基本的に昨日の記事ヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題の続きですが、主に幻影随想: 「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァ へのコメントということで書かせていただきます。
 論点はまったく一緒で、人類の未来については様々な予測とその対策があるかと思いますが、論敵の「不合理性」をことさら強調するような議論の仕方は感心しない、ということです。
 もちろん、幻影随想ブログがニセ科学問題について熱心に活動されていることには敬意を表しますが、社会経済的な合理性の問題は、もう少しだけ枠を広げて考えないと、問題の解決は難しいのではないかということも申し上げておきたいと思います。
 (つまり、なぜニセ科学やニセ医療が間違っているかは科学的な問題でいいかもしれませんが、なぜそれらが信頼されてしまうかという問題は、正しい科学や医療が正しいものだと納得、安心されていないという現状についての考察なしには成立しないのではないか、ということです)

 

 Domon blog -Formerly known as Dog year's blues-: 不作為による危害に責任はないのか?という記事からヴァンダナ・シヴァ氏を紹介した拙稿にリンクを付けていただいたようです。
 今年2月の記事で、ややタイミングを逸してしまったかもしれませんが、気がついたのが最近と言うことで、急ぎ、コメントを書かせていただきます。

 ブログのような主張はサイエンティストに一般的なもののように思われますが、背景には「我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない」という憶見があるように思われます。
 本記事で、別にヴァンダナ・シヴァらの主張を支持するようになれと説得するつもりはありませんが、自分とは立場の異なる人々の主張にも、一定の合理性があるという前提で解釈してみようとすると、世界はだいぶ広がるんじゃないか、という主張はさせていただきたいと思っています。

 もちろん、ヴァンダナ・シヴァを初めとした第三世界の有機農法普及活動家が主張しているのは「多収量品種を使った近代農法や遺伝子組換え作物より、有機農法のほうが安全だ」ということなわけですが、この「安全」は単に人体にとっての安全ということだけではありません(というか、人体への安全性の部分のウェートはあまり大きくないと思ったほうがいいと思います)。
 具体的に見ていきましょう。

 モロッコの首都ラバトで開かれた世界社会フォーラム国際評議会の議事録を送ってもらいました。

 2010年は「グローバル・アクション/モビライゼーション・イヤー」となるので、大会としてのフォーラムはお休みで、各地で分散フォーラムが開かれます。
 だいたい予定されているものを最後にリスト化します。
 日本でも、大阪と東京でなんらかのフォーラムを企画中です。
 グローバル・アクション・イヤーについては、社会フォーラムとしての統合性を維持するために、共通のロゴやスローガンをつかったり、グローバル金融危機への議論を行っていくなどの方策が議論されています。

 2011年はセネガルの首都ダカールで世界社会フォーラムを開催することがほぼ決定されたようです。


▼2010年に予定されているイベント

1. ポルト・アレグレ(ブラジル) 世界社会フォーラムの10年 ダヴォス会議に会わせて1月24日から28日

2.危機へのオルタナティヴのためのカタロニア社会フォーラム

3. リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル) 都市の権利 世界都市フォーラム 3月22日から26日

4. アンデス地域 テーマ・フォーラム "文明の危機" 第一四半期

5. アメリカ合衆国社会フォーラム 居住と戦争 デトロイト(ミシガン州) 6月22日から26日

6. イスタンブール(トルコ) ヨーロッパ社会フォーラム 6月の終わり

7. パレスティナ 教育フォーラム 9月か10月

8. マグレブ地域に於けるテーマ・フォーラム
  労働問題(アルジェリア)
  ジェンダー(ヨルダン)
  農業労働者、小農と健康(エジプト)
  社会運動フォーラム(モロッコ)
  可能なフォーラム(イラク)

9. ニアメー(ニジェール) 環境、移民と食の安全保障に関するテーマ・フォーラム

10. メキシコ・シティ 金融危機へのオルタナティヴに対するテーマ・フォーラム

11. ネパール 南アジア・フォーラム

12. バングラデシュ 民主制についてのテーマ・フォーラム (being explored)

13. カタロニア:人々の集合的権利

私の勤める阪大CSCDも参加して、デンマークのデンマーク技術委員会(Danish Board of Technology)が呼びかけた「世界市民会議 World Wide Views」が行われますが、そのFaceBookコミュニティができています。
 ディスカッションのページでは、

Yes, I know, WWViews is all about involving citizens in the debate.
But what do you think? Is it worth it? Are citizens capable? Should climate policy be handled only by experts, who knows what they are talking about? Or should citizens be the core participants of such a debate?
Please - give us a heads up!

 もちろん、WWViewsは市民を議論に巻き込むためのものです。
 しかし、貴方はどう考えますか? それは価値があることでしょうか? 市民にそれが出来るでしょうか? 気候に関する政策は、自分たちがなにをしゃべっているかちゃんと理解している専門家だけが携わるべきなのではないでしょうか? 市民はそういった議論で核になる参加者になることが出来るでしょうか?
意見を下さい(※"give us a heads up"って、こういうときも使うの??)
 という議論が提起されています。
   FaceBookは誰でも参加できるSNSですので、関心のあるかたは是非参加して、ご意見をお願いします。
NPOサイエンス・コミュニケーション・ニュースNo.297の巻頭言として、「サイエンス『カフェ』は何処にあるか?」という記事を書きました。

 サイエンス・カフェ(あるいはフランス語で「カフェ・シアンティフィーク」)はすっかり日本に定着したように見えるが、「カフェは公共空間である」ということの意味は十分に伝わっていないとも言われる。もちろん、一から十までヨーロッパの物まねをする必要はないが、なぜサイエンス「カフェ」でなければいけなかったかについて、すこし考えてみることも有益だろう。ここでは主と してセネットの『公共性の喪失』に沿って歴史を振り返ってみよう(以下、ページ数は同書)。一つ重要な点は、「カフェが公共空間である」というのは、ヨーロッパにおいても過去の話になったと考える人が多いと言うことである。その上で、公共空間としてのカフェを取り戻そうという思想が、サイエンス・カフェや哲学カフェ運動の背景にはある。[もっと読む]

Debt Bye 01

 私もエクアドルのレポート、書いてますのでよろしくお願いします。

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