日中問題の系譜学 あるいはケインズの二つの悲劇

 大阪の左翼誌『人民新聞』に求められて中国問題に関するエッセイを書きました。ただ、800字という制約はあまりに厳しすぎ、十分自分のいいたいことを書き込めなかったという気分もあるので、以下に「ロング・ヴァージョン」を書いておきます。

◆日中問題の系譜学 あるいはケインズの二つの悲劇

  
1.民主的な抗議とはどういうものか
 今回の中国における対日抗議デモについては、様々な意見が聞かれている。この際なので、そのあたりについて簡単にまとめておく。
 まず第一に、デモという方法それ自体は人類の歴史が獲得した「非暴力的な政治手段」であり、民主政治に欠かせないものである。日本ではともするとこのことが忘れられがちであるが、デモというのは一般に、話のできない相手には採用されない手段である。世界中で反米デモが行われているのは、基本的にはアメリカが民主制国家であり、デモという手段が(大統領本人は知らないが)少なくとも有権者には届く訴えだろう、という前提がある。特別な例外を除けば、独裁者(たとえばキム・ジョンイルとか)相手のデモというのは存在しない。当の相手が聞く耳を持たないだろうし、「有権者」のような、彼の行動を制限する存在も当てにならないからである。そういう場合は、明らかに手段に費やすコストに対して、社会が良くなるという部分でのベネフィットが引き合わないのである(そういう相手には監視団を送り込むなど、より直接的なアクションが必要になる)。従って、もし中国で反政府デモが存在せず、反日デモが存在するとすれば、日本のほうが対話の相手と見なされていると言うことでもある。
 さて、とはいっても、どこまでが「非暴力的な政治手段」と見なせるのかという問題がある。これには様々な論点があるが、基本的には他人、特に一般市民を傷つけないことが最も重要だろう。欧米でのデモを巡る議論では、表現の自由や公共性のためならば、ある程度「私的所有権」は制限されるというのが一般的な見解になりつつあるようである。たとえば、ジョゼ・ボヴェの名を一躍世界的に有名にしたマクドナルド「襲撃」事件は、実は地域警察と事前に協議して、「この程度のデモンストレーションを行う」というコンセンサスのもとに行われていたものであった。従って、特にヨーロッパなどでは、「非暴力」は民主的な討議のための必要条件だが、特に大企業などの「私的所有権」の侵害は必ずしも「暴力」とは理解されないという状況ができつつあると見ていい。その方向性に従えば、今回の中国におけるデモで、日本政府施設への投石でガラス窓が割れたことなどは、必ずしも問題にする必要はないかもしれない。
 一方で、人身が脅かされるという状況は明らかに「非暴力」の原則に反している。従って、本当に日本政府が抗議しなければいけないのは、日本人がデモ隊におそわれたり、食堂で殴りかかられたりと言った治安状況である(個人経営のレストランが壊されるのも好ましいことではない。経済的な被害が彼らの生活を間接的に脅かす可能性がより高いからである)。ところが、日本のメディアや政治家の議論の中心は(政治家が論じていないのか、メディアがわざと落としているのか不明だが)どちらかというと国家施設の方に重点が置かれている、あるいはその二つの問題が曖昧に論じられているように見えるのはいささか残念である。在外公館の最も重要な役割は言うまでもなく在外日本人の安全確保のためであるが、ともすると手段と目的が転倒しているようにも見受けられるのである。しかし、この在外国民の安全確保というのは、基本的にはすべての国の外交の基盤をなす大儀であり得るし、このことは強く主張されて良い。北朝鮮による日本人拉致問題にも言えることだが、過去の道義的責任を現代の人間が取らされて当然だと考えることは合理的とは言い難い。
 とはいっても、国家であれ個人であれ、人に何かを主張するときは、まず自分が率先して道議を示したほうが説得力があるのは当然である。残念ながら、戦後問題については、日本政府の態度は道義的なものとは言い難い。

  
2.戦後問題について
 たとえば戦後処理の段階では十分に予測できなかった投棄された化学兵器による被害について、日本側が否定的な態度をとっているのは論外である(たとえば交通事故であっても、示談の段階で予測できない被害が判明したら、その分については別途賠償を請求できるだろう)。またそこには異文化理解と、相手方に理解を求める誠実な態度が欠かせないだろう(たとえば日本では屡々、平将門や菅原道真のような中央政府に仇なした人が神とあがめられるのに対して、中国で安録山が神になることはあり得ない。歴史における正義と悪の境界線の確かさがまったく違うのである)。そのうえで、排他的経済水域のような問題は(戦後問題とは別途)きちんと指摘すればよい。
 そもそも、我々日本人は何故中国人が靖国へのA級戦犯合祀に怒り始めたのか、忘れ始めているようだ。この問題は次のような経緯に起因している。第一に、15年戦争における日本の中国進出は道義的に間違っていた。もちろん、すべての日本人の動機が最初から利己的なものであったわけではない。竹内好が述べるように、在野の右翼や侠客の集まりであった黒竜会が朝鮮併合に始まる日本の大陸進出の「汚れ仕事」を担ったのは、日本がアジアの民衆を李朝や清朝の蒙昧な支配から解放するのだという理想を信じていたからであり、それが日本によっては達成されえないと理解したとき、彼らの多くは反戦の側に回った。理想が信じられた時代と、それを推し進めた層にすら信じられなくなった時代の転換点は、もっと研究されてよい(残念ながら北一輝に比べて、大川周明に関する歴史書はそう多くない。左右両方の歴史家にとってタブーであったとまでは言えないにせよ、扱いづらい素材であったことは間違いなさそうである)。また、その彼らにしても、盟友であった孫文その人や、タゴールのような当時としては「親日派」の知識人が東京での公演で覇道と王道の差を強調して、日本の暴走を警告していることは理解できなかった、と竹内は結論づける。友人に恵まれていた人々が、その友情を生かし切れなかったことは悲劇といえよう。竹内は、これらの事情を知悉していたはずの大川周明が戦後なにも語らなかったことを嘆いている。
 東京裁判を巡るパラドクスは解きがたいものである。確かに、東京裁判に置いてインド出身のパール裁判官が指摘したとおり、そもそもニュルンベルク裁判に使われたロジックが、「ナチスを裁くため」に編み出されたものであり、東京裁判で使われたロジックは、さらにそれを単純に模倣したものにすぎなかった。法律というのは必ず罪に先行しなければいけないという大原則を考えればこれは明らかに一般的な法哲学に反し、これら二つの裁判そのものが無効であるというパールの指摘は、まったく正当であろう。
 しかし、と連合国側の多く、特にジョン・メイナード・ケインズが今この問題を振り返ることができれば、言うであろう。「そんなことは百も承知であった。しかし、ではどうすればよかったというのか?」。第一次世界大戦の時のように「一部の独裁者」ではなく、ドイツそのものを裁けば、国家賠償と国土の荒廃による貧困のなかでまた再びヒトラーのような強硬派の台頭を招き、人類は数十年ごとの世界戦争を避けられない(経済的な苦境は強いリーダーシップを発揮する強硬派を生む、というのがケインズの議論であり、残念ながらこれは21世紀になっても正しい歴史認識であるように思われる)。戦争というものの本質を考えれば、敗者は裁かれねばならず、戦後の世界秩序を考えれば(そして人道という側面を考えても)敗者は救済されねばならない。その二律背反の、妥協的な解が「<独裁者>だけが裁かれる。国家賠償のような国民を裁く方法は最低限にする」というものであった。
 もちろんこれはアングロサクソン的なプラグマティズムであり、相対的な強者であるイギリスとアメリカのロジックである。日独による戦争によって最大の被害を被ったポーランドや中国といった国々の国民がそれで納得できたはずもないだろう。しかしながら、少なくとも極東に置いては、周恩来は可能な限りそれを実践しようとした(多くの日本人にとっては残念なことながら、スターリンの支配するロシアではそういうことにならなかったのは周知の事実である。しかし、当時のスタンダードからすればスターリンの方が「常識的」であったといってもいいだろう)。この経緯が、「両国の民衆は軍国主義の犠牲者であった」という、現在の胡錦濤まで続く中国政府の「公的な」歴史認識につながっているのは言うまでもない。
 従って、A級戦犯が合祀された靖国神社を日本の首相が参拝するという行為は、世界平和のために無理を承知で「信じている」ことにしてみせた共同幻想を、それによって助けられたはずの日本の側から一方的に破棄してみせるに等しい行為に見えたとしても不思議はない。靖国神社がA級戦犯の合祀を明らかにした後はじめて同神社を参拝した首相は中曽根であるが(注)、彼はあわてて靖国神社にA級戦犯の合祀撤回を求めた。神社の側はこれを拒否し、現在に至る歴史問題が続いている。
 付言すれば、日本の政治風土の特殊性もあるかもしれない。第二次世界大戦という未曾有の悲劇を、個人の罪のような単一の原因に帰するのは明らかに無理がある。しかし、あえて「人道への罪」というタテマエを創出して、それを憎むという価値観を共有することを約束することによって、規模拡大の一方だった国民国家間の戦争を止めるという以外に方法はなかったように思われる。そういった時に、「人道」という理想主義的な嘘をしれっと主張するというのは、よくも悪くもあまり日本的ではないかもしれない。日本はどちらかといえば偽悪主義的な政治文化を持っており、理想主義者がなす悪はどんな些細なことでも許されないが、最初から自分の徳を主張しない人物がなす悪はしばしば大目に見られる傾向にある。そういった文化風土においては、「共同責任」を一部の人間に押しつけてよかれとする「人道主義的」な解決法は収まりが悪い。しかし、近代民主制とは基本的にタテマエの質を競い合う文化であり、「私はホンネで語る男です」といった科白が選挙運動で飛び出す社会は、他の国の住民からは理解しがたいものにうつるかもしれない(選挙とは基本的にその候補者の理想/タテマエの質と、その達成能力を比較するコンテストである)。
 もちろん、一宗教団体がいわしの頭を信奉しようが、大量殺人犯を信奉しようが、本来国の口を出すことではない。これは「信教の自由」に属する問題であり、その点は中国政府も理解しているだろう(もちろん、共産主義という立場からすれば不満はあるかもしれないが、そこは相互に尊重されるべき価値観の違いであるにすぎない)。従って、時の権力者である中曽根が神社に合祀撤回を求めるのがそもそも不当な要求であったのであり、要は彼が靖国への参拝をやめればいいのであり、そうすれば中国も文句をいう筋合いの話ではなくなるし、同時に宗教団体の自主性も保たれる。事実、中曽根はその後参拝を取りやめている。付言すれば、靖国神社が東条らを合祀したのが1978年(公表は翌年)。周恩来の死は1976年であり、これは偶然ではあろうが、中国側から見れば「大恩ある周恩来の死をいいことに好き勝手を…」と見えなくもない(もっとも、晩年の周恩来に対する中国人たちの態度もあまり誉められたものではなかったのであるが…)。
 従って、両者の対立は文化的風土の違いによるものが大きいが、ことの発端は日本側の行為にあるのであり、相手が納得できる説明をする責任が日本側により多くあるのは間違いないだろう。
 私個人について言えば、もちろん生まれてもいない時代の「戦争責任」を「反省」してみせるつもりはない。自分が責任をとりようもない行為について反省のそぶりをとることは、本当に責任のあるものを免責してしまうというアレントの指摘はもっともだと考える。しかしながら、人道主義(それがタテマエであったにせよ)という枠組みに助けられた戦後日本社会で生きてきたことによって、その枠組みから漏れてしまった社会の人々よりも楽な暮らしをさせてもらったことは否定しがたいように思われる。こうした「人道主義」の恩恵を諸国に広げることは、この自分の享受した「戦後」に対する「戦後責任」の取り方の一つではあるかもしれないと思っている。

  
3,グローバル化について
 しかし、今回の問題の焦点はそこではないとすでに指摘した。ケインズはすでに第一次世界大戦の末期に置いて、敗戦国を焦土化するような制裁が第二の戦争を誘発するであろうことを警告していたが、そのときは誰もそれを聞き入れず、ドイツには莫大な戦後補償が要求された。第二次世界大戦の終わり、世界は今度は経験から学び、ドイツと日本への制裁よりも両国の復興を第一に掲げた。しかし、ケインズはこのとき再び裏切られたと思っていたかもしれない。なぜなら、復興計画の討議の席で、国際経済の調整を主眼に置いたイギリス・ケインズ案は棄却され、より援助の出資者側の都合を重視したアメリカ・ホワイト案が採用されたからである。ケインズは、不満を伏せて、敢えてホワイト案による二つの新組織、IMFと世界銀行の指揮を執るが、その成果を見る前に、終戦後わずか一年ほど没する。しかし、今の世界、特に拡大する貧富の格差を彼が見れば、まさに自分の危惧した事態が進んでいると感じるであろう。
 当時、荒廃したヨーロッパ大陸と日本の復興のために、各国は戦後の苦しい台所事情の中から復興費用を捻出した。しかし、その後冷戦下で各国の協調体制は崩壊し、第三世界の多くにはそういった援助の手は届かず低開発の状態に忘れ去られることとなった。中国の民衆が日本のODA(そのほとんどは低利の円借款を利用した我が国の企業向けの公共事業であるにすぎないのだが)に感謝の念を示さないと怒る日本人が多いが、戦後の最も苦しい時期に我が国に援助をさしのべたことのある国をいくつか挙げられる日本人が何人いるのだろうか? その中にはアルゼンチンのように今や多重債務に苦しむようになった国も含まれてているが、国連やイギリスのイニシアティヴで推進されている低開発国の債務帳消しに最も強い抵抗を示しているのは、今や日本である。私は日本の安保理入りに必ずしも反対ではない(理想を言えば安保理は解体されるべきだが、南ア、ブラジル、インドの安保理入りが実現するのであれば、短期的には日本やドイツの安保理入りは意味があるかもしれない)のだが、そのためには日本はもっと道義を示す必要があるだろう。
 ただ、中国にとっては日本の安保理入りは「絶対さけなければ行けない」問題というわけでもなく、今回の件においては付随的な問題にすぎないように思われる。現状の国際的な政治情勢の中では、いわゆるG4(ドイツ、日本、インド、ブラジル)はほぼセットで考えられており、アジアへの議席のバランスという意味からも、日本だけが落ちるということは考えづらい。したがって、中国が他の三カ国(特にインド)に安保理入りを認めたと言うことは、日本についても黙認せざるをえない状況を認めたと言うことであると考えていいだろう。逆に、安保理改革の障害があるとしたら、ブッシュ政権であるように思われる。安保理入りが日本にとってニンジンである以上、アメリカが安保理改革に正面切って反対することはあり得ないが、その一方でもし安保理改革が行われたとすれば、新たに議席をえる国はおそらくドイツ、インド、ブラジル、南アフリカであり、これは事実上安保理における「対米包囲網強化」に他ならない。日本の1議席を得るだけではあきらかに引き合わないし、たとえばアフリカからもう一カ国、比較的親米的な国を引き入れたとしても、アメリカとしては収支バランスに不満が残るであろう。
 現在、アメリカは唯一の超大国と称されているが、第二次世界大戦以後の歴史を見れば、エマニュエル・トッドの言うように、アメリカの国力はかつて無いほど弱まっている。一国主義は危険な綱渡りであるし、そのことをブッシュ政権の要人たちも十分考えてはいると思われる。第二次世界大戦直後、欧州と日本の生産能力は崩壊していたため、事実上世界のGDPのほとんどをアメリカ一国が占めていた。復興後、アメリカ、日本、ヨーロッパは三極を形成し、G7(先進7か国蔵相・中央銀行総裁会議)参加諸国(アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、カナダと日本)が世界経済の過半を支配した(これは、人口規模で言えば1割ほどの人々である)。現在、グローバル化の波は第三世界の大国の経済を急成長させ、ゴールドマン・サックスの予測によれば彼らがBRICと名付けた諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)の経済規模がG7に匹敵するのも間近であるという(これらの国名を現在安保理入りが予想されている国々と照らし合わせてみれば、安保理を人口と経済規模に応じた形で再編し、それらの国々により大きな責任を持たせようと言うのが国連事務局の意図であろうと想像がつく。これは次善の策、という程度には支持できる戦略であろう)。しかし、これらの国々は世界人口の半数近くを抱えており、ロシアを除けば、人口の多くが裕福とは言い難い状態に置かれ続けるという状態は継続するものと予測されている。
 こうした中、2004年6月、IT産業の振興で10パーセント近い成長率を記録しながら、その成長から取り残された農村部の怒りを買ってインドの政権党が交代した。このことは、同様の社会状況を抱える中国政府にとって、大きな脅威となったと思われる(共産党内の権力闘争の可能性をを指摘する論者もいるが、原則としてこの文脈で考慮すべき問題であろう)。一党独裁制をしく中国ではもちろん、選挙による政権交代はあり得ないので、これら農村部の不満は必然的に暴動に結びつくことになる。事実、ほとんど報道がないので詳細は不明ながら、地方の農民層の抗議運動は年々規模を大きくしてきているという話も伝わっている。またウイグルなどの少数民族も抵抗活動を先鋭化させており、鎮圧行動で重大な人権侵害が行われている可能性もあると、世界の人権団体は神経を尖らせている。こうした中で、近年実際に戦争を経験しており、現在も臨戦態勢にあるインドに対しては国境問題などで一定の譲歩をすることで関係改善に腐心する一方、すでに経済的に密接に結びついており、ちょっとのことでは関係の壊れようもない日本に対して強く出ることで国民の不満をそらそうという方針は、中国政府の選択肢としては一定の合理性を持っているだろう。
 その一方で、先に香港で行われた世界経済フォーラムのアジア会合では、世界経済の発展のため、アジア諸国がEUやNAFTAのような経済統合を推進するべきであることは既定路線のように語られている(愛国を標榜して、中国政府の言動は非難しても、こうした日中両国の要人を交えて公然と行われている議論について読者に報告しようとしない産経新聞などは、その支持者を裏切ってはいないだろうか? この問題についてはまた後日論じたい)。
 こうした中、歴史認識の問題を巡る日本の道義性に問題があるという議論に異議を差し挟むつもりはないが、その一方で、その問題だけに議論が修練してしまうことには危惧を覚える。経済的な苦境が強いリーダーと愛国主義に人々を引き寄せるという構造は、ケインズがそれを憂慮した前世紀初頭からまったく変わっていない。日本を非難する中国人も、日本を非難する中国人を非難する日本人も、それが現実の経済と生活の問題から目をそらす方便だということに気がついてもらわなければならない。我々は、戦争問題と同時に、この問題についても積極的なコミュニケーションを試みるべきであろう。
 今年12月には香港でWTOの閣僚級会議が開かれる。当然、恒例となった世界中の運動体の結集と抗議行動も開かれるだろう。中国でこうした大規模な「反グローバル運動」が展開されるのははじめてといってよいので、中国政府がどのような対応に出るかはまったく予測できない。しかし、今回デモに参加したような人々と、我々日本人がそうした場で情報を交換し、本来共通の課題であるはずの新自由主義の台頭に対するアクションのために協力し合えれば、と願っている。

【追記】 2005.05.16
 農村部の暴動については"A bloody revolt in a tiny village challenges the rulers of China"という英Guardian誌の記事があった(via Over the Hillbridge

  
(注)ここ、記憶違いのようで、鈴木善幸が80年から82年まで三回、靖国を参拝しているようである。また中曽根がはじめて参拝したのは83年の模様。このあたりの経緯の詳細については要調査。

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コメント(1)

TBありがとうございます。

いつも拝読させていただいております。このエントリーも、時間と空間を広げて考えることの重要性を感じさせられました。知らないこともたくさんあって勉強になりました。

中国の暴動のところも読んでいたはずなのですが、すぐには気づきませんでした。自分のところで紹介しておきながら。。。

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このページは、かすががMay 5, 2005 4:30 PMに書いたブログ記事です。

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