Happy New Year 2010

 あけましておめでとうございます。

 年末も押し迫った12月28日に野々上愛との間に息子、環(めぐる)が誕生しま
した。
 出生児の体重3142キログラムで、すこし肌が弱そうな点を除けば母子ともに健
康です。

 別姓ももちろんですが、庶子相続や同性婚の問題も考慮に入れまして、戸籍制
度や現状の結婚制度には反対ということで、籍をいれずに育てていくことになり
ます。
 子どもに負担をかけるというご意見もいただきましたが、それが負担にならな
いような社会を実現していくことも両親の仕事かと思っています。

 未熟な父親ではございますが、本年もよろしくお願いします。

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)の関連のイベント参加者の募集案内です。

来たる9月に、地球温暖化問題をテーマにした下記の2つのワークショップが京都・大阪で開催されます。

これらのうち"World Wide Views in Osaka"は、阪大生を中心にした大学生・院生を参加対象として、現在、参加者の募集を行っています。

  • 注1: World Wide Views in OsakaのHPでは以前、「大阪大学の学生に限ります」とありましたが、対象範囲を拡大しました。
  • 注2: 関西圏以外からの参加も歓迎いたします。ただし旅費は自費ということになります。

学生の皆さん、

詳しくは下記の案内とイベントのホームページをご覧のうえ、ぜひご応募ください。

また大学教員の皆さま、あるいはご父兄の皆様で、ぜひ参加させたいという学生さんがお近くにおりましたら、ぜひご案内頂ければ幸いです。



************ ご案内 ************


2009年12月に、コペンハーゲンにおいて「COP15(気候変動枠組条約締約国会議)」が開催されます。

今回、デンマーク技術委員会(Danish Board of Technology)の呼びかけにより、世界45の国と地域で、COP15の交渉に当たる政府関係者に対して世界の市民の声を届けるための世界市民会議(World Wide Views)が開催されることになりました。

この市民会議は、世界の市民が、【同じ情報資料に基づき、同じ問いについて、同じ手法を用いて】議論する試みで、9月26日(全世界同日)に世界の国と地域において一斉に開催されます。

日本では、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが中心となって、企画を進めています。

=====
World Wide Views in Japan
日本HP: http://wwv-japan.net/
デンマークHP: http://www.wwviews.org/
=====

このWWViewsの企画は、全国から100人市民をリクルーティング方式で集めるため、参加者の公募は行いません。

しかし今回、大阪大学の学生が主体となって、WWViewsと同様の会議を、大阪大学の学生を中心に関西地区の学生を対象として行うことになり、現在、準備中です。

日にちと場所、その詳細は下記の通りです。

=====
World Wide Views in Osaka
・日時:9月30日
・場所:大阪大学 豊中キャンパス イ講堂
 http://wwv-osaka.net/
=====

地球温暖化という問題をひとつのテーマとして、異なる専門、または異なる大学の学生同士が、多面的な議論するまたとない機会かと思います。

よろしくお願いいたします。

●●●申込方法●●●●●●●●●●●●●
「wwv-osaka[ at ]cscd.osaka-u.ac.jp」宛に下記の情報をお送り下さい。(※ スパム防止のため、お手数ですが[ at ]を@にかえてお送り下さい。)

  • 名前
  • ふりがな
  • 性別
  • 所属(大学、学部 又は 研究科・専攻)
  • 学年
  • PCメールアドレス
  • 携帯メールアドレス(任意)

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

【問い合わせ先】
大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター(八木)
ekou[ at ]cscd.osaka-u.ac.jp ([ at ]を@にかえてください)

TEL/06-6850-6645(直通)
TEL/06-6850-6632(事務部代表)

 最近、ブログがそればかりですがNPOサイエンス・コミュニケーション・ニュース 2009年7月27日号 vol.1に「Twitterの誘い。日本にも現れた気軽な公共空間」を掲載しました。

 140字という制限のあるミニブログ、Twitter が日本でも人気を延ばしている。
 140字という制限があるいっぽうで、ウェブ・ベースのサービスであるためメッセンジャーとちがって相手の時間を拘束せず、「ゆるく」つながれることがメリットである。
 世界初のブログサービスの一つで、その後、Google に買収された Blogger の創業者らによって、2006年にサービスが開始されたが、昨年はアメリカ大統領選でオバマ氏らが利用したことでアメリカでも急速にユーザー数を増やした。
 今年に入って、日本でも数人の国会議員が使い始めたことで、新しい動きを見せ始めた。


続きはまぐまぐのバックナンバー

[SciCom News] No.302 2009年7月13日号の巻頭言として、拙稿「全国学力・学習状況調査」に見る学力観の転回

 2007年から小中学生を対象に行われている「全国学力・学習状況調査」は、毎年、極めて大きな論争を呼び起こしている。  しかしながら、残念なことにこの国民的な注目は、主として学校ごとの成績を公開するかと言った、あまり本質的ではない問題に収斂する傾向があり、我が国に於ける教育がどうあるべきかといった根本的な議論はなおざりにされているように思われる。  筆者自身は、「全国一斉に、統一の問題で学力調査を行う」ことの意義には極めて懐疑的であるが、平成21年度全国学力・学習状況調査に関して言えば、その潜在的な制約の中で極めて大きな一歩を踏み出したと評価することが出来ると思っている。  今回のテストのもっとも大きな特徴は、試験内容が徐々にPISA型に舵を切っていく、という明確なメッセージが読み取れる点である。
 つづきはまぐまぐのウェブサイトで…。


[SciCom News] No.301 2009年7月6日号 vol.1の巻頭言として、拙稿『 「批判精神」と科学的合理性』が掲載されました。

 異分野の人々と話していると感じるのは、同じ言葉がまったく異なる意味や印象を持っていることが少なくないということであろう。

 こういう「カルチャー・ショック」は、もちろん、自分自身の見聞を広げるのに有効であり、双方向的なコミュニケーションの醍醐味であるといえよう。理工系と人文・社会系のコミュニケーションの現場でしばしば出会う、、私のように人文・社会科学の伝統に属しているものにとって一番の驚きは、「批判」という言葉の、理工系の人々の間でのイメージの悪さである。

 ただし、これは理工系の人々のほうが日本社会で一般的な感覚に近いのかとも思う。

 人文学にとっては、カントの主著が「三批判」(『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』)であることからも分かるとおり、「批判」というのは(おそらく経験科学にとっての「実証」と同じぐらい重要な)学問的営為の根幹をなすものである。


 つづきはメルマ!のウェブサイトで…。


 基本的に昨日の記事ヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題の続きですが、主に幻影随想: 「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァ へのコメントということで書かせていただきます。
 論点はまったく一緒で、人類の未来については様々な予測とその対策があるかと思いますが、論敵の「不合理性」をことさら強調するような議論の仕方は感心しない、ということです。
 もちろん、幻影随想ブログがニセ科学問題について熱心に活動されていることには敬意を表しますが、社会経済的な合理性の問題は、もう少しだけ枠を広げて考えないと、問題の解決は難しいのではないかということも申し上げておきたいと思います。
 (つまり、なぜニセ科学やニセ医療が間違っているかは科学的な問題でいいかもしれませんが、なぜそれらが信頼されてしまうかという問題は、正しい科学や医療が正しいものだと納得、安心されていないという現状についての考察なしには成立しないのではないか、ということです)

 

 Domon blog -Formerly known as Dog year's blues-: 不作為による危害に責任はないのか?という記事からヴァンダナ・シヴァ氏を紹介した拙稿にリンクを付けていただいたようです。
 今年2月の記事で、ややタイミングを逸してしまったかもしれませんが、気がついたのが最近と言うことで、急ぎ、コメントを書かせていただきます。

 ブログのような主張はサイエンティストに一般的なもののように思われますが、背景には「我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない」という憶見があるように思われます。
 本記事で、別にヴァンダナ・シヴァらの主張を支持するようになれと説得するつもりはありませんが、自分とは立場の異なる人々の主張にも、一定の合理性があるという前提で解釈してみようとすると、世界はだいぶ広がるんじゃないか、という主張はさせていただきたいと思っています。

 もちろん、ヴァンダナ・シヴァを初めとした第三世界の有機農法普及活動家が主張しているのは「多収量品種を使った近代農法や遺伝子組換え作物より、有機農法のほうが安全だ」ということなわけですが、この「安全」は単に人体にとっての安全ということだけではありません(というか、人体への安全性の部分のウェートはあまり大きくないと思ったほうがいいと思います)。
 具体的に見ていきましょう。

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