ベナジル・ブット(元パキスタン首相)暗殺

ブット元首相が死亡 集会で銃撃と爆発 パキスタン 2007年12月27日23時17分 Asahi.com


 パキスタンの首都イスラマバード近郊のラワルピンディで27日夕(日本時間同日夜)、ブット元首相(54)を支持する人々の集会で銃撃と爆発があり、AP通信によると、ブット氏自身も至近距離で巻き込まれた。同国内務省スポークスマンなどによると、ブット氏は病院に搬送されて手術を受けたが同日夜、死亡が確認された。爆発ではほかに約20人が死亡し、多数が負傷した。



 …まぁ、そうなるかなぁ、とは思っていたが。

 しかし、彼女の経歴を改めて(Wikipediaで)確認してみると、ある種の感嘆の念を禁じ得ない。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Benazir_Bhutto

 イスラム圏最初の女性首相というのはよく知られていると思うが、それ意外にも彼女の経歴は非常に印象的である。

 社会主義を奉じるパキスタン人民党の党首で、首相や大統領を歴任したズルフィカール・アリ・ブットの子どもとして生まれたベナジルはまず米ハーバードに留学する。
 ハーバードでは政治学を優秀な成績(cum laude / 第三席?)で卒業。ファイ・ベータ・カッパ・ソサイエティのメンバーになっている。
 ※ファイ・ベータ・カッパは優秀な成績を収めた学生のみが入会を許される、アメリカ最古の学生結社の一つで、ギリシャ語の"Love of learning is the guide of life."の略号になっている。有名なメンバーにはビル・クリントン元大統領やチェイニー副大統領夫人のリン・チェイニーなどがいる。

 その後、英オックスフォードに移ったブットは、アジア人女性として最初のオックスフォード・ユニオンのプレジデントに就任している。
 オックスフォード・ユニオンは、オックスフォードの雄弁会で、著名な政治家を数多く輩出していることで有名である。
 同会プレジデントのリスト(http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Presidents_of_the_Oxford_Union )を見ると、古くはアスキス、グラッドストンといった首相経験者、アフリカ大陸南部に大英帝国支配の基盤を築いたアルフレッド・ミルナーなどが名前を連ねている。
 最近を見てもマイケル・フート(労働党)、ウィリアム・ヘイグ、アラン・ダンカン(共に保守党)など英国二大政党の党首クラス・著名政治家の名前が並ぶ(「←何故か首相になれない」リスト、という気もしなくもないが…)。

 面白いことにこのリストに名前のあがるもうひとりのパキスタン人は、作家で映画監督であり、世界社会フォーラムの推進者のひとりとしてもしられるタリク・アリだったりする。

 ちなみに、ブットは1989年にピープル誌が選ぶ「世界で最も美しい50人」にも選ばれている。
 その年の他の顔ぶれがどんなものだったかは不明であるが、例えば2005年は以下の通り
 http://www.people.com/people/article/0,,1046248_1054061,00.html
 ジェニファー・ロペス、オーランド・ブルーム、ベッカム、シャラポワといった名前が並ぶが、もちろん政治家は一人もいない(笑)。

 クーデターで実権を握った独裁者ムハンマド・ズィヤ・ウル・ハク将軍によって父と兄弟は謀殺され、彼女自身も自宅軟禁(後に国外追放)にあったことから彼女の人民党リーダーとしてのキャリアが始まり、ズィヤ・ウル・ハク将軍の死後、首相の座に着くことになる。
 その後、汚職スキャンダルで権力の座を失い、国外逃亡、ドバイでの亡命生活を余儀なくされる。
 しかし、軍事クーデターで実権を握ったムシャラフ政権下での初の選挙(2002年)で人民党は再び第一党に返り咲き、国民の期待を受けて彼女自身もパキスタンに帰国した矢先の暗殺であった。

 彼女のスキャンダルが事実だったのか、あるいはパキスタンの政治や軍事を支配するパンジャブ人領主たちの陰謀であったのかはよく分からない(彼女の父ズルフィカールは少数民族であるシンド。母はイラン系クルド人であったらしい。また、農地改革を進める人民党の政策がパンジャブの領主たちの怒りを買ったという指摘もある)。

 で、なにが言いたいかっていうと、彼女の経歴を見れば、彼女がパキスタンのことを忘れて欧米で生活したとしても、これだけの経歴があれば相当に「輝かしい人生」が歩めたであろうということである。
 ワシントンでイスラム系ロビーとして活動することも出来たろうし、ビジネスでの成功もあながち不可能ではないだろう。
 また、「社交界」なり女優なりとしての成功だって考えられないこともないのがこの人の凄いところでもある。

 にもかかわらず、「忘れられた国」パキスタンに帰国し、政治家を目指すというのはなんなんだろう?(しかも、父の暗殺以降、パキスタンでは彼女が安全に暮らせる時代はほとんど無かったと言って良いし、その状況は女性の社会進出に批判的な原理主義勢力の台頭もあって、刻一刻と悪くなっていたわけである)。
 義務感なのか、権力欲と言うことなのか、あるいは殺された父や兄弟への義理立てであるのか…。
 生きるとはどういうことなのか、考えさせられる人生である。

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