Twitter 用に書き始めたけど、やたらと長くなったので、とりあえずこちらに。

1,
 デモ問題が盛んに議論されているが、たぶんこういうふうに問題が紛糾する原因の一つは、デモの機能とメタ機能が食い違っていると言うことがあるのかもしれない。

 デモの機能は第一には「民意」の顕在化である。通常、人々の政治的意見は二つの極端な意見の間のどこかにプロットできる(ものとする)。

 この場合は「原発は何が何でも全て再開・増設」対「全ての原発を即時廃炉」というものであり、その間に条件付き再開から条件付き廃炉まで色々な意見が分布しているわけである。

 で、おそらく人々の意見は二つの極に張り付いて対立するのではなく、その中間に分布しており、大きく見ればその分布には二つの山(どちらかといえば再開派とどちらかといえば停止派)があることになるだろう。

 また、政府の方針も、この二つの極の間のどこか、一般的には「二つの中間派」の頂点のどちらか、あるいはその間に存在していると想像ができる。

 さて、極端な極から最初の多数派がいる点、二番目の多数派がいる点、そしてもう一つの極と連なる直線のそれぞれのポイントをそれぞれ A B C D とする。政府の立場はPとする。

 例えば、現在PはCと概ね同じ位置にあるとする。この場合、CからA側の意見を持つすべての「市民」はデモに参加する動機を大なれ小なれ持っていることになる。

 実際は、政府の立場が流動することによって一気にBに近づく可能性を考慮すれば、BとCの中間点よりBよりの立場の市民がデモに参加するであろう。

 また、自分の政治的意見を達成しようという情熱(ここでは便宜的にいずれの政策が達成されたとしても私益はいっさい絡まないものとする)の大小によっても、デモに参加するかどうかは左右される。

 従って、デモの参加者数は概ね A から P までに属する「市民」の総数とその問題にかける人々の熱意の関数ということになる(一般的には A に近いほど熱意はあがり、P に近づくほど下がることが予想されるだろう)。

 さて、政府はデモに脅威(主として「次の選挙」に関する脅威)を感じたとすれば、政府は P をだんだんと B にむけてスライドさせていくことが予想され(スライドさせた先をP2とする)、また B にむけて方針を転換するほど、 P2 より D よりの意見をもつ市民はデモ参加の意欲を減退させるだろう。

 結果として、政府の意見が十分に B に近寄ったところで A よりのデモは集束するはずである(ただし、C に近い意見をもつ人々がデモを起こすかもしれない)。

 さて、デモの「機能」をこうしたものと考えれば、デモに「対案がない」という意見は的外れであろう。政策提言はデモに先行して行われ「市民」は立場を決めなければ行けないのであり、またここで決められた意見と政府の政策との相対的な位置がどうであるか以外はデモという空間においてはあまり意味がない(ここを問い始めるとデモという手段は成立しない)。

 この観点では、デモの機能というのは政府が十分に民意を知ろうとしないときに民衆の側から強制的におこす輿論調査のようなものである。

 いずれにしても、デモへの参加はデモの主張と、政府の政策と、自分の意見の三つの点の相対的な位置関係で決まり、それ以外はあまり関係がない、というのが健全な理解である。

 そこで一点重要なのはデモへの参加者はデモの主催者と必ずしも政治的意見を同じくすると言うことではなく「相対的に見て現状の政策よりマシだ」という理解を持っていると言うことである。従って、もちろんデモの主催者がデモの参加者の政治的意見を変更できるわけでも代弁できるわけでもない。

2.
 ところが、こうした「デモ」にはメタ機能があり、デモの頻度でその社会の民主制の成熟度が測れるとすればこのメタ機能のゆえである。

 元来、デモでなにかが決まると言うことは、通常、政治を変えうる通常の手段は「市民」の代表たる議員を決める投票だけであり、間接民主制国家では規定されていない。

 では、このデモとはいったいなんなのだろうか? それは元来、アノニマスな「多数」によって担われる運動である(V for Vendetta のラストシーンがこの事実を極めて衝撃的に可視化しており、ハッカー集団としての「アノニマス」が V for Vendetta のガイ・フォークス面をシンボルに選択したゆえんである)。

 ここで重要なのはデモが通常の手段を麻痺させる、ということである。これは、国家の法遂行行為(あるいは神話的暴力)に対する意義申し立てとしての「神的暴力」である。あるいは、ネグリのいう「構成的権力」の発露であるというのが最も適切な説明であろう。

 我々の民主制は「フランス大革命」に起源を持つ(と言うこと自体実は法維持的な「神話」に他ならないのであるが、であればこそ)のであれば、我々は特権化された構成的権力としてのデモを否定できない。

 ゆえにこそデモは非暴力直接行動として「民主的な自由」の根源の一つを形成するのであり、神話的暴力としての「警官の列」と神的暴力としてのデモ隊という構図は、国家権力が民主的であるために確認されなければいけない西洋民主制のイコンである。

 さて、この意味で「デモは人権によって保障され、また人権(の担保たる憲法を、憲法に先行して)を保障する権力の一部である」という両義性を持つことになる。

 さて、こうしたメタ機能においては、我々はデモを一時的な要求(原発反対、消費税反対、米軍基地反対…)のためだけではなく、民主制をささえる哲学のための闘いの武器とすることになる。

 (a)言論空間として、他者の人権を抑圧する団体がそこに入ってくると言うのは矛盾である(不寛容が自分たちに対する特権的な寛容を求めることを構成的権力が認めることはありえないのである)

 (b)一時的な要求のためであればデモは国家権力と過度に対立する必要は無いが、デモが「民主制を支えるための手続き」であるためには国家権力が、デモが革命(神的暴力)に突如として変貌するかもしれない、という緊張感を感じなければならない。

 この「メタ機能」を考えに入れるか「個別の要求に集中させろ」と思うかが、最近の議論のひとつの争点であるように思う。

 ただし、前者はデモの主催者によって遵守される必要がある(この意味では(a)はまだ機能の階梯に属するのである)のに対して、(b)は主催者の意図に関わるものではない(っていうか、たぶん構成的権力の発動というのは、ある団体や個人の意図を超えることで発生するものであろう)。

 なので、(a)に関しては主催者に求めていくことは大変重要だけど、(b)に関しては、主催者がどういう立場にたつかというのは、ある意味関係ない(そもそも主催者がどうこう言う権利を持つものでもない)、ということが言えるんじゃないだろうか、と思う次第。

「オルタナティヴな専門家は可能か?」として、STS Network Japan とSTS学会の合同シンポジウム公開シンポジウム「東日本大震災から科学技術と社会のこれまでを考える」(2011/06/18)で発表しました。
 その時に使用しましたスライドは以下の通りです。


 …「万年助手」がらみのところはスライドだけ見ると当事者に大変失礼に見えるかも知れません。すいません。

テスト

Happy New Year 2010

 あけましておめでとうございます。

 年末も押し迫った12月28日に野々上愛との間に息子、環(めぐる)が誕生しま
した。
 出生児の体重3142キログラムで、すこし肌が弱そうな点を除けば母子ともに健
康です。

 別姓ももちろんですが、庶子相続や同性婚の問題も考慮に入れまして、戸籍制
度や現状の結婚制度には反対ということで、籍をいれずに育てていくことになり
ます。
 子どもに負担をかけるというご意見もいただきましたが、それが負担にならな
いような社会を実現していくことも両親の仕事かと思っています。

 未熟な父親ではございますが、本年もよろしくお願いします。

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)の関連のイベント参加者の募集案内です。

来たる9月に、地球温暖化問題をテーマにした下記の2つのワークショップが京都・大阪で開催されます。

これらのうち"World Wide Views in Osaka"は、阪大生を中心にした大学生・院生を参加対象として、現在、参加者の募集を行っています。

  • 注1: World Wide Views in OsakaのHPでは以前、「大阪大学の学生に限ります」とありましたが、対象範囲を拡大しました。
  • 注2: 関西圏以外からの参加も歓迎いたします。ただし旅費は自費ということになります。

学生の皆さん、

詳しくは下記の案内とイベントのホームページをご覧のうえ、ぜひご応募ください。

また大学教員の皆さま、あるいはご父兄の皆様で、ぜひ参加させたいという学生さんがお近くにおりましたら、ぜひご案内頂ければ幸いです。



************ ご案内 ************


2009年12月に、コペンハーゲンにおいて「COP15(気候変動枠組条約締約国会議)」が開催されます。

今回、デンマーク技術委員会(Danish Board of Technology)の呼びかけにより、世界45の国と地域で、COP15の交渉に当たる政府関係者に対して世界の市民の声を届けるための世界市民会議(World Wide Views)が開催されることになりました。

この市民会議は、世界の市民が、【同じ情報資料に基づき、同じ問いについて、同じ手法を用いて】議論する試みで、9月26日(全世界同日)に世界の国と地域において一斉に開催されます。

日本では、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが中心となって、企画を進めています。

=====
World Wide Views in Japan
日本HP: http://wwv-japan.net/
デンマークHP: http://www.wwviews.org/
=====

このWWViewsの企画は、全国から100人市民をリクルーティング方式で集めるため、参加者の公募は行いません。

しかし今回、大阪大学の学生が主体となって、WWViewsと同様の会議を、大阪大学の学生を中心に関西地区の学生を対象として行うことになり、現在、準備中です。

日にちと場所、その詳細は下記の通りです。

=====
World Wide Views in Osaka
・日時:9月30日
・場所:大阪大学 豊中キャンパス イ講堂
 http://wwv-osaka.net/
=====

地球温暖化という問題をひとつのテーマとして、異なる専門、または異なる大学の学生同士が、多面的な議論するまたとない機会かと思います。

よろしくお願いいたします。

●●●申込方法●●●●●●●●●●●●●
「wwv-osaka[ at ]cscd.osaka-u.ac.jp」宛に下記の情報をお送り下さい。(※ スパム防止のため、お手数ですが[ at ]を@にかえてお送り下さい。)

  • 名前
  • ふりがな
  • 性別
  • 所属(大学、学部 又は 研究科・専攻)
  • 学年
  • PCメールアドレス
  • 携帯メールアドレス(任意)

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

【問い合わせ先】
大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター(八木)
ekou[ at ]cscd.osaka-u.ac.jp ([ at ]を@にかえてください)

TEL/06-6850-6645(直通)
TEL/06-6850-6632(事務部代表)

 最近、ブログがそればかりですがNPOサイエンス・コミュニケーション・ニュース 2009年7月27日号 vol.1に「Twitterの誘い。日本にも現れた気軽な公共空間」を掲載しました。

 140字という制限のあるミニブログ、Twitter が日本でも人気を延ばしている。
 140字という制限があるいっぽうで、ウェブ・ベースのサービスであるためメッセンジャーとちがって相手の時間を拘束せず、「ゆるく」つながれることがメリットである。
 世界初のブログサービスの一つで、その後、Google に買収された Blogger の創業者らによって、2006年にサービスが開始されたが、昨年はアメリカ大統領選でオバマ氏らが利用したことでアメリカでも急速にユーザー数を増やした。
 今年に入って、日本でも数人の国会議員が使い始めたことで、新しい動きを見せ始めた。


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