週末、STS Network Japan夏の学校に行って参りました。
終了日の午後、東北大からの参加者の方の発案で、野蒜築港資料室に出かけました。
Wikipediaの野蒜築港という項目によれば、
野蒜築港(のびるちくこう)は、明治初期に仙台湾の野蒜で行なわれた港湾建造事業。日本初の近代港湾の建設であり、明治政府による東北開発の中心的な事業と位置づけられていたが、完成から3年後に台風で突堤が崩壊し、施設はそのまま放棄された。現在では土木学会選奨土木遺産となっている。また、三国港、三角港とともに明治三大築港とされる。
ということで、日本でも最初といってよい、大規模港の開発だったようです(港の近代化工事としては横浜より早い!)。結局、台風、資金難、場所の選定プロセスの誤りなど、もろもろの事情が合わさって、完成されることはなく放棄されてしまったようです。
しかし、この片田舎の海岸線が、もし歴史的な条件がちょっとだけ違っていたら横浜や福岡に匹敵する港になっていたかと思うと、なかなか感慨深いものがあります。
上の写真がその当時の資料を集めた資料館。地元の人の努力で運営されているという感じで、非常に好感が持てます(当時の歴史を丁寧に解説していただきました)。
資料館の対岸(下の写真)が、当時内港として建設された部分です。
当時の港は外洋からの大型船が泊まる外港があり、そこで荷物を下ろして小さな船に積み替えて、小さな船で内港に運んで陸揚げするか、そこからさらに川や運河を使って内陸に運ぶというシステムになっていました。
野蒜からは北上川(の下流である石巻)などに運河が建設されています。
この運河と内港まで建設されたものの、内港を守る突堤と外港の工事がうまくいかず、台風などを期に工事が放棄されたと言うことのようです。
石巻には伊達政宗が支倉常長を欧州に派遣したときのサン・ファン・バウティスタ号を復元した宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)もありますし、実はこのあたりは歴史という意味では非常に面白い地域かもしれません。
仙台と石巻をつなぐ仙石線も、昔に比べるとずいぶんと本数も増えたという印象ですし、機会があったらまた行ってみようと思います。
この1年ぐらい、Amazon.co.jpで洋書を頼んだときに、「在庫が見つかりませんでした」と帰ってくる率が高まったような気がする。
外国の本屋で見つけて、「重いからアマゾンで買おう」と思って見送ったことを後悔することも屡々…。
それと、随分と長いこと『孤独なボウリング』が注文できなくなっている。
版元に在庫がないということなのだが、結構注目されている著作だし、残念だと思っていたら、町の本屋(高田馬場の芳林堂 )で見つけて購入。
あと、やはり手に入らなくなっていたラマチャンドランの本はブックオフにて発見。
ついでに、最近必要になったのだが、やはりアマゾンから手に入らなくなっていた『新・国会事典』も発見して購入。
悦に入っていたら、第二版が発売されているのを発見。
うーん、微妙だ。
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くだんのデモで逮捕された人々も釈放されたと報告があり、8月2日には「G8サミットを問う連絡会北海道行動報告集会」(@文京区民センター)も開催されると言うことで、一応G8騒ぎも収束の方向といっていいと思う。
G8に対する対抗アクションを評価する際、もちろん意思表明は重要なのだが、それ以上にサミットやWTO閣僚級会議などにかこつけて、世界の各地から問題を抱えている人々(やそのエージェントとしての社会運動体)が集まってきて、情報交換や意見交換が行われることも重要なのだと考えたい。
ちなみに、最近はそういうイベントを「オルタナティヴ・フォーラム」とか「オルタナティヴ・サミット」などと呼ぶ。もちろん「サミット(頂上)」ではなくむしろ平原であるべきなので、私は前者の呼び方のほうが好きである。
そういうなかで今回もいくつか、私にとって大変参考になる、貴重な出会いがあったと思っている。
中でも興味深かったのは、ATTACフランスからやってきたのは初老の男女二人(たぶんカップル??)である。彼らは、背広の人間が夜の10時にオフィスビルからはき出されるのに驚き、ちょっと怒っていた。
曰く、「人間にとって自由がなにより大事だ。しかし、知識の伴わない自由は奴隷状態となんら変わりない。だから人間は週35時間以上働いてはいけない。例えば私はすでに退職しているが、彼女は今、公的な職業教育機関で働いている。もし彼女が残業に次ぐ残業で疲れてしまっていたら、仕事が終わった後に世界情勢についての本を読んだり、休暇を取ってこうやって他の国の人々と議論したりする余裕はなくなるだろう」
一応あとで、「でも、アメリカや日本の偉い人たちは、もし労働者を35時間しか働かせなかったら、残りの時間を無駄な遊びに使うだけだろうと思っているし、たぶんフランスでもサルコジやその支持者がそう思い始めているんじゃないですか?」と聞いてみたところ、ある漁業組合での取り組みの事例を教えてくれそうだったのだが、諸般の事情でタイムアウト。また今度聞いてみたい。
また、社会運動についても次のように論じていた。
「本当は一番だいじな社会運動は、5〜6人のサークルを作って、毎週社会的な問題について勉強会を開くことだ。そうして、その成果をあつめてパンフレットのようなものを作って配る。今はインターネットもあるし、そういったことは私の若い頃よりも簡単にできるようになった。そういったパンフレットを読んだ友人たちも、また5〜6人のサークルを作り始めるだろう。そうやって普通の人々の知識が向上し、それが選挙に反映されることが大事なのだ。トップダウンで市民を動員したり、政治家に直接影響を働かせようとするのは、純正な市民運動ではない。」
ちなみに、彼らは今回我々が準備していた声明文にも批判的で、口々に「こういった政治イベントはライムライトのようなもので、そこに注目することでかえって真の問題を隠してしまう」「グラムシが解明したヘゲモニー構造に、社会運動体がいまだにまんまとのってしまうのは嘆かわしいことだ」「我々はもっと、未来に目を向けて生産的な提案に努めるべきだ」と主張していた。
故ピエール・ブルデューが『市場独裁主義批判』という本の中で「国家の右手と左手」という概念を提示してたことがある。
右手というのは政治家や高級官僚のこと(そして彼らの中枢はエナルクと呼ばれるENA/国立行政学院の修了者で占められている)で、彼らが自分たちのサークルの利益のために規制緩和などの政策を推し進める一方、医療、福祉、初等中等教育に携わる地方の下層公務員たちが疲弊していく、というギャップを表現した概念である。
そういう意味では、今回 ATTACフランスから参加してくれた二人は、まさにブルデューのいう「左手」なのであろう。
正直な話、(上から下まで、公務員スキャンダルが続く)日本の状況では「右手」と「左手」の区別は相対的なものでしかないという印象しか受けないが、フランスではまさにこういった人々が「共和国」の誇りと底力みたいなものを守っているのかもしれない。
もちろん、例えばムンバイやナイロビのスラムを見てしまえば、「知識の伴わない自由は奴隷状態となんら変わりない」という彼らの素朴なユマニスム信仰を鼻持ちならないヨーロッパ中心主義と退けたくなる気分になるのも事実ではある。
例えば、日本のそれなりにカネも知識もあるサラリーマンが「奴隷の状態に甘んじている」ということに関しては、彼らにも批判されるべき点がないわけではないかもしれない。
しかし、世界各地のスラムには、その日ぐらしの労働者や物乞いがあふれているのであり、彼らが恐怖や無力感から逃れるために、その日の多くのない稼ぎの大半を酒に費やしてしまったとして、それが非難できることであろうか?
また、そういった人々にとってタバコは重要なコミュニケーションの手段(タバコの貸し借りによって一種のコミュニティができあがったりする)であることは想像に難くないが、彼らの収入からすれば極めて高価であるにも関わらず、ほとんど交換以外の価値がない(おそらく有害ですらある)ものに資金を投資することを責められるだろうか?
では、同様に先進国の金持ちたちが同様の目的のためにダイヤモンドやワインにお金をつぎ込むのは正しいことだろうか?
また、それらは北米インディアンのポトラッチ(Wikipediaにリンクしようと思ったら項目がない!!)とどのように違うのだろうか?
こう考えると、経済とは確かに啓蒙主義だけで割り切れるものではないのではないか、という気がするわけである(もちろん、新古典派的合理性ではなお割り切れない、というところはこのフランス人たちに異論はないわけであるが…)。
ちなみにATTAC北海道の若い女性が「フランスの公務員ってすごいですね。日本の福祉関係者なんかも、がんばっているのはわかるんですけど、根本的な問題には目を向けないという感じがして、そこがちょっと残念なんですよね」と主張していた。
まぁ、まさにフランス人の主張するとおり、「週 80時間働かされたら勉強する暇なんかない」ということなんでしょうけどね…。
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先日の「企業による学生の青田買いが起こるのは誰の責任か?」というエントリーは(若干の改変ののち)NPO法人サイエンス・コミュニケーションのメルマガに掲載されました(まぐまぐ版とメルマ版)。
その結果、首都大学東京のK先生から以下のメールをいただきました。
>首都大学東京では、AO入試の拡大版とも言える、「ゼミナール入試」というの を数年前から試みています。
>http://www.tmu.ac.jp/entrance/outline_fac/tayou.html#zemina-ru
>
すでに知識が古くなっているかなぁ、という気もしていたのですが、やっぱりそういう側面は否定できないみたいです。
記事の中にも書いたことですが、そうであるとすれば次にそういった活動の効果とコストに関する調査が必要になるかと思います。
本当は学術会議がやってくれるのが一番良いのですが、サイコムを使って、そのあたり(手法、成果、コストや問題点など)の調査をしてみるのも一つの手かもしれません。
ということで、こういった事例や、それについての情報(成果やコスト)をお持ちの方は春日までご連絡いただければ、ある程度集まった段階で、少なくとも前回の記事のフォローアップ記事はサイコムジャパンのメルマガに掲載できるかと思いますし、その発展系も考えられるかもしれません。
ご協力いただければ幸いです。

大阪大学CSCDの紀要、『Communication-Design』 [1] 異なる分野・文化・フィールド - 人と人のつながりをデザインするが大阪大学出版会から発売されました。
私に関係したものとしては「科学技術コミュニケーション演習プログラムの開発 CSCD方式の提案」(八木絵香さん、小林傳司さんとの共著)と「サイエンスショップにできること 多元化する社会で大学に求められているもの」(単著)の二報が掲載されています。
また、中川智絵さんらの「サイエンスショップ猪名川・藻川プロジェクト中間報告」は上記サイエンスショップ論文と関係が深いので、併せてお読みくだされば幸いです。
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前の記事でも触れたスーザン・ジョージの講演をYouTubeにアップしておきました。同時通訳付きで約30分(ファイルは4分割)。
(しかし、YouTubeへのアップロードを初めてちゃんとやりましたが、意外と面倒ですな…)
「札幌デモ(チャレンジ・ザG8 市民ピースウォーク7.5)で逮捕者…について」がやや言葉足らずだったとおもうので、少し補足します。
1)何故、逮捕者が出たのか?
今のところ、逮捕はあらかじめ予定されていたものである可能性が高いと思っています。
もちろん、私自身が一般市民より多くの情報を持っているというわけではない(まぁ、多少はマシかな、ぐらいな)ので、確かなことは言えません。
ただ、DJの逮捕に関して、デモ申請の時はDJ一人としていたのに、交代のためにもう一人が荷台に乗り込んだ瞬間に「二人乗った」ということで逮捕されたと言うことのようですから、まぁ、狙っていたと考えるのが妥当でしょう。
また、先のエントリーで示したように逮捕者を出すとしたらサウンドデモ・エリアだ、という配置に最初からなっていたのは明らかなように思われます。

では、何故逮捕者を出したいのか、ということです。
それは第一に、逮捕というスペクタクルによって、それ以外の抗議活動を隠蔽するため、ということがあるでしょう。
前日の講演で「債務ブーメラン」などの概念を提唱したことで有名なスーザン・ジョージが強調していたのは「デモは逮捕されないようにやらなければならない」ということです。
彼女の主張では、デモで逮捕者が出てしまうと、メディアはその瞬間ばかりを放映します。
G8やWTOの会議のさいは、市民運動側も「オルタナティヴ・フォーラム」と呼ばれる集会を開き、活動報告や政策提言を展開するのが慣例になってきています。
また、デモでもそういった主張のプラカードが掲げられるので、デモのシーンが一渡り撮影されれば、視聴者はそれを見ることもできます。
しかし、そういったことはメディアではほとんど報じられません。
もちろん、これをメディアの責任とすることは簡単ですが、社会運動側の工夫不足もあるでしょうし、なにより「それを報じても視聴率や売り上げは上がらない」という状況があります(こういう言い方が適切かどうかは議論のあるところですが、「視聴者側のメディア・リテラシー」という問題は避けて通れないかと思います)。
ブロゴスフィアやJanJanのようなネットメディアは多少マシな状態にはありますが、それでも十分な情報が流通しているとは言い難いでしょう。
Mixi日記なんかでデモの報道の感想をつらつらと読んでいたのですが、「デモなんかより公民館なんかを使って議論する時間を作ればいいのに」という提案がいくつか見られました。
まったく大賛成ですが、実はそれらはすでに行われているのです。
スーザン・ジョージ、インドでナルマダ・ダム群建設の反対運動の指導者として有名なメーダ・パトカル、第三世界のスポークスパーソンとも言われるウォールデン・ベローなど、国際的に有名な学者や活動家の発言ですら、日本ではほとんど報じられません。
また、各国の労組、ATTAC、オックスファム、グリーンピース、CADTM、ジュビリーサウスといった団体が代表(その多くは若者であり、またデモにも参加していました)を送り込んできています。
しかし、それらが報道されることはほとんど無く、逮捕の瞬間にばかり注目が言ってしまうと言うことです。
じゃあ、デモなんかやらなければいいじゃないか、という議論もあるかと思うのですが、やはり「人数が集まった」という実績がないと報道もされません。
また、会議室で理路整然と議論を展開できる人しか社会問題についてクレームをつけたら行けないのか、という問題もあります。
そういう意味で、デモは「誰でもとりあえず参加でき、不満の意志を示すことができる」という点において非常に有用なデモクラシーのツールであるということはできると思います。
もう一つには、やはり日本において逮捕されることのコストは極めて高いと言うことでしょう(補足: コストが高いので、逮捕によって一般の人のデモ参加をけん制する効果がある、ということ)。
通常、先進国において被疑者が理由もなく長期拘留されることはほとんどありませんが、日本では三週間程度拘留されることが一般的になっています。
これは、例えば三週間職場を休むということを意味するわけで、日本の職場環境を考えれば、多くの場合失職に追い込まれる、かなり高いリスクを甘受しなければ行けないと言うことでしょう。
また、逮捕即犯罪者、とみる人が大手メディアも含めて少なくなく、それだけでスティグマを背負わされるという事情もあるでしょう。
鳩山邦夫法務大臣が志布志事件について、「冤罪と呼ぶべきではないと思う」と述べたことが社会問題になったことがあります。
もちろん、志布志事件に関しては無罪判決が出ており、判決まで罪は確定しないという原則に従えばこれは鳩山氏の言うとおり厳密な意味での「冤罪」ではない点には同意できるでしょう。
しかし、そうだとすれば国や法務大臣という職にある鳩山氏には、「逮捕や起訴だけでは犯罪者として扱ってはならない」という一般原則をもっと啓蒙する必要があるのではないでしょうか?
国(や大手メディア)がそういう努力を十分に払っているとは、とうてい思えないところです。
例えば、デモのときに逮捕されたロイターの記者はすでに釈放し、起訴されないとのことですが、現行犯逮捕であるにもかかわらず起訴されないと言うことは、現場においてなんらかの事実誤認があったということでしょう。
その点について、警察が釈明も謝罪もせず、またメディアの報道もほぼないというのは、奇妙な状況といわざるを得ません。
2)何故、サウンドデモが狙われるのか?
やはり「影響力」を重視しているのかという気はしています。
今回も、踊っているデモ隊が沿道に向かって「いっしょにやろうよ」と声をかけていて、声をかけられた女性二人(たぶん大学生)がちょっと悩んだすえにデモ隊に紛れ込んだというシーンを目撃したので、まぁ、そういうのを嫌っているのかなという気はします。
今回はそれでも歩道側の警備は比較的甘かったのですが、渋谷なんかでやると、歩道側をきっちり埋めて、むしろ観客が紛れられないように警備をするというケースも見られます(チラシを渡すのも妨害されたりするわけです。しかしそういう過剰警備には「税金の無駄遣い」という批判がほとんど起こらないのは困ったことです)。
もちろん、一般的な労働組合型の「デモ」で大学生が飛び入り参加なんてことは普通ありませんから、そのへんの「一般市民への訴求力」が公安のサウンドデモへの過剰反応の理由なのかなという気がしています。
もしそうだとすれば、公安も意外と勉強しているなぁ、という感じがするわけです。
買いかぶりかもしれませんが…他にこの状況の理由は考えられないよね?
ついでにいうと、
を見ていただくと、今回逮捕されたのが日本人だけなのが奇妙な感じです(千歳空港の入管で韓国人が一人逮捕されていますが)。
屋根に飛び乗ってる白人のにいちゃんを公務執行妨害でひっぱってもおかしくない感じがするじゃないですか(そんな理由で引っ張れないだろ、というのであればDJ交代で道交法違反も十分おかしいでしょう)。
たぶん、今回は「日本人(っぽいやつ)だけ限定的に逮捕」という指令が出てたんじゃないかと思います。
先に述べた日本の「三週間以上拘束」システムはヨーロッパ諸国からは人権侵害に見えますし、もし外国人を逮捕してそういうことになったら、その国の政府は抗議声明を出さざるをえないということになります。
それがG8のメンバー国(や、インド、中国、ブラジル、南アなどの准メンバー国)だったりしたら、かなりややこしいことになりかねません。
なので、少なくとも今回のデモについて言えば(逮捕理由が妥当だったかどうかは別にして)最初からかなり戦略的に練った上で決行された逮捕だったのではないか、と思っています。










