ヴァンダナ・シヴァの主張について あるいは「合理的な反科学」はあるか、という問題

 Domon blog -Formerly known as Dog year's blues-: 不作為による危害に責任はないのか?という記事からヴァンダナ・シヴァ氏を紹介した拙稿にリンクを付けていただいたようです。
 今年2月の記事で、ややタイミングを逸してしまったかもしれませんが、気がついたのが最近と言うことで、急ぎ、コメントを書かせていただきます。

 ブログのような主張はサイエンティストに一般的なもののように思われますが、背景には「我々は科学を知っている。一方で、彼らは非合理な野蛮人であり、行動や主張に合理性があるわけがない」という憶見があるように思われます。
 本記事で、別にヴァンダナ・シヴァらの主張を支持するようになれと説得するつもりはありませんが、自分とは立場の異なる人々の主張にも、一定の合理性があるという前提で解釈してみようとすると、世界はだいぶ広がるんじゃないか、という主張はさせていただきたいと思っています。

 もちろん、ヴァンダナ・シヴァを初めとした第三世界の有機農法普及活動家が主張しているのは「多収量品種を使った近代農法や遺伝子組換え作物より、有機農法のほうが安全だ」ということなわけですが、この「安全」は単に人体にとっての安全ということだけではありません(というか、人体への安全性の部分のウェートはあまり大きくないと思ったほうがいいと思います)。
 具体的に見ていきましょう。

いずれにしても、品種そのものや育成技術と、それを社会に調和させるスキームとを混同して、多収品種そのものが貧困の原因になったとするような議論はいただけない。多収品種は近代的な営農スタイルの一つの構成要素に過ぎないし、その普及を止めたところで、それ以前と比べてだれも幸福にはなれない。

 技術というのは制度設計の段階でどのように「役に立つか」が想定されているものですから、基本的には「品種そのものや育成技術」と「社会に調和させるスキーム」というのは独立のものではあり得ませんので、ある程度関連して論ぜざるを得ないと思います。
 ただ、どこに力点が置かれるかということはあると思いますが、そういう意味ではブログの筆者らの論点とヴァンダナ・シヴァの論点が、すこし違うというだけの話でしょう。
 そして、元々のトピックが、第三世界の貧困層にどのようにビタミンAを初めとした栄養素を安く供給するか、ということなわけですから、「品種そのものや育成技術」に力点を置くのは間違っているわけです。
 「貴国の交通を円滑化し、同時に二酸化炭素の排出を抑えるために新幹線を援助したいと思います」「ありがとうございます。しかし、我が国はまだ都市人口より農村人口が多く、交通事情は分散しているので、まず高速道路の建設を援助していただければありがたいのですが」「貴方は新幹線という技術の特性を誤解している。新幹線を遅くしたとして、誰が得をするのか?」…おかしいでしょ、この会話?

 ヴァンダナ・シヴァに代表される第三世界の有機農法普及活動家が強調しているのは、基本的には近代農業が「環境負荷も経済負荷も高く、結果的に小規模農民にとっては大きなリスクである」ということです。
 もともと、サトウキビやコーヒーなどのプランテーション作物は値段の乱高下が激しく、極めてリスクの高い投資です。
 それに比べれば、穀類(米、麦、トウモロコシ、大豆など)は価格は安定していますが、アメリカやオーストラリアの(たっぷり補助金と輸出助成金を使って国際市場にばらまく)極めて安い穀物が出回っていることによって、生産コストに比べると値段が抑えられているという事情がありますし、もちろん収量は必ずしも安定していません。
 一方、市場価格は低いか、実質的に売れないが収量が安定しており栄養価も高い雑穀類を中心に農業を組み立てることで、第三世界の農民は少なくとも生活基盤を崩壊させるようなリスクを回避できるのです(売れなくても雑穀を食べつないでいけば、飢え死にまではしないわけですし…)。

 第三世界の農民は多くの場合、初期投資(種および肥料・農薬代)を借金でまかない、収穫によってその借金を返済するのですが、一回でも収量が思わしくなかったり、逆に豊作すぎて作物が売れ買ったりした場合、農地を取り上げられて小作農になるか都市スラムに流入することになります。
 最近は、借金を苦にした自殺も増えているので、ヴァンダナ・シヴァたちは高い初期投資を要求する近代品種や遺伝子組換え趣旨を「自殺の種」と呼んでいるわけです。
 対して有機農法は、初期投資を(種を自家採取し、肥料や農薬をほとんど使わないことによって)ミニマムに出来るので、結果的にリスクが極めて低い、という話です。
 先進国の農民であれば(裕福とは言えなくても)一年だけの不作や豊作で家系崩壊までは至らないものですし、そうなった場合にも補助金や生活保護が宛てに出来ます。
 もちろん、ある程度大規模な経営になっていれば、デリバティヴなどの金融技術を利用することでリスクをヘッヂすることが出来ます(本来、デリヴァティヴはそういった使い方をするためのもので、投機のための商品ではなかったはずです)。
 しかし、現金をほとんど持たない第三世界の農家が、そういったリスクヘッヂの手段を利用することは簡単ではありません。
 そのため、そもそも最初に発生するリスクを最小にするという戦略は、極めて合理的なものです。

 つまるところ、近代的な農業の基本は、「収量を最大にする」という目標をまず置いて、その前提内でコスト/リスクをコントロールするためのテクノロジーとして開発されています。
 それに対して、ヴァンダナら有機農法活動家が追求しているのは、コスト/リスクを最小にするという目標がまずあって、その範囲で収量を最大にする技術の開発、ということになります。
 このどちらを選択するかは基本的に、社会経済学的な問題であると思われます。

 通常、第三世界の小規模農家は60種類ぐらいの品種を家にストックしておき、その年の気候や市場価格などの動向をにらみながら、十数種類を混作するのが一般的です。
 これはNGOなどが推奨する方法でもあるのですが、まだ伝統的な農法が生きている地域では、通常そういった方法がとられているようです(写真はガルワール地方の混作の様子)。

India 2005 Photos (Taken By Naoko Yatani)

 混作することによって、
1)一つが上手くいかなくても他の穀物が収穫できるというリスク・ヘッヂ。
2)ニッチを単一の植物で埋めてしまわないことにより、病気や害虫の発生リスクを軽減できる。
3)お互いが「助け合う」ことによって収量が増加する(モノカルチャーによる自家中毒を防ぐだけでなく、相互に成長を助ける場合があると主張されている)。
 といったメリットがあり、全体的にはかなりのリスクヘッヂになると同時に、同一面積で一年あたりにとれるカロリーも、一定の向上が見られる、というのがヴァンダナ・シヴァらの主張です。

 で、これを効率よく行うために、インド北部のデラ・ドゥン市の郊外に、実験農場を構えてさまざまな品種の調査も行っています(写真はシヴァの実験農場での作業風景。中央は種の生き字引として伊スローフード協会から表象を受けたビジャ・デヴィ氏。右は植物学者で農場の研究を取り仕切るヴィノッド・クマール・バット氏)。

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 もちろん、バラバラに植わっている作物の中から収穫期に入ったものだけを選択的に刈り取る作業や、もちろん除草などを手作業でやらなければいけないという問題から、人件費の高い先進国でこれを実施するのは不可能に近いでしょう。
 しかし、失業率が極めて高いインドの農村では、こういった方法は有効です(もちろん、単なる"Shared Poverty"だという非難はあるかと思いますが、それが問題かどうかは、それはそれこそ技術の問題と言うより、価値観の問題です)。


遺伝子組換えイネの良いところは、F1品種が主流のトウモロコシとは違って自家採取できることだ。ゴールデンライスの開発者は知的所有権を主張しないと言っている。もしそうであれば、ゴールデンライスが一般農家に普及すれば、工業的に生産されて供給されるビタミンAを部分的に代替することで供給コストを下げることができるし、場合によっては通常の米と同等のコストでビタミンAの所要量全量をまかなえる可能性だってある。

 ゴールデンライスそのものは確かにパテントを請求しないという約束で進められています。
 このことは一定の評価は出来ると思うのですが、同時に限界もあります。

 つまり、すでに述べたような「60種類のストックから、十数種類の品種を」という農法に、現在の研究開発体制が即応するのは基本的に不可能なのです(昔の水車小屋のように遺伝子改変ショップが村々にあり、農民が気軽に「今年はこれとこれにゴールデンライスの遺伝子入れてくれや」と言いに行ける、というのであれば問題はだいぶ解決されますが、その場合はみんなが勝手なことをし始めるという環境リスクが増大するでしょう)。
 したがって、農民は外来の品種を継続的に利用するしかなくなります。

 個人的には、遺伝子組換え作物に健康リスクがあるとは、あまり思っていないので、60種類のストックの中にゴールデンライスも混ぜ込むことは一つの可能性であると考えますが、それが農民の生命を作用するほど重要なものになることは、上記の事情で好ましくありません。
 (最低限の食物は他の雑穀で確保しておいて、「ゴールデンライスが取れたから、これは都市部での消費のために売って現金収入を確保しよう」というぐらいの位置づけであれば、議論の余地はあるんではないかと思います)

 しかし、ゴールデンライスがなければ十分なビタミンAが取れないという状況が続く場合は、単一か極めて少ない種類の作物に依存することになります。
 その場合、仮に自家採取した種子が使えたとしても、気候や市場の動向に対応できなくなります。
 また、自家採取で種をまかなう農家が蓄積してきた「これは乾燥地帯で生育の良かった種。これは寒い時期が長く続いても芽を出した種」といった知恵も、だんだんと失われていくことになります。
 つまり、種を外部から購入してまかなうと言うことは、研究開発と生産を分離し、前者を多国籍企業が独占すると言うことに他なりません(なぜ研究開発だけが多国籍企業に独占されるかと言えば、前者のほうが圧倒的に儲かるからです。いっぽう、穀物の生産そのものは、アメリカですらも決して実入りのいい事業ではなく、大規模化していると行っても本質的に家族経営の経営体が殆どであり、また多くを補助金に依存しています)。
 ヴァンダナ・シヴァが批判する、農業の近代化の最も大きなリスクは "non-expert" を "non-knower" にしてしまうことだと言えます。

 したがって、この"non-expert" を "non-knower"にするという仕組みの上で、ゴールデンライスは一種、トロイの木馬の役目を果たします。
 ゴールデンライスそのものはパテント・フリーでも、おそらく適切にゴールデン・ライスを育てるためには、BTやラウンドアップ・レディといった他のGM技術を複合的に利用しなければならなくなる可能性が極めて高いわけです。
 そして、第三世界の農村にゴールデン・ライスが満ちあふれるころには、本来そこで育てられていた雑穀や土着のコメは、それらの育成に係わる農民が伝承してきた知恵と共に、失われていくことになります。
 これは、生物多様性の保全という観点からも大きなリスクだと言えるでしょう。

 私は、遺伝子組換え品種が体に悪いと思ったことはないので、目の前に遺伝子組換え大豆から作った豆腐を出されれば躊躇なく食べますが、継続的にその豆腐を購入し続けることは、世界の農村経済と生物多様性資源の荒廃につながると思うので、なるべくそうではない(できれば国産の)豆腐を買いたいと思います。

反対の対象が何であれ、反対運動で生計を立てているプロフェッショナルの活動を純粋に金銭的な収支から見てみると良い。著名な活動家はどうやって生計を立てているだろうか?NPOなどの団体からのカンパや義援金に著書の印税、弁護士であれば訴訟の際に原告から支払われた弁護士費用もあるだろう。それが得られなければ、多くの時間を反対運動に費やすプロフェッショナルとしては生きていけない。

 まぁ、これはある意味そのとおりです。
 しかし、NGOなどはマクドナルド、ネスレ、そしてモンサントなどの食品・種苗会社が膨大な広告費をかけ、また各国政府にロビー活動を行っていることを指摘するでしょう。
 ヨーロッパなどでは、こういった対立を避けるため、国費で独立のテクノロジー・アセスメント機関を設けることが増えています。
 私が勤務する阪大の係わっているWorld Wide Viewsを主催しているDBT デンマーク技術委員会はそのなかで最もよく知られた機関です。
 また、イギリスでは遺伝子組換えやナノテクなどの技術について、政府機関、大学、メディアとグリーンピースなどのNGOが合同で行う市民参加型のテクノロジー・アセスメントが積極的に推進されています。

 一方で、日本では「アセスメントは合わすメント」とも言われ、実質的に政府や企業の方針を色濃く反映したレポートしか出てこない、と市民は思っています。
 こういう状況では、NGOの主張は自然と先鋭化しますし、活動としては諸外国の文献の翻訳ばかりということになり、日本の情勢に合わせた提案をしていくことは極めて難しくなります。

 できればあとでもう少し詳しく述べたいと思いますが、GMと有機は農業という人類必須の産業の未来を担う可能性のある重要な技術ですが、その可能性と弊害がどちらも十分に検討されたとは言い難い状況にあります。
 これを是正するためにも、もうすこしこういった分野の研究について、視野を広げるための投資が戦略的に行われるべきでしょう。


 「リンゴのビタミンA」問題についてはまた追って、ということで、  に続く。


※とりあえずヴァンダナ・シヴァの『緑の革命とその暴力』は必読本だと思いますので、食わず嫌いの方もとりあえず図書館などで手に取ってみて下さい。
 あと、雑穀や混作の状況などについては、阪本寧男『雑穀博士ユーラシアを行く』が参考になるでしょう。

【追記】  はやくも先方(土門英司さん)からのレスポンスをいただいています。  トラックバックも送っていただいたようですが、なんか受信できていないみたいなので、こちらにお知らせしておきます。  なるべく早めにこちらからもお返事したいと思いますが、まずは御礼とお知らせまで。

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このページは、かすががJuly 2, 2009 2:09 AMに書いたブログ記事です。

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