アシス・ナンディ氏講演 「『聖なるもの』の復活:宗教、暴力、民主主義のゆくえ」
メーリングリストで案内を見つけたので、インドの社会学者アシス・ナンディ(デリー発展社会研究センター元所長)の講演を聴きに、ひさびさに京都大学に出かける。
メールにはタイトル「『聖なるもの』の復活:宗教、暴力、民主主義のゆくえ」と、申し込みはいらないという趣旨のことだけが書いてあったので、わりと小さな集まりかと思わせるが、一方で「京都大学百周年時計塔記念館 1階 ホール」という、たぶん非常に大きな会場が押さえられていておかしいなぁ、と思いながら出かける。
案の定というか、実はこの講演、京都文化会議という稲森和夫氏が会長、尾池和夫氏(京大総長)が副会長を務める巨大イベントのオープニング記念講演の一部であった。
確かにナンディ氏はインドではガンジー主義系の学者グループの重鎮で、国際的にも著名な人物であるが、さすがに単体イベントとしてはこの巨大ホール(会場も予想よりでかかった)を埋めるのは不可能だろう。
そういう意味では予想してしかるべきだったのだが、物々しい受付が設置してあったので、日を間違えたかと悩んでしまって、講演の最初を聞きそびれた。
というか、一般向きの講演だと講演者もあまり突っ込んだ話はしないし、あまり行かなくてもよかったかなぁ、という気分もあるので、そういう情報はちゃんと出して欲しいと、ちょっと思った。
だいたい、学者も運動関係者もメールに必要事項だけ書いて流すという風習が未だに抜けないが、せっかくブログのようなシステムも発達してきたのだし、より詳細な情報を調べたり、情報がアップデートされても外出前に確認できるように、「大元のサイト」を一つ決めて、URLを明記するという習慣は付けるべきなんじゃないか、と思う。
まぁ、調べなかった私も問題なのだが…。
ちなみに、会場のある時計塔記念館(時計台、と呼ばれる建物)はリニューアルしたばかりで、ホールを出たばかりの所に小さな歴史資料展示室が設置されている。
大きなイベントなので、市民の方も多く集まってくるわけで、しかも比較的早い時間に終わるので、多くの人がこの資料室を覗いていた。
大学にも宣伝や説明責任が求められる時代だが、ベタなようでこういう工夫は「自分の街の大学」に愛着を持ってもらうために有効であろう。
私としては1930年ごろの学生の下宿の再現コーナーが面白かった。
本棚には河上肇やニーチェが並ぶが、河上は1928年に京大を追われ、33年には入獄している。
だんだんとリベラルな議論が難しくなっていく、時代の変わり目が切り取られているのだ。
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