ヴァンダナ・シヴァの主張について(2) たぶん、リンゴを食べれば…とは言わなかったと思う


 基本的に昨日の記事ヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題の続きですが、主に幻影随想: 「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァ へのコメントということで書かせていただきます。
 論点はまったく一緒で、人類の未来については様々な予測とその対策があるかと思いますが、論敵の「不合理性」をことさら強調するような議論の仕方は感心しない、ということです。
 もちろん、幻影随想ブログがニセ科学問題について熱心に活動されていることには敬意を表しますが、社会経済的な合理性の問題は、もう少しだけ枠を広げて考えないと、問題の解決は難しいのではないかということも申し上げておきたいと思います。
 (つまり、なぜニセ科学やニセ医療が間違っているかは科学的な問題でいいかもしれませんが、なぜそれらが信頼されてしまうかという問題は、正しい科学や医療が正しいものだと納得、安心されていないという現状についての考察なしには成立しないのではないか、ということです)

 

1.リンゴでビタミンAは補給できない。

 事実関係としてはまったくおっしゃるとおりです。
 でも、ヴァンダナは「リンゴを食べればいい」とは言わないと思います。

 ヴァンダナ・シヴァというひとは、非常に(表現が難しいのであるが)非常にサービス精神旺盛というか、山っ気があるところがあって、誰の前でしゃべっているかによってだいぶ言うことが違います。
 インドの農村にいるときは「インド古来の農法の普遍的価値、家族経営農業の大切さ」みたいな話をするし、インドかぶれの左翼系(あるいはヒッピー系)欧米人の前では、やや神秘主義的なフェミニストとしての演説をする。そして、アカデミシャンの前では、いかにも物理学出身者らしい、統計学的な厳密さを好む。
 そういう意味では、目の前にリンゴでもあったら「サービス精神」が発揮されないこともないかもしれないという気もしなくもないのですが、たぶん科学的事実を意識的に曲げるようなことはしないんじゃないかと思っています。

 もちろん、氏個人は、植物全般にわたる知識は極めて豊富な人であると思います。
 私の個人的な体験としても、ヒマラヤの環境保護官だったという父親から教え込まれたというシヴァ氏の植物に対する知識に感銘を受けたことは一度ではありません(インドにいるときはもちろん、日本の公園でも、この木は日本でも Camphor に使えるか、というようなたぐいのことをよく聞かれました。十分に答えられなくて申し訳ない思いをしたものです)。
 これはたぶん、単純に島村奈津氏の聞き違いかなにかであろう、と思います(でも、聞き違いをした著者や編集者も気がつこうよ、食育教育は普通に義務教育で受けているはずなんだから…)。

 では、シヴァがゴールデンライスについてどういう見解を持っているかというと、例えばNHKのインタビュー番組には次のように答えています。

 アマランスなどの雑穀には確かに、βカロチンが含まれていることが多いので、これは栄養学的には問題ない見解といえるでしょう。

 また、彼女の主著といえる『緑の革命とその暴力』においては、次のような記述が見られます(p.214)。

 殺虫剤や除草剤が人間を殺さない場合でも、人間の生存手段を殺してしまう。こうした破壊のもっとも極端な例は、バツアという貴重な緑黄色野菜で、非常に栄養分が高く、ビタミンAが豊かで、小麦と一緒に栽培されている作物に見られる。しかし、集中的に化学肥料を使ったために、バツアは小麦と競争する植物となってしまったので、「雑草」と宣告され、枯葉剤や除草剤で根絶された。インドの子供たちは毎年ビタミンA不足で、四万人が視力を失っているが、ビタミンAが豊富でどこにでも生えている植物を除草剤で殺してしまったことが、この悲劇を招いている。

 本来は、ビタミン補給源としての葉物野菜も混作されていたのだが、これを先進国の研究者と種苗会社は穀物の生産性を悪化させる「雑草」として排除することを企てたのであり(例えばシヴァはモンサントがこれらの植物を「日光を盗むもの」としか見ていないと非難しています)、その結果としてビタミンA不足が起こったのである、というのがヴァンダナ・シヴァが常々主張するところです。


2.はてなブックマークへのお返事

 あとはてなブックマークにて「ヴァンダナ・シヴァもそうだけど、この人の記事も「まず農村ありき」だな」というコメントを頂いていますが、これはもちろん農村の問題が深刻だからです。
  Gordon Conway も”The Doubly Green Revolution: Food for All in the Twenty-First Century ”(書名から推察されるとおり、GM推進派に分類される本である)の中で述べているとおり、食糧問題が真に深刻なのは常に農村においてです。
 基本的に「食い詰めて農村から都市スラムへ」というのは一般的ですが、逆は用意ではありません。
 結果として、世界の都市人口は「2005年には32億人となり、世界人口の49%が都市に住むようになっている」と、著しく農村人口とのバランスを欠く結果になってきています。
 したがって、まず農村の生活を立て直すというのは合理的な選択である、と主張することはあまり荒唐無稽ではないと思います。

 あと、環境負荷の低い農業を目指すことは、長期的には農村だけではなく、人類全体の利益にもつながると思います。

 以下は、久馬 一剛『土とは何だろうか? 』から作成したものですが、エネルギーという観点から見れば、近代型の農業は必ずしも効率のいいものではないということが解ります。
 我々は(特に気候変動問題を見据えるならば)農業に於ける効率という概念をもう少し再検討する必要があるように思います。

トウモロコシ生産のエネルギー産出/投入比 


 理論の飛躍については、書いてる当人には分かりにくいものなので、ご指摘いただければ幸いです。
 ただ、ゴールデン・ライスの位置づけについては本質的にはあんまり重要ではなくて、「初期投資を下げてリスクを軽減する」「作物品種に関する知識、という貴重な財産を農民のもとに残す」というのがシヴァの基本戦略であるという点だけ、なんとなくご理解いただければ十分ではないかと思います。


 あと、別の方のコメント、「うーんいまいち納得できんぞ。特に多種栽培の伝統農法使ってれば生物多様性が保たれてのあたりとか」に関しては当然だと思います。
 私も、『緑の革命』の議論には大変納得していましたが、有機農法が代替案になるという議論については、2001年以降に何度かヴァンダナ・シヴァのものを含めた複数のインドNGOを訪れてみるまで、まったく納得してませんでしたから…。
 まぁ、そのころに比べて、有機農法に関する資料もだいぶ出てきたので、関心があればぼちぼち読書していただくと言うことで、ブログはあくまで「きっかけ」ぐらいで理解していただければ幸いです。

3.仮に遺伝子組み換え作物を追放したところで、状況は何も変わらない

 これに関しては、昨日アップしたヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題をご参照いただきたいと思います。

4.で、幻影随想: 「ビタミンAがなければ、リンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァ という記事の結論部分なんですが…

本気で一部の企業による種子の支配を許さないというのであれば、とるべき道は3つあります。

一つ、完全な自給自足体制のコミュニティをつくり、外で何を栽培していようが無関係な閉じた経済圏を作り出すこと。
生活レベルを犠牲にすることにはなりますが、技術競争からは逃れることが可能です。

二つ、品質やコストでは測れないプレミアを付加すること。もしくは、品質の一点突破を狙うこと。
前者は今現在スローフード運動や地産地消運動がやっていることです。
品質、コスト面で土俵に上がれない場合は決して主流にはなりえませんが、一定の支持を得ることは可能でしょう。
後者は、日本の果樹栽培の成功の理由です。コスト面で見た場合、日本の果物は高すぎて海外製品にかないませんが、品質を突き詰めることで、高級品として海外に輸出されるまでになっています。大量生産品とコストで勝負して勝てるわけが無いので、品質の一点突破を狙うのは、小規模農家の必然の戦略となります。

三つ、モンサントのような多国籍アグリビジネスに対抗できるだけの研究開発能力を持つ、非営利の育種専門の機関・組織を設立もしくは援助し、大量栽培志向とは異なる方向性の作物の開発を行うこと。
その地域にあわせて特化し、なおかつ品質、コスト面で競争力を持つ品種を作り出すことができるならば、そもそもGMだ企業の支配だなどと騒ぐ必要も無いのです。そしてこういった行動を企業に求めるのは間違っています。このマーケットは相対的に小さいので彼らの投資の対象にはなりにくいですから。
日本を含めて先進国は必ず、国家の育種機関を持っており、こうした活動を行っています。それは農産物が戦略物資でもあるからです。反対のための反対でなく本気で企業による独占を阻止したいと言うのであれば、この選択肢が出てこないというのはありえないはずです。

 たぶん、そういったことは、ある程度やってます。
 とりあえず、シヴァのNGOであるナヴダーニャのサイトをご覧頂けば、多少のことは解ると思います(お世辞にもいいサイトとは言い難いと思いますが…)。
 例えば、製品リスト[PDF]なども一応見ることが出来ます。

 ただ、どこまでまじめにやってるかというのは若干、議論の余地があるかもしれません。
 以下の写真はヴァンダナ・シヴァのNGOであるナヴダーニャがデリーのやや高級めスーパー(イタリア産のパスタなどがおいてある)に持っているコーナーですが、がらがらな感じです。
 ちなみに店員に、あんまり商品がないね、と言ったら「オマエはヴァンダナ・シヴァの友だちか? もっと商品を持ってくるように言ってくれ。売り切れても補充が遅くて困ってるんだ」と怒られました。

DSC01162

 要するに、先進国に出荷できるハイプレミアムな作物を、ということに関しては、多くのNGOがあまり強いインセンティヴを感じていないようで、まず彼らが自給できるだけのものを作れる体制が必要だというのが多くのNGOの共通合意になっています。
 (ハチミツとか、サトウキビとか、そういったものは「売りたい」ようですが…)

 あと、「競争力を持つ品種を作り出すことができるならば、そもそもGMだ企業の支配だなどと騒ぐ必要も無いのです」という文面を見る限り、筆者は「ヘゲモニー闘争を仕掛けるのは環境NGOの側で、モンサントに代表される企業は実直に製品を開発し、欲しいと思う消費者に届けるだけである」と思っているような気がします。
 もちろん私はこうした見方には同意できません。
 ヴァンダナ・シヴァがこの点に関して確証のない陰謀論的な議論を展開する面は否定できませんが、言って先進国の穀物メジャーや多国籍種苗会社が自分たちの商品を受け入れさせるために投入する「宣伝費」が巨額であるのは論を待ちません(個人的にはシヴァの主張する陰謀のいくつかについては、「十分あり得る話」だと思っていますが、ここではその点の支持は訴えないことにします)。

 あと、「コスト面で競争力」はそもそも物理的に不可能ですし、彼らもそれは目指していません。
 その事情に関する議論はもちろん重要ですので(余裕があれば)次回にでも…。

【オマケ】
 ※ちなみにこちらはニュー・デリー市民の散歩コースにして、各州の物産や芸能が集められた高級マーケットディリ・ハートにあるナヴダーニャの直営店です。

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このページは、かすががJuly 3, 2009 12:39 AMに書いたブログ記事です。

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