日本では学術振興会 特別研究員制度というものがありまして 
 博士課程を出た大学院生の10人に一人ぐらいが月給38万円ほどと研究費を150万円弱貰えます。 
 で、人類学などフィールドワーク系だと、これに受かるか受からないかで人生が劇的に違うので、 
 皆さん気張って応募するわけです。 
 ここで公開するのは、2002年度に応募して不採用になったものですね(採用は2003年度からということですね)。 
 基本的に使い回しはしないつもりの研究計画書なので、去年に引き続き、公開してしまいます。 
 なんかの参考にしてください(「落ちた物」であることをお忘れなく)。



学術振興会特別研究員PD申請書類

グローリゼーション下において、先端技術が第三世界にもたらす社会的影響について


◆研究課題(40字)
 グローリゼーション下において、先端技術が第三世界にもたらす社会的影響について

◆現在までの研究とその成果(1600字)
 これまで申請者は主に、小笠原諸島を題材に、日本においてエスニック・マイノリティであるという説明を採用することの困難について研究してきた。小笠原の島民は、国際的ないし国内的な事情の生み出すダブル・バインド状況によって、自らを説明する語彙を失うのである。このように、自己を表象する適切な言葉が構築できない存在をサバルタンと呼ぶ。冷戦体制の崩壊以降、確かに我々の世界把握の仕方は多元化したが、それ以上に人々の生活と利害も多元化している。そういった事実に留意して、国際情勢と地域住民の生活の関係を、より緻密なかたちで把握する必要がある。
 サバルタンを生み出している多元化現象に、大きく関与しているのが、科学技術、特に情報科学と生命科学の展開である。これらの技術の発展と導入によって、人々は生活を変えることを余儀なくされる。たとえば第三世界の農民のケースを見ると、こうした技術導入の結果自体は様々であるが、失敗による小作化であれ、成功による中産階級化であれ、いずれも資本主義の外部にあった地域や主体を資本主義経済に組み込む結果をもたらしている。
 申請者は昨年9月から11月にかけて、科学論者であり、反遺伝子組換え作物と有機農法推進の運動を続ける活動家であるヴァンダナ・シヴァの主催するNGO、ナヴダーニャの活動を調べるためにインドを訪れた。ここでは、インド全土からNPOの代表が集まるシンポジウムに参加すると共に、ナヴダーニャの農場と有機農法運動に参加しているヒマラヤ地区の農村の見学に参加することができた。また、遺伝子組換え作物の研究者など、推進派にもインタビューを行った。
 農村見学では、主に先進国のNPO活動家や研究者からなる十数名のグループと行動を共にした。農村の人々とこれら先進国からの訪問者の間のコミュニケーションは、言語的には可能であった場合ですら、ナヴダーニャが提示するスキームの仲介によって行われている。つまり、シヴァらが著作で繰り返しており、先進国の人間にもなじみの深い言葉となっている「生物多様性」や「持続的発展」がキーワードとして多用される。村人が反グローバリゼーション、反遺伝子組換え作物を支持し、生物多様性を重視する背景には、無論年々進む土壌の荒廃、肥料代の負担が大きくのしかかる経済状況、また自由化によって直面する国際競争といった問題がある。それに対して、申請者自身を含む先進国の人間は、地球と人類全体が直面している、より大きな問題に対する抽象的で理想主義的な理念にもとづいてそれらの思想を支持しているのである。フォスターの『インドへの道』では相互理解にもかかわらず空間の共有に失敗する帝国と植民地の成員の関係が描かれていたが、ここでは、先進国と第三世界が、相互の誤解、ないしはすれちがいにも関わらず、両者が空間を共有することが可能になっている。つまり、先進国からの参加者は「生物多様性」に代表される語彙をあくまで「地球市民」たる「人類」の統合のために使っており、かたや第三世界の人々は先進国への抵抗の語彙として使っている。
 申請者は、日本国内においても、NGO、企業などから情報や意見の聴取に務めてきた。また、また遺伝子組換え作物に関するコンセンサス会議についても調査も行った。これらの研究から、第三世界においても、先進国においても、市民の選択や行為には文脈依存的ではあっても十分な合理性が伴うものだという結論を得た。但し、これらの「合理性」は社会の諸セクター間で十分討議され、その社会全体の指針に影響を与えているとは言えない。従って今後は、個々の局面に応じた適切な意思決定システムの構築が求められている。

◆研究目的(800字)
 本研究は、以下の諸要素の絡み合った関係を読み解き、より適切な科学技術政策と第三世界援助に関する展望ないしは理論の構築を目指すものである。
 第一に、環境問題に対する地球規模の対策を求める先進国と、先進国主導の対策推進の中に第三世界の開発と発展を制限し南北関係を固定化する新たなる帝国主義を見いだす第三世界の間の緊張がある。この対立は、WTO交渉や気候変動枠組条約を巡る交渉などで噴出している。しかし、環境を基礎においた世界認識も、南北問題を基礎においた世界認識も、同様に共同体内部の多様な利害関係を見落としがちであり、この点で、そういった層をすくい上げるサバルタン研究が要求される。
 第二に、経済のグローバル化と新しい科学技術の発展は互いを補強し合う形で緊密に結びついている。この両者は連動して新しいタイプの資本主義を形成し、この資本主義は第三世界の民衆に対して先進国型の経済活動や思考様式を押しつける一方で、彼らが持っていた資源や環境に対する知識を実験室に押し込めることによって収奪を行っている。この収奪(と考えられているもの)を告発する過程で適正技術とオルタナティヴな開発に対する思想が第三世界に醸成されてきた。この思想は反射的に先進国にももたらされている。
 ただし、先進国への普及に際しては、当初は精神主義や神秘主義的な語彙を通じて行われることを必要としたし、現在でも第三世界のニーズが先進国に十分に伝わっているわけではない。しかしながら、微妙な誤解を抱えつつ、シアトルのWTO閣僚会議への反対運動のように先進国市民層と第三世界の間で一種の共闘が成立するという事実は、哲学と社会学の両面にわたって興味深い問題を提起する。
 また、こうした不思議な共闘は21世紀に入って揺らぎつつあり、このことの理由を探り、国際的なアジェンダの再構築を求めることは、実務的な面でも急務であると言えよう。

◆研究内容(1600字)
 本研究では、第三世界における現地調査と、先進国の現状の両面から、技術革新と開発を巡る問題を明らかにする。
 これまで、科学技術と第三世界の関係については数多くの議論がなされてきた。その多くに共通する前提は、技術革新は先進国で起こり、第三世界はそれを受容するというものであった。内的発展論を採用したとしても、それは第三世界がその域内で「独自に」培うものであり、それが先進国に与える影響と言えば、最大限精神的なものにすぎないとされている。これは、単純に実験室的な科学技術のみを技術革新と見るのであれば、概ね妥当である。しかし、因果関係を転倒させて、技術革新を実験室に追い込むことが資本主義下において目標化されていると考えれば、この視点の問題点も明らかになってくる。つまり「育種」という言葉に示されているように、これまでは品種改良と年度ごとの播種・収穫は不可分な行為だったのである。
 しかしながら、バイオテクノロジーの時代では、生物種の特性は実験室によって調査・管理されるのであり、地域住民が持っていたローカルな知識は、彼らが受動的な種苗の購買者とされることによって消滅する。現在の生物多様性を巡る闘争の中でこのことは大きな問題となっている。つまり、抵抗の形態として、単純に種の利用権のみならず、種に関する知識へのアクセス権やその保有権が焦点化されるのである。こうした闘争の局面は極めて状況依存性が強く、フィールド調査が必須のものとなるであろう。
 ナヴダーニャ運動に関わる現地の人々も、幾層かのグループに別れている。先進国との窓口になる国際的運動家、現地で活動する指導的知識層、目標を理解して実験農場で協力している富農層、より実利的な選択として有機農法を選んだ僻地農民などがいる。これらの人々の間も、生物多様性、遺伝子、グローバリゼーション等に対する、先の先進国と第三世界とのギャップと同じような、意識の違いが想定される。これらを言説と認識の両面から明らかにすることが現地調査の最大の目的である。
 品種改良の実験室化と生産現場の工場化という現状を捉えた場合、そうした知識生産能力の逆移転を可能にする、国内的ないしは国家間の法制度や社会制度の問題を明らかにすることも重要課題である。
 近年の経済市場では、中産階級化し、多様なニーズをもつ消費者の個別性に合わせた商品(Solution)を提供することが求められるようになっており、消費のスタイルに合わせて生産物を再編成することが企業活動の主要な位置を占めるようになった。所謂Agile Economyである。その中では、生産地は選択的に市場化され、本来同一性を持っていた地域共同体が分断される。ここでは、古典的な比較優位性の前提は通用しない。
 この分断化への反発がシアトルにおけるWTOの会議に対する抗議行動として、世界中のNPOや労働組合を結束させ、事実上会議の続行を不可能にせしめた。しかし、労組と農家、第三世界の政府とNPOといった多様なセクター間で目標の共有が可能だったわけではなく、その後ドーハ会議などでWTO体制は順調な発展を遂げる一方、反WTO派は統一的な目標を見いだせていない。本研究ではこれらの状況をグローバル化として捉える。
 Agile Economyというプロセスを進行させた最大の要因は科学技術(特に情報とバイオ分野)と国際商取引制度(特に知的所有権関連)の爆発的な発展である。その顕著な例は、かつてその商品性を守るパテント制度が無かったことにより完全に無視されていた代替農薬としてのBT毒素が、遺伝子組換え技術の発展と、特定の遺伝子配列にも特許を認めるという国際的合意の構築によりBT組換え作物の誕生に至ったケースである。
 これらの状況をふまえて、技術革新と知識の占有を巡るメカニズムを明らかにする必要がある。
 
 ◆年次計画(800字)

一年目:
 国際交渉と関連する科学技術に関する情報の収集と論点の整理を行う。文献やインターネットでの資料収集は概ね完了しているので、それらを元に関連組織や開発企業、研究者へのインタビューを行う。貿易交渉関連の研究は各国毎に視点が違うため、海外の研究者などともコネクションを維持する。
 また、二年次以降第三世界の現場についてのフィールドワークを行うことを念頭において、現地との連絡、調査の準備、予備調査を進める。

二年目:
 第三世界のいずれかのNPOについて、インターンシップ制度などを活用して、参与観察を行う。選定についてはその活動の先進国的視点からの合理性と、現場への密着度を勘案して選定するが、インドのナヴダーニャから受け入れても良いという回答をいただいており、現状では最も適切であると考えている。
 ナヴダーニャは、デリーにおける研究活動と、農村地区における普及活動の両方をフィールドワークする。一年次においてはデリーや海外での宣伝や交渉を中心に観察し、先進国とのインタラクションや、組換え遺伝子の検出や有機農法関連の育種技術についてのラボラトリー・スタディーズを目的とする。

三年目:
 農村部でのフィールドワークを中心に行う。有機農法運動に参加している村と参加していない村の対比的を念頭に、生業システムを調査する。特に、新規技術と経済の変容が農民層のライフスタイルと認知にどのような影響を与えるか、幾つかの先行研究をふまえつつ、参与観察と認知実験から検証する。ここでは、一年次、二年次に得られた先進国や都市からの認知と、現場の認知の差異に特に留意する。
 これらの研究から、開発に対する現地のニーズがどのように開発援助や国際的なNPO活動などに影響を与えているか、あるいは見落とされているかを明らかにし、現地と国際社会の関係の在り方をモデル化、提言する。

◆研究の特色(1600字)
 本研究は、WTO体制と科学技術の発達によって創り出された経済状況と第三世界の人々の応答を、次の二つの次元から考察することに特徴がある。
 第一は、新しい資本主義形態への抵抗戦略としての、適正技術の採用の可否である。先進国主導の開発は通常、ある地域の一部を集中的に開発すれば周縁の経済状況も改善するというTrickle-Down理論を前提していることを装っているが、実際は不採算部門の切り捨てという構造調整プログラム的前提が隠されている。このとき、当該の地域共同体全体として「経済的に合理的な」選択は不可能になり、得をする人と損をする人、というディバイドが存在するだけである。こうしたことへの反発として、地域文化の一体性を訴える先進国極右や第三世界の地域文化リヴァイヴァリズムの勃興があると言えよう。
 無論、穏やかな多文化主義的ナショナリズムも可能かも知れない。本研究が対象にするシヴァはそういった主張の担い手の一人である。一方で、そうった立場すらも十分に弱者にとって危険で、かつグローバリゼーションに寄与するという批判もありえる。こういった批判はサバルタニズムと総称できるが、その最も先鋭な担い手は、インド出身で在米の批評家ガヤトリ・スピヴァクである。本研究では両者の立場が同じように整合性と意義を持つと考え、その調停の可能性を、現地の言説と実際の生業システムや経済状態の両面から考察する。
 第二に、生活の再構築のため、経済的にまったく合理的な選択として適正技術を選択すると言うことが可能かどうかという問題である。
 一般に、GMOなどの先端技術は人口増加という圧力に抗するために開発されると説明される。しかしながらセンらの反証の通り、直接的な飢餓が生産性の低下からもたらされるというのは早計である。また人口圧のロジックで推進された「緑の革命」は多くの第三世界で経済活動の活発化を促したが、同時に貧困層を固定し、土壌を荒廃させ、水利権闘争などの形で紛争を誘発した。国際種苗会社の喧伝するロジックはこれらの現象の解決すらも示唆するものだが、現象の背後にある先進国と第三世界という世界構造には無論無批判なままである。
 一方、適正技術と呼ばれるものはこれまで数多く提出されているが、現地の状況に依存する部分が大きいこともあって、統一的な運動とはなっていない。無論、本研究が主要な対象とするシヴァの運動が、インドの地においてどの程度の合理性を持ち、その理論的前提がどの程度の普遍性を持つかの検証は欠かせない。また、インドとヨーロッパは思想的に緊密な連絡関係にあり、その中でシヴァが依拠するヨーロッパ的思想(有機農法のハワードや適正技術のシューマッハなど)も誕生してきているが、そういった議論の訴求力や錯誤、あるいは時代的制限も考察されなければいけない。
 これらのことをふまえ、先端技術と適正技術が現場で実際にどのように機能するか、経済的な有効性や導入による文化変容などから具体的に検証する。
 この、合理性を軸にして相互に対立的な、二つの視点を同時に考察することを意図して、第三世界を取り扱う例は極めてまれである。これまでの開発研究では、科学知識は静的なものとされており、グローバルなダイナミズムに関与し、時として自らを変容させるものであるという観点は看過されてきた。これは、第三世界からの運動が思想的にも政治的にも先進国に影響を及ぼしうるものであるという可能性が、示唆されつつも具体的に論じられてこなかったこととも関連している。近年の科学論の中では、科学知識すらもが政治的であるというフーコー以降のテーゼに関する論争は極めて思弁的なものに留まっているが、上記の視点の研究を推進することで、こうした状況に現実的介入をもたらすことができると考えられる。


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