2004年公開授業「科学と社会」 サイエンスショップとは何か?

 以前お知らせした阪大の公開講座の資料と原稿をアップしておきます。
 なお、原稿そのもの、発表資料と利用したスライドは以下からもPDF版をダウンロードできますので、合わせてご利用ください。

配付資料とスライドのPDF
 レジュメ http://skasuga.talktank.net/file/skasuga1025_resume.pdf (617k)
 原稿 http://skasuga.talktank.net/file/skasuga1025_script.pdf (567k)
 スライド http://skasuga.talktank.net/file/skasuga1025_slide.pdf (164k)

2004年公開授業「科学と社会」 サイエンスショップとは何か?

○サイエンスショップとは何か? (TLOとの違い)
 サイエンスショップとはなんでしょうか? サイエンスショップのネットワークがつくっている研究レポートによれば、「市民社会によって経験された関心への応答として、参加型の研究援助を提供するための組織」(Scipas WP1 p.6)という風に説明されます。もうちょっと分かりやすくいうと、サイエンスショップとは誰でも日常生活や仕事の中で感じた疑問などをに持ち込むことができる場所ということになります。もちこまれた疑問について、サイエンスショップは協力してくれる科学者やそのタマゴと協議し、研究プログラムを策定します。資金は通常、外部の非営利団体や大学に依存し、その替わり研究成果は公的な知識になります。ここが技術移転機関(TLO/Technology Licensing Organization)との最大の違いですね。技術移転機関は最近新聞などでもよく聞く言葉になってきたかと思いますが、あとでまた少し論じたいと思います。
 本日は、このサイエンスショップを題材にして、科学・技術と社会の関わりについて述べたいと思います。その特徴は次の4点にまとめられると思います。

1.  サイエンスショップとは、科学者が市民社会の要求をベースに研究・開発を行うことを促進するための組織である。
2. 一般に、大学の付属組織として設置されるか、NPOの形態がとられる。
3.  他の市民やNPOからの研究課題の提示を受け、それを適切な専門家にマッチングすることが主要な業務となる。
4.  企業からの委託研究との違いは、非営利組織の形態がとられることで、一般市民やNPOのようなクライアントから人件費・研究費は徴収しない。

 まず、この四点について順に説明していきたいと思います。
 第一点はすでに述べた定義の問題ですね。サイエンスショップというのは、まだ日本では耳慣れない言葉であるかもしれません。私どもNPO法人サイエンス・コミュニケーションとしては、日本にサイエンスショップを根づかせる方法論について探っていきたいと考えていますが、まだ実現にはほど遠い状況です。実は、この講座でしゃべらせていただくことになったときには、日本という状況の中で何ができるか、もう少し具体的な実践例を交えてお話できる予定でした。しかしながら、申し訳ないことに、なかなかそういった計画が進みませんで、本日はもう少し基礎的な話をさせていただきたいと思います。それは、サイエンスショップのような試みが、どのように大学の理念と結びついているのか、あるいはその試金石となるのか、という問題であります。もちろん、そういったことがサイエンスショップの実践の中から見えてくるようなお話しにできれば、それがベストだったのではないかと思っていますが、結果的には本日与えられた『科学技術と倫理』というテーマには直接関わったお話ができるかとも思っています。言い訳ですが。
 とはいっても、今正に日本の科学技術と大学を巡るシステムは変革の最中であり、サイエンスショップのような仕組みは徐々に日本にも受け入れられていくだろうと期待しています。
 例えば98年の法改正によってTLO(技術移転機関)と呼ばれる機関が可能になってすぐに、日本の大学でも一般的なものになってきました。確認しましたところ、特許庁に認定ないし承認された(審査料の減免措置を受けられる)TLOは41団体あるようです。私の知る限り、10年前は大学関係者ですらほとんどの人がTLOという単語も知りませんでしたから、これは大きな変化だと言うことができると思います。TLOというのは、大学が保有する特許を企業などに提供することで利益をあげ、そのことで次の研究につながる研究費をつくっていくための組織です。ただ、これはよく誤解されることですが、TLOというのは必ずしも「大学が金もうけする」ための組織ではありません。実際、TLO先進地域であるアメリカでも、特許収入が大学の主要な収入源になっているというケースはほとんどあり得ません。むしろ、貴重な大学の知識が使われずに死蔵されてしまうことを防ぐためや、また大学の研究者が社会のニーズからかい離しないためにする、といった側面が非常に大きいといえます。とはいっても、アメリカにおいて、例えば大学院生の生活費とか、学会への出張費を捻出するためといった目的にはTLOは重要な手段ですし、主要ではないとはいえ、決して軽視できない財源であることは言うまでもありませんし、日本でも今後徐々にそう言う傾向は強まるであろうと考えられています。
 ちょうど10月20日づけのAsahi.comに、次のような、東大と経団連が連絡団体を設置するという記事が載っていました(http://www.asahi.com/edu/nyushi/TKY200410190385.html)。
 
「東京大学は、日本経団連の協力を得て、産業界と継続的な意見交換をする「産学連携協議会」を来年1月に発足させると決め、19日に学内に報告した。これまで主に個人的なつながりで実施されていた産学連携を組織的に行い、促進するのが目的だ。約1600社・団体が加盟する経団連が特定の大学とこのような協力関係を結ぶのは初めて。ただし、協議会へは加盟社でなくても参加できる。来年1月17日に東京・経団連会館で設立総会を開く。これまで産業界から東大に対し、「どこが窓口なのか分からない」という不満が多く寄せられていた。東大は、協議会を窓口として一本化する意向で、ここで出された要望に対応するため、全学的な制度も整備する。トップ会談のほか、メンバーが定期的に入れ替わる理事会などを2カ月に1回程度開く。会員向けに懇親会やシンポジウムなども開く。企業が東大に出資した共同研究費は03年度は約25億円だった。石川正俊・同大産学連携本部長は「協議会をてこに今後5年間で年50億〜100億円に伸ばしたい」という。経団連の井上隆・技術・エネルギーグループ長は「協議会の発足で東大全体の窓口が明確になり、産学連携が実現しやすくなるだろう」と期待している。」

 さて、こうした考え方をすこし進めたところに、サイエンスショップがあります。特徴の第二点で述べたように、TLOもそうなのですが、サイエンスショップも大学内に設置されるケースと、独立の機関として設立されるケースがあります。表を見ていただければ、独立が多いのはアメリカで、大学に付設されるケースが多いのはヨーロッパであるということが見てとれると思います。大学に設置されることのメリットは、大学との人材や資金面での一体感が増すことであると言えます。得に、大学の施設をそのまま使えるというのは、資金的に厳しい状況にあることが多いサイエンスショップにとっては非常に大きなメリットであると言えます。また後述するように、サイエンスショップをカリキュラムに組み込みやすくなることのメリットもあります。得にオランダにおいては、原則として一つの大学が一つのサイエンスショップを持っており、かつそのサイエンスショップごとに強い分野に特徴があるということで、大学ごとの地域貢献やアイディンティティの強化に貢献しているという面があるようです。一方、地域で、あるいはいくつかの大学が協同でサイエンスショップを持つ場合は、多数の大学から幅広い専門分野の研究者にアクセスできるということです。アメリカのように地域に複数の大学がある場合、こちらが選ばれる傾向にあるようです。私が訪ねたオーストリアのウィーンにあるサイエンスショップもこの形態でした。この場合は非営利の財団や地域の自治体などから経費を受け取ることが多いようです。資金の問題については後でもう少し触れます。
 次に、三点目なのですが、誰が問題を持ち込むか、ということです。これは各サイエンスショップがどのような性質の団体からの仕事を受託したことがあるかという、複数解答式のアンケートの結果です。基本的にヴォランタリー・グループからの依頼が多いということが見て取れるかともいます。他にも労組や自治体、地域の小規模な営利団体などからの仕事を受託しています。個人というのも半数近くの団体が受けています。このようにTLOに比べて、雑多な種類の組織がクライアントになることが想定されていると言えるでしょう。
 先にもすこし触れましたが、TLOが経済的に直接結果が出るような技術を社会に出す仕組みなのに対して、サイエンスショップはもう少し非営利な研究を社会に出す仕組みであると考えていただければいいかと思います。それと、これはTLOについても言えることなのですが、単順に大学から一方的に研究成果が出て行く、というイメージは必ずしも望ましいものではなく、社会が大学の研究対象に対してどのようなニーズを持っているか、リサーチするチャンスであるという観点から制度設計される必要もあると思います。

○サイエンスショップの具体的な研究例
 さて、実際にはどのような研究テーマがあるか、具体的にイメージするためにスキパス・レポートから事例を拾ってみましょう。レポート自体がサイエンスショップの外観を見るためのもので、あまり詳しい研究内容にまでは立ち入っていないので、実際どういうことが行われているかは今後の調査課題であるが、以下のような研究が行われている。

オランダ
・学生によるマグネシウム製造工場のフィージビリティ研究。民間のコンサルティング会社の大きな雇用創出につながるという評価を逆転。
・農民グループの有機農法への事業転換を支援。
・史跡にもなっている教会の修復と基金収集プログラム。工学的な問題だけではなく、環境アセスメントから工事に関わる法的な問題まで包括的に調査。
・モンドリアン美術館と協力して、モンドリアンの作品がマンガに使われている事例を収集。博物館展示に。
・聾唖学校と共同で子どもむけオランダ語手話の教材開発(それまでオランダには適当な教材がなかった)
・市民から妊娠に関する多くの質問が寄せられたのを集約。学生の博士論文に。
・ 甲状腺機能低下についての症例のリスト化。医学的に未知の症例を数多く含むリストが作成される。

アメリカ
・アフリカ系アメリカ人が多数を占める地区での工場廃棄物の影響調査。農民、政府機関、ノース・カロライナ大との共同プロジェクト
・18のインディアン権利団体と共同でインディアンの喫煙率と疫学調査。禁煙プログラムの策定。
・学生を動員して、全州3,000ヶ所で水質調査
・行政サービスの「公平さ指標」の作成。保安官の巡回経路を変更。

 マグネシウム工場のフィージビリティ研究や、有機農法への転換支援、18のインディアン権利団体と共同でインディアンの喫煙率と疫学調査といったテーマは非営利の研究を優先的に行うサイエンスショップの典型的な研究でしょう。また、市民から妊娠に関する多くの質問が寄せられたのを集約して学生の博士論文にしたケースや、学生を動員して全州3,000ヶ所で水質調査したケースなどは、サイエンスショップが高等教育と上手く結びついたケースと言えるでしょう。「モンドリアン美術館と協力して、モンドリアンの作品がマンガに使われている事例を収集。博物館展示に」というのは、科学技術に限らないサイエンスショップのミッションの多様性を顕著に示していると言えるでしょうか。

○サイエンスショップの予算と人員
 では、これら非営利の研究に対する資金がどこから出ているか、概説してみたいと思います。次の図は、人口あたりのサイエンスショップへの研究開発費の支出額を示しています。この図を見ても判るように、現在のところ、いちばんサイエンスショップが盛んなのはやはりオランダです。オランダとアメリカはそれぞれ1000万ドルをサイエンスショップのための研究費として投入しています(Sclove at al. iv)。ということは、人口あたりにするとオランダはアメリカの15倍、サイエンスショップに研究費を投入している計算になります。また、これは大学の研究開発費の0.9パーセントになります(アメリカの場合は0.05パーセントです)。
 これまでも述べてきたように、サイエンスショップはあまり標準的な形態というもののないNPOでありまして、年間予算を見ても非常に多様であることが判ります。大体40,000ユーロ(520万円)から200,000ユーロ(2,600万円)ぐらいの間にあります。といってもこれはかなり大きな幅ですね。しかもアンケートがちょっと曖昧です。サイエンスショップの予算は人件費を含む運営費用と研究開発費に分けられますが、予算といったとき必ずしもこの両方を指すわけではなくて、20パーセントほどがそのどちらかのみということで解答しています。これは例えば、人件費は大学の予算で計上されているといった事情を含んでいます。
 これらの資金の供給先はどこかというと、まず大学であり、次に非営利の財団が続いています。また、個別には小さいですが、国や地域自治体などを合わせるとかなりの割合を占めます。理念とはちょっとずれたところで、クライアントに課金しているケースも少なからずあるようです。また、注目して欲しいのは欧州委員会という項目です。現在、オランダが主導する形でヨーロッパ各国にサイエンスショップが普及し始めていますが、この背景には欧州委員会の積極的な肩入れがあるようです。 
 人件費という意味で、専従の職員がどれくらいいるかも重要なポイントですが、これもまたバラバラです。0というのも少なからずありますね。ただ、一般的には2〜6人の専従を雇うわけで、正直を申し上げますと、私のような食い詰め若手研究者にはそういう部分での雇用創出も大きな効果といえます。
 サイエンスショップというのは主にヨーロッパでの呼び方で、アメリカではコミュニティ・ベースド・リサーチといういい方が一般的ですが、これは両者が歴史的に独立して派生してきたためで、機能はほとんど同じものです。実はおそらく日本でも、公害問題などの発展に呼応して、京大工学部が市民向けの相談室を設置するなど、同種の試みがあったようなのですが、このあたりは残念ながら組織として継続はしませんでした。

○サイエンスショップの利益
 さて、ここまででサイエンスショップに関する大体のイメージはつかんでいただけたのではないかと思います。次に、この方法論を日本に導入する意義について、簡単に論じてみたいと思います。大きく分けて3種類の受益者があると考えるといいと思います。一つはもちろん、サーヴィスを提供される市民やNPOで、これがもっとも直接的な受益者であると言えます。
 若干考察が必要なのは大学であって、これは主に大学組織そのもの、教員、学生と三種類に分けて考える必要があります。もちろんこの三者は密接に関係しているものですから、一つのセクターへの利益は、別のセクターの利益と考えて差し支えないでしょう。まず、大学全体にとっては、社会的責任を果たすことによって、イメージをアップすることができる、ということでしょう。オランダのように、大学とサイエンスショップが一対一で対応するようになれば、大学のアイディンティティ確立に寄与します。このことについて今日この場でどの程度議論すべきか判りませんが、参考までに先年書いた、大学の問題についての拙稿を添付しておきます。また、教員/研究者については社会のニーズを研究に反映させることができる可能性が指摘できます。得に、ピアレビューに依存した現在の評価システムは、研究者自身の視点をも狭めてしまう可能性が指摘できます。研究者自身の視点を多様化させてくれるのは、サイエンスショップの最大の可能性であると言えましょう。また、学生にとってのメリットは、オン・ザ・ジョブ・トレーニングの機会が提供されることです。得に、一部の分野では卒業のための訓練に、最低限のフィールド訓練を積むことが好ましい一方、予算的な関係でそれが難しいというような事情もあります。また、論文のテーマを自律的に見つけることが難しいケースなどについても、サイエンスショップが刺激になるケースはあるでしょう。
 そして最後に重要なのが、社会全体にとってのメリットです。知の多様性を維持することは、現代社会が科学的な知の正統性を維持するために必要なこととなってきています。これは、現代社会において科学技術が、一つの解答を提示できるような単純な問題ではなくなって来ているということによるものです。例えば、諌早湾や吉野川の問題のような公共事業の可否について、BSEや鳥インフルエンザに代表される突発的な病気、あるいは地球温暖化や化石燃料の問題など、最近メディアを騒がせる問題は、いずれも単一の解答が出しがたい問題ばかりです。それを受けて、たとえば政府などもこれまでのように「ぜったい安全」を繰り返すのではなく、安全から安心へ、というようなキャチフレーズで、より市民に対して説得力のあるアプローチを探しているところでもあります。安全ではなく安心、といったときの重要な違いは、市民が主体的に問題を理解しているか、ということにあるわけですから、市民の一部にせよ積極的にプロセスに参加してもらって、いっしょに考えていくというプロセスは必須でありまして、そういった試みとして今コンセンサス会議などの手法が日本でもためされている最中です。その一貫として、サイエンスショップは重要な意味を持ちます。また、独立した複数の機関が市民をクライアントにして独自に調査を行うということは、これまでのように行政の委託をうけた研究機関か、象牙の塔かという選択肢しかなかった研究スタイルを多元化し、そのことによってより社会に流通する知の正統性をあげることにつながるでしょう。

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このページは、かすががNovember 20, 2004 12:16 AMに書いたブログ記事です。

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