるいは深よみ主義者)になった 。
 この断絶の中でファシズムは新たなる姿を現しつつある。近年、五族共和思想はマハティールら東南アジア諸国の首脳たちののサポートを受けてその姿を再び現しつつある。また、石原莞次、安江仙弘といった満州国の「善意の人々」が再評価される傾向にある。たしかに率直に言って筆者なども石原莞次の思想にはひかれるものを感じないわけではないし、全否定すべきものでもないと思う。しかしながらそれらは狂気のもつ魅力であることも十分承知しておくべきであろう。
 一つには彼らの善意は観念的なものにとどまっており、彼らの良心とは、例えば東条英機や石井四郎よりましだった、程度の相対的な価値観しか持っていないという事実がある。なぜならば、彼らが嘆いた日本人の特権意識とは、彼らがあぐらをかいていた日本人内部での階級格差の写像でしかないからである。満州には成功と繁栄があると考えて移住してきた日本人が、ささやかな生活を守るために中国の農民から土地を奪い、馬賊に対して徒党を組むのを非難するとしたら、それら日本人移民と中国農民双方の犠牲の上に地位と権力を確立させた人々の、誰か一人でも罪をまぬがれると考えるわけにはいかないことは明白である。この点自らの地位を危険にさらしても信念につくした杉浦千畝の存在は日本人にとってわずかなすくいにはなると言えるだろう。
 もう一つは徳富蘇峰や「近代の超克」座談会の参加者たちがはまったような、西欧的近代の超克という言葉の持つ魅惑に覆い隠されたものが重要であることに、大東亜共栄圏理念の信奉者が気づいていないという事実に起因する。第一に問題となるのが、元々西洋の理念である国家や地域、分化といった概念を自明のものとして、かつアジアの固有性を構築できるか、が問われている。このことに関しては当然多様な議論が展開されている。一方では権利と義務といったいくつかの主要な西洋的な基礎概念が少なくとも政治理論の構築においては普遍であるという立場があり、一方では世界はあまりに多様であり、アジア的という概念すら曖昧で定立不可能だという立場がある。
 しかしながら、こうした理論が厳密に構築された理論であるとはいいがたいように思われる。つまり、最も重要なことはこれらは、西洋主義への単純で感情的な反発に立脚し、かつその域を逃れていないことにある。これらは一つの感情であってそれ以上ではない。もちろん、GNPや人権概念の超克への真摯な試みがこの世に皆無というわけではない。しかしながら、一般には合理主義への反発と、例えばフランスとイギリスが仲が悪いといったレベルの当然世界に存在する国民国家間の反発が無批判に結合されている。
 そして、こうした雰囲気は先に挙げた理論化されざる「善意」を装うことによって広がっていく。もし、近代を超克すべきなら、少なくとも国民国家やそれを単位とした文化概念を捨て去るべきであり、そうしたあとに「西洋の」合理主義も「東洋の」経済もあるまいと思われる。しかしながら、「善意の」理論は善意であることによって自らの存在意義を確定し、批判の目を自らに向けることをしない。こうした他者を自らに内包することのない視点は、アドルノの言う「冷酷さ」の一形態であるといえよう。すなわち、究極的には自らの正当化のための善意でしか無く、他者の視点に無関心であることによってしか成立しない善意なのである。
 また、こうしたことを容認している高踏的懐疑論者たちのも批判の目を向けないわけにはいかない。この立場はいっさいの真理を認めないが故に、先に述べたようなアジア中心主義にも懐疑的な眼を向ける。しかし、この批判の眼は限定的にながらこうした主義の存在を許容してしまう。一つには筆者自身そうなのだが、自身に、よって立つ論理的基盤が無いため、他者の視点を相対化していくと、その相対化している自己の視点すら相対化せざるを得なくなり、結果としてメビウスの迷路をさまようことになる。また、こうしたさまよいの労力を忌避する結果、無制限な相対主義者になることもある。アメリカや韓国に無反省な嫌悪感を見せる中年層にもうんざりさせられるが、比較的若い人々の口にのぼる、うちも悪いけどあっちもね、というような無批判な相対化のせりふも受け入れがたい。この立場も結果として冷酷さの一種であるといえよう。
 これまでに私が試みたのは戦後日本の、荒削りな描写にすぎない。そこで明らかになってきたのは理論の不在である。それはしばしば近代的自我の確立を阻んできた。これはわが国の政治にとって大きな不幸であった。一方、欧州世界が近代的自我の終焉を唱え、何人もの高名な哲学者たちがわが国の価値観に再三ラヴ・コールを送ってきたのも事実である。環境問題、人口問題等を抱える世界は、もはや近代的な論理体系で説明し尽くせる透明な世界ではなく、不完全さと混沌に満ちた世界である。ここで詳しい論証は避けるが、西洋の論理が行き詰まりを見せていることもたしかであろう。
 しかし、我々はこうした問題点を克服すべき視点を持ちうるのだろうか。ここで直接にその問題に答える余裕はない。しかし、本稿のような観察が示唆するものは考察を加えた2つの立場、すなわち反省無き善意と高踏的懐疑主義の折衷案であるように思われる。すなわち、善意と積極性を持って行動すること。そしてその上で、積極的な自己の相対化を実践のためにこそ行うこと。もし、全体的で包括的な理論が構築できないならば個々の問題の上にたった、問題対応型の理論と自己を構築していくこと。これが文化や理論の共訳不可能性を打ち破るダイナミズムを維持する唯一の道であるかに思われるのである。


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