京都の床屋と京都大学
「おやじの店、むすこの店」からの続き。
この「おやじの店、むすこの店」のすぐ近くに、もう一つの床屋、美留軒がある。
私はこちらはあまり使わないのだが、ごらんの通り「西田幾多郎先生ゆかりの店」である。
西田幾多郎を知らない京大生が散見される昨今では、この看板にどの程度の神通力があるのか不安なしとはしないが、歴史を振り返れば京都大学が日本の大学としては珍しく、地域の一般住民の強い愛着を受けてきたことを伺わせる(※このあたりの逸話がたしか『教養主義の没落: 変わりゆくエリート学生文化』あたりにあったのだが、本の山から発掘することができなかったので割愛)。
しかし残念ながら京都大学はこういった地域の愛情という貴重な資産を、最も食いつぶしてきた大学であるという気もする。
現代は大学にとって受難の時代であるが、それを乗り切るための貴重な資産を維持できなかったのは、非常に残念なことである、とこの看板を見るたびに思うのである。
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