思い出の修学旅行(!?)

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 母校の教師たちによるブログが出来ていることを知る。
 あまり教員の顔触れの変わらない高校であるので、今のところ書き手は知った顔ばかりである。
 知り合いのブログが増えるのは嬉しいもので、さっそくブックマークに登録した。

 で、そこで「修学旅行の5コースが決定」という記事を見つけた。
 ちょっと普通でないので記事は説明不足だと思うのだが、この学校では生徒が修学旅行の行き先の企画を立てて、投票によって残った上位4〜5コースが修学旅行の行き先となるのである(一学年250人ほどなので、100〜50人ぐらいずつに分かれて動くことになる)。
 毎年一ヶ所ぐらい変なコースが混じるのだが、今年は「軍艦島」とのこと。
 …入れるのかいな??

 入れるのかなといえば、かの天安門事件の年には中国行きのコースも企画されていたらしい。
 ご丁寧に天安門広場であげるために「民主化万歳」と書かれたアドバルーンまで用意していたという話も聞いた(ホントかね?)。
 出発のタイミングがもう数ヶ月早ければ日本のお調子者高校生が「天安門事件」の引き金を引いていたかもしれなかったわけで(笑)、イラク人質問題どころではない大騒ぎだったろうが、残念なことに(?)一足先に天安門事件が起こってしまい、修学旅行も流れたらしい。

 さて、思い出せばもう、干支が一巡する昔のことになるわけだが、私が選んだコースは小笠原諸島であった。
 その年の他のコースは確か、北海道の二風谷(にぶだに)、四国の四万十川、沖縄(西表島?)であった。
 で、どうもその他のコースは「環境だの民族だの、重い話になりそうだなぁ。ぞろぞろ行ってみんなで神妙な顔をして話を聞く、という旅はしたくないなぁ」と思ったので、いちばん軽そうな小笠原を選んだのであった(と、たった今思い出した!)。

 結果的には怒濤の戦跡&マイノリティ話攻撃は小笠原でもたっぷり経験することが出来(笑)、しかも生来オベンキョウ好きの私は、おそらく、いちばん真面目にその話を記憶に刻みつけたのではないかと思われる。
 で、その揚げ句に、修士過程を小笠原研究に費やし、小笠原の歴史書の一章を担当することになった。

 『小笠原学ことはじめ』 小笠原シリーズ (1) ダニエル・ロング編 2002年 南方新社
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4931376762/kasugashowebs-22

 …今考えるとなんだか損をした気分だが、まぁ、巡り巡って教育効果が出ていると思って、「生徒が決める修学旅行」スタイルは続けていって欲しいものである。

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コメント(3)

Anonymous :

修学旅行の解説していただきありがとう。
僕は天安門事件の報道を修学旅行に行く夜行列車の車内で聞きました。生徒の数人と熱く議論していたことを思い出します。中国コースが無くなった事情はむしろ88年3月の上海列車事故の影響ではなかったかと思います。

かすが :

 コメントありがとうございます。

>中国コースが無くなった事情はむしろ88年3月の上海列車事故の影響ではなかったかと思います。

 なるほど。
 ええかげんなこと書いて、失礼しました。
 こうやって歴史はねつ造されるんですな (+_+;)\(-_-;)バシッ!

Anonymous :

このブログ難しくて(ゴメンナサイ)
凡人のあたしには読みにくいけど

この修学旅行のお話は

おもしろかったです。

母校の修学旅行は
修学旅行の企画自体が生徒だけでなく
教員や保護者、現地の人々、あるいは社会に対して
なにかを動かすきっかけ、一緒になにかを動かしていく経験
になってるのがいつもドラマですね。
後輩へ。「無茶なコースほどいいよ!」

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このページは、かすががJanuary 11, 2005 2:00 AMに書いたブログ記事です。

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