むすび

 まず、我々は幾つかの可能性の中から西洋近代が現在の道を選択するに至る過程を見た。フェニキアやエジプトが否定され、太平洋的な技術は省みられることがなかった。一方、北大西洋のヴァイキングの造船と遠洋航海の技術は大いに取り入れられ、イタリア、イベリア両半島において地中海的な空間測定や地図化の技能と統一された。この時、たとえ同じ技術を持っていたとしてもエジプト時代のそれではなく、北大西洋のそれが選ばれた点に注意する必要があろう。それは英仏やハンザ同盟諸国との交易の開始と関係していた。そして、そうした技術を活用するために国家の存在が前提された。
 国民国家のほう芽はこの時代に見られる。そして、その国民国家がプトレマイオスの空想じみた知識を転倒させて帝国形成の道具にかえた。それにはネブリハ流のよく教育された国民が必要だったし、「領土を支配する国家」という思想も必要だった。新大陸を発見したのがレイフ・エリクソンでなくコロンブスだとされたのはレイフ・エリクソンに「領土」という概念が無く、したがって「領有化」など宣言しなかったからである。
 こうした空間認識と実際の世界進出の深い関連を見てしまえば、単純な進歩史観は取れないことがわかるだろう。地図は世界そのものではなく、世界は決して地図上にその全容を表しはしない。地図は文化固有の空間認識を表しているにすぎない。
 我々はポイティンガー図に代表されるローマ系の地図が忘れられていく様を見た。ローマ系の地図は、実際は深く中世の地図に影響を落としていたにもかかわらずである。そして、大航海時代という近代の幕開けを迎えるにあたってヨーロッパ人達が選んだのはギリシャ風のプトレマイオス図であった。プトレマイオス図は精緻化され、1569年、メルカトル図法を生んだ。たしかに、ここではギリシャ文化がヨーロッパ近代の源流であったわけだ。しかし、ローマ地図がギリシャ地図に比べて劣っていたわけではない。アグリッパが残した地図はすでに一葉も残っていない。しかし、彼が採った方法がある地点からの距離を正確に記すことだったとは知られている。そしてこれは近代の幾つかの方位図法、特に正距方位図法の発想と同一であると云えはしまいか。
 正距方位図法では中心点からの距離が正しく描かれ、周辺に行くに従って形も面積も不正確になっていく。しかし、帝国の運営にはローマや主要な都市を中心にした数葉のこうした地図と、緯度経度による誤差がでない狭い面積を地図化したごく普通の地方地図があれば十分だったろう。一方、大航海時代において拡張していく世界には、方位図法的発想は明らかに適さない。この様式は外延に新発見を書き加えると云うことができないからである。こうした新発見を反映させて行くにはあらかじめ地球全土が視野に入ったプトレマイオス図や羅針盤を書き加えていくことによって拡張していけるポルトラーノが数段優れている。この事は、両者が航海に適した地図であることと同じくらい、地図の採用に影響している。
 方位図法的な発想が復活するのはさらに長い時間を必要とし、その功績がローマ人に帰されることは一度としてなかった。むろん、本稿とてアウグストゥスとアグリッパの復権をねらってのものではない。平射図法や心射図法が航空図として実用化されるまでは方位図法は全体として意味を持たないものになったし、航空図を開発した人々がローマ地図を参照する方法はまったくないからである。したがって、ローマ地図が現代の方位図法の原型であるとは言えない。
 しかし、ではプトレマイオス図はメルカトル図法の原型と言えるだろうか。まったく実用的な目的のために開発されたメルカトル図法と、ギリシャ人の世界観の表明として、異文化のものにとってはTO図が意味を持たないのと同じぐらい意味を持たないはずのプトレマイオス図が、同じものだと言える根拠は何処にあるのだろうか。それは、世界認識の方法(科学的方法)の類似ではなく、形式の類似であるにすぎないのではないか。歴史的連続性は認められるにせよ、それ以上の論理的あるいは認識論的な同一性を読み込むことは不可能と言えるのではないか。しかも、これは強調されていいことだが、いずれにせよ中世の人々の手による「復刻」以外のの、純然たるギリシャ文化の中のプトレマイオス図など見つかってはいないのである。
 技術に文化を読み込む必要があるのは現代においても同じである。先に見たフェニキアの技術やローマ地図のような、忘れられた技術や認識論が世界のどこかに眠っていないと、そして我々の「科学」がそうした方法論を排除したり忘れ去ったりしていないと誰が言えるであろうか。
 D.ウッドは、古代の地図には偏向があることを認める人々も、いざ自分たちの地図になると客観的な現実の写真だと思い込んでいることを警告している。こうした地図はしばしばポートレイトとか「展望図(views)」とよばれ、客観的なものとされる。また、しばしば地図は科学的客観性のメタファーに使われる。しかし、ウッドによれば、現代の衛星写真からつくられた地図でさえ完全に客観的と云うわけには行かない。一方、マッパ・ムンディはキリスト教的な世界像を伝えるという精神的な機能の上で「完全に正確だということになる」(ウッド1993 122)。
 カリフォルニア州サンタモニカの地圏プロジェクト(GeoSphere Project)のトム・ヴァン・サント(Tom Van Sant)らがつくった「地圏(GeoSphere)」地図は写像としての地図をつくる最高の試みと言えよう。と、いうのもアメリカの海洋大気局(NOAA)の気象衛星TIROS-Nから送られてくる膨大な衛星写真の中から、雲のない写真を選んで構成された、地球の全図であると同時に一枚の写真であるからだ。しかし、これとていかなる思想も認識論も反映していない客観的な写真なわけではない。ヴァン・サントは「たくさんの主観に基ずく方法を慎重に使って、人工衛星のデータにフィルターをかけて修正したことを、公然を認めている」(ウッド1993 122)。この地図は北が上に向けられているし、水平に赤道が走っている。雲を排除すること自体が、気候という地球の最も顕著な特徴を排除することになるのは云うまでもない。また、雲のない写真が得られなかった地域には人工的な彩色をほどこた。また、低緯度や中緯度では夏季の植生を示す画像が選ばれ、高緯度帯や高山では積雪のある冬季の映像があてはめられた。通常の地図では河川は(見えなくなってしまうため)太めに表現されるが、ここでは自然のものでない色をぬり、際だたせる手法がとられている。また、人為的なものの影響は極力排除された(ウッド1993 122)。
 こうしたことから、ウッドの地図はそもそも客観的ではないわけである。さらに、もし河川が国と国の国境を形成しているとすればどうだろう。河川を強調する行為は国家と国家の境界も明確にし、想像の共同体の形成に一役買うことにはならないだろうか。
 ウィルフォードの仲間の地図技師が、彼らが衛星からの写真を頼りにグランドキャニオンを訪れたとき、次のように述べていることに注目しよう。「より信頼性の高い地図をつくろうとするならば、その場所にのめり込んで、道や岩や植物に直に接しなければならない。より信頼性の高い地図とは、正しい計算ばかりでなく、正しい感覚を伴ったものなのだ」(ウィルフォード1981 554)。
 しかし、ここで何の変化も進歩も無かったということは現実を見失うことになるだろう。歴史は常に変化している。例えば、日本人にとってはTO図は今も昔も意味を持たないが、衛星からの地図を見ることはヨーロッパ人にとっても日本人にとっても世界と現実を理解することの助けになる(CNNやアメリカ合衆国にとっての現実かも知れないが・・)。また、まったく我々と文化を共有しない人々、たとえば宇宙人がTO図とヴァン・サントの地圏地図を見比べれば、どちらかというとヴァン・サントの地図のほうが「写実的」に見える可能性は高いように思われる。
 このことは、現在科学と呼ばれているものが、固有の経験に依存しない客観性と抽象性を、少なくとも中世の時代よりは備えていることを示すように見える。例えば、熟練の航海者と新米の若者の間では、同じ海を見ても当然違うものが見えるはずだ。通常は熟練の航海者のほうが多く、物事を見て取る。若者はまだ潮の流れを読めず、陸標を見分けることができない。「文化」は長い間に培う経験に立脚している。しかし、ポルトラーノ上の操作はこうしたことを抽象的に、世界のどの地点にいても誰もが行えるようにした。
 もし、知識体系の変化が一貫した方向性を持っているとすれば、それは抽象化の度合いを高めてきたということである。南太平洋の航海者達の架空のカワハギによる空間の概念操作よりも、ポルトラーノの上での「距離」「方向」「速度」という位置認識のほうが我々にとってははるかに理解しやすいし、多くの異文化に属する人間にとってもその通りであろう。また、ポルトラーノに比べればヴァン・サントの地図のほうが理解しやすい。これは南太平洋において省みられず、ヨーロッパにおいては一貫した方向性になっているように思われる。
 これは何を意味するのだろうか。ポルトラーノによって、ヨーロッパ人は誰もが南太平洋では経験を積んだものだけが行えるような航海を行えるようになったのだろうか。
 例えば、ある文化の人々は数を三つまでしか数えられないとする。しかし、とってきた木の実を10人の仲間におおむね平等に分配することは可能だ。つまり、全員をその場に集めて一人一人順に渡していけばいい。我々がトランプを配るときと要領は同じである。しかし、このオペレーシションはこの人々が10までの「数学」を知っていることを示しているだろうか。この比喩は逆転が可能である。私は今、一枚の地図を前に太平洋のある地点を航海していると想像することができる。そしてこの時、ポルトラーノやメルカトル図法を使って、私は容易に船の進むべき方向を知ることができる。
 しかし、この事は我々が海を知っていることになるだろうか。実際私がもし本当に洋上にいたならば、数々の困難が持ち上がり、決して論理的になどいかないだろう。抽象的な次元の操作と、経験に基づいた操作は、何らか別のものなのではあるまいか。現代においても船を扱うものは相応の訓練を受ける必要がある。
 現代においては誰もがこの訓練を機械的に受けられるという前提がある。貴方がサラリーマンの息子でも、八百屋の息子でも学校にはいって航海術を学ぶことが不可能なわけではない。しかし、南太平洋の知識は誰もが利用できるわけではない。抽象化された知識は誰もが利用できる。
 この事には一つの陥穽が隠されてはいないだろうか。現代人はなぜこのような「標準的人間」という形而上学をなんの前提もなく使えるようになったのだろうか。そして、なぜ南太平洋の人々は使えなかったのだろう。南太平洋の人々よりポルトラーノの作者達のほうが、ポルトラーノの作者達よりもヴァン・サントのほうが人々の抽象的な視点を前提できるのだろう。そこには文化の否定が隠されている。
 ポルトラーノの空間認識は南太平洋のカワハギの空間認識のように、島やカヌーや海流それにサタワルの神話や生物の知識といった文化的知識を要求しない。かわりに人間ならば備わっているはずの共通の理解力が要請されている。しかし、それは文化的知識の否定でもある。ヨーロッパの知識を利用するものは世界をありのままに見なければいけない。海洋は世界の何処にあっても平板な海洋でなければならず、その上にカワハギが見えたり、ありえない島が見えたりしてはいけないのである。
 ネブリハの言葉をもう一度引用する。
「女王陛下、私の絶えざる望みは、我が国家が大きくなること、そして我が言葉を話す人々に、彼らの余暇にふさわしい書物を提供することでありました。目下のところ、彼らは小説や虚偽に満ちた空想物語に時間を浪費しています」
 ここでいう小説や虚偽に満ちた空想物語とは、まさに南太平洋の巨大なカワハギのに相当するものではなかったか。ネブリハは人間が生活や経験の中から手に入れた文化的知識を抹消し、帝国の建設に貢献する官製の知識を強要したのである。まさにヴァナキュラーなものの否定が始まった。
 山口裕一は「鳥瞰図マップ」と「道順マップ」の区別を設け、鳥瞰図マップの優位を否定している。その中で例証しているのが、イヌなどの動物は鳥瞰図を知らなくても数々の手がかりを利用しているので道に迷うことはあまりないと述べている。たとえば色、形、偏向等の視覚およびその他の五感、筋肉運動感覚、重力場および電磁場などが使われる。また、人間も実際は町の鳥瞰図をイメージしているわけではなく標識やランドマークになる建物をイメージしているわけである(山口1995 166-168)。
 しかし、ネブリハ的な発想はこうした風土的な知をも破壊し、全てを視覚に還元する。
 抽象化された知識を理解するのはやはり抽象化された人間である。「誰でも」理解できる知識は経験や文化に依存しない知識である。ネブリハ以降、自然の中に数々の物語を見ることは否定される。人間は、白紙の状態で生まれて、正当で客観的な知識をのみ吸収して行くべきなのだ。新大陸に豊かな神の象徴を「読む」コロンブスはもはやドン・キホーテである。
 これが人間の抽象化の偉大な業績である。知識の抽象化と人間の抽象化は組み合わせて行われる必要があったのだ。しかしそうした理想にもかかわらず、人間とはヴァナキュラーな存在であるらしい。決して白紙の状態で生まれてくるわけではないし、決して客観的な観察をするわけでもない。近代の教育とはこの抽象的な人間(三浦によれば『身体の零度』)に到達しようという絶え間ない試みだが、それが成功したことはかつて無かったし、これからもないであろう。なにより、ネブリハが官製のものとして提示したカステリャ文法からして起源はラテン語がくずれたクレオールなのだ。
 したがって、ネブリハが提示した言語を受け入れるというのは文化的決定に他ならない。ヨーロッパ文化は「文化を否定する」文化を自分たちの文化として受け入れたのである。したがって、現代の我々も「文化を否定する文化」という、奇妙な逆説を前提している文化の中にいることになる。この文化は他者の文化を劣ったもの、迷信であるとするばかりか、自分自身をも果断に否定し、自分自身の歴史を再編成してきた。オリエンタリズムはヨーロッパ自身をも再編成しているのだ。
 つまるところ、近代科学は確かによりよく抽象化された視点の基に編成されている。しかし、それはニーダムが夢想したように諸民族の科学の総合の結果であり、人間に共通の視点を前提しているからではない。「人間に共通の視点」という前提そのものがヨーロッパでしか通用しないのだ。
 したがって諸民族すべてがそれを理解して支持できるわけでもないし、諸民族全てのウェルフェアーに貢献するわけでもない。そもそも自分たちのヴァナキュラーを否定してまで西洋化するモチベーションを彼らは持たない。
 それはニーダム自身が共有するヨーロッパ文化の中に存在する「純粋な人間」という夢想の産物なのである。その限りにおいて、近代科学は「純粋な人間」を夢想する近代という文化の産物である。
 しかしネブリハの弱点は、スペインがキリスト教の神の下に団結していることだった。コロンブス的な世界解釈は時代遅れだとしても、神の象徴を全て否定することはまだ基礎固めの段階の国民国家にとっても命取りなのである。なぜなら帝国の領土の正当性を補償するのは神なのだから。したがって、しばらくは神と世俗の奇妙な同居が続くことになる。ヨーロッパが政治と経済の世界から神を完全に抹消することに成功するのは、ずっと後のことである。
 この時「純粋な人間」あるいは「身体の零度」は強力な支配の道具として完成を見る。文化的な徴付け(割礼、お歯黒、コルセット等々)にたいして我々は反逆することができる。しかし、純粋な人間という形而上学に誰が抵抗できようか。


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