【原稿】 WSF連絡会「もう一つの世界の可能性」 (写真)

ピープルズ・プラン研究所のニューズレターに掲載した「もう一つの世界の可能性: ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間)を考える」の報告。


 WSF連絡会「もう一つの世界の可能性: ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間)を考える」
  People's Plan Study Group Newsletter No.6 2004年5月 p.3

 2004年1月、インドのムンバイで行われた世界社会フォーラムは世界中から10万人の参加者を集めた。フォーラムは、様々な問題に取り組む人々が共通の問題を探るための場所として、年々重要性を増してきているが、日本ではマスメディアによる報道もほとんど見られず、また現地でも日本からの情報発進があまりないことに対する不満の声が多く聞かるなど、日本社会にとっての課題を残している。
 こうした中、4月24日、文京区民センターに社会フォーラムに参加する運動体の互助組織としてつくられた「世界社会フォーラム日本連絡会」が主催する報告会が行われた。タイトルも『もう一つの世界の可能性: ムンバイを経過して社会フォーラムという運動(or 空間を考える)』とされ、日本からの参加のあり方を問うものとなった。ほとんど宣伝もしない中、約50人ほどの参加者があり、熱心な討議が行われた。
 まず、4月初めに開かれた世界社会フォーラムの国際委員会に参加した大屋定晴氏(ATTAC Japan)と国際委員会の正式メンバーになったピースボートを代表して山本奈美氏の二人から報告があり、その後ムンバイに参加した要友紀子氏(SWASH)、稲葉雅紀氏(アフリカ日本協議会)、なすび氏(山谷労働者福祉会館)が今後のあり方について提言を行った。特に三氏の見解の共通点を挙げれば、社会フォーラムが巨大化するなかで、どう少数派のものを含む多様な意見を無視しないようにしつづけられるかが問われている、という点である。大屋氏からも、このことについては国際委員会でも討議が行われていると説明があった。
 これらの報告を元に、参加者は6つのグループに分かれて、今後の日本からの参加のあり方について討議が行われた。大多数の参加者は社会フォーラムに参加していたわけではなかったが、各組とも活発な議論が行われた。連絡会のイベントも会を重ねるごとに、参加者が日本社会フォーラムや東アジア社会フォーラムといった場の必要性を共有するようになっているように感じられる。多くの困難は予想されるが、実現の可能性は模索されるべきであろう。
 最後に時間を若干延長して連絡会の今後についての話し合いが持たれた。今のところ、連絡会は会費も取らず、明確な会員制度もない緩やかなネットワークとしてやって来たが、世界に向けてより積極的に情報発信していくこと、特に国際委員会のような場に参加者を派遣する必要などから、連絡会もしっかりとした組織に改編していく必要があるのではないかという議論がなされた。

会場風景↓


パネリスト会場風景

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このページは、かすががMay 16, 2004 3:35 PMに書いたブログ記事です。

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