WBブログQ&Aと「魚ではなく釣竿をあげる」削除について 

 昨日の日記「彼らが釣り竿を持たなかったのではない。我々の驕慢が彼らの釣り竿を打ち砕いたのだ」で扱ったホワイトバンド・ブログの記事 「魚ではなく釣竿をあげる。」は削除されたようです。

 「ほっとけないキャンペーン」事務局の某氏から「チェック不足だった」というメールもいただきました。

 まぁ、とりあえずここは良かった(削除という方法が適切かは兎も角)ということにしておきましょう。
 しかし、やはりNGOサイドと、サイトをつくっている広告代理店サイドで、だいぶキャンペーンの方向性に関する認識に差がある上に、「ホワイトバンド・ブログ」などのインターフェイス部分は基本的には広告代理店が握っている、ということのようですね。
 ちょっとそのあたりはどうにかした方がいいというか、どうにかならないものか、というか…。

アンチ・ホワイトバンド層にもおそらく4段階あって、
1)「市民による政策提言」にそもそもアレルギーがある派
2)市民が政策を論じるのはいいが、貧困の問題のような「左っぽい」いいこちゃん議論に忌避感がある
3)貧困の問題は重要だが、方法論として債務帳消しやトレード・ジャスティスに反対
4)債務帳消しやトレード・ジャスティスには同意するが、日本のキャンペーンのやり方に反対

 で、少なくとも3と4には納得してもらわないとキャンペーンをやることが有害無益と言わざるを得ないでしょう(あと、2と3の差異は、実際は非常に小さいのではないか、と思います)。

 問題を大きくしているのは、政策提言キャンペーンなのに、バンドを買った後の行動指針がまったくないことですね。
 ヨーロッパであれば、市民も運動慣れしているし、ちょっとした人口の街ならオックスファムなんかがあって、ヴォランティアが常時出入りしているという状態ですから、次に何をしたらいいのかも相談がしやすい。
 BBCなんかもそういうニュースを集約した特集ページを作っているし、もちろん各NGOのサイトでもキャンペーンのためのキットを配布しています。
 しかし、日本ではメディアはいちゃもんしかつけないし、NGOは資料を作成できるようなエコノミストを雇えるような金を持っていないし、大学でも教授たちは政治的な問題について教えたがらない。
 これでは、「バンドを付けた。それで?」ということにしかならないでしょう。

 で、やっとこ現れたのがあの「ホワイトバンド・ブログ」なわけであるが、「魚ではなく釣竿をあげる」はあまりにも第三世界をバカにしきっていて論外であるし、それ以外の部分でも、正直あまり哲学を感じないわけです。
 例えば、叩きたい人やおもしろおかしく書きたいマスコミが「募金ではない」という表現になるのはしょうがないのですが、自分たちで「これまでの募金とはちょっと違います」と、突然言い出すのはいろいろな意味で間違いでしょう。
 まず、なんらかの目的のためにお金を募れば、政党献金であろうがお寺の建立であろうが、それは日本語としては「募金」でいいわけですし、できればメディアにも「募金ではない」とは書かないでくださいと申し入れぐらいしてもいい。
 それに、「ちょっと違う」という曖昧さを残した、ネガティヴなキャッチフレーズが突っ込みやすいのは当たり前でしょう。
 改革を求めた運動であるならば、「何々ではない」ではなく「何々である」、あるいは少なくとも「何々を目標としている」というのをもっと打ち出すべきでしょう。
 その部分で、コンセプトが練られていないという印象を受けざるを得ませんし、もし運動している主体を知らなければ私でも「キャンペーンそれ自体が目的になっている」というように感じたでしょう。

 なんにせよ、ブログを広告代理店に任せっぱなしだとすれば、そのことによって運動に関わっている人々の顔が見えないというのが非常にネガティヴな要素になっていると思います。
 とりあえず何人か、運動に関わっている(2ちゃんねる流に言うと)「中の人」ブログをつくるといいのではないか、と事務局に提案してみました。
 そこで、何故この運動に関わっているか、どんなことをしたいか、などを語れれば、バッシングに揺らいでいる中間層を勇気づけるのではないでしょうか。
 私の知る限りでも、ほっとけない事務局には少なからず、活動実績も含めて語ることはたくさんあるし、文章力もある人がいるのですが…。

 「公開Q&A」(この「公開」とついている意味がわからないところも「言葉が練られていない」と感じさせるところです。ウェブなんだから「公開」は当たり前なのでは?)としてのブログも悪くないのですが、はじめに公開されたエントリーを見る限りでも、求められているのはまずそこじゃないだろう、と思いました。
 繰り返しになりますが「なぜ直接的な寄付ではないの?」というのは、ネガティヴ・ファクターですし、最初に持ってくるべき要素とは思いません。
 人々がまず知りたいのはGCAPやMDGs(ミレニアム開発目標)とは何かであり、そのために何故市民の力が必要なのか、でしょう。
 で、直接的に第三世界にお金を落とすことでは十分ではないという話は、そのあとに来るべきです。

 昨日のエントリーで見たような、これまでの援助を巡る歴史的経緯の反省をふまえて、第三世界とののボトムアップでのパートナーシップが必要なのだと言うことをまず訴えられれば、それなりの割合の人は共感してくれるように思います。
 また、なぜ市民の監視が必要なのかと言うことについては、ジュビリーの経緯やコトパン・ダムの話、あるいは現在進行形の援助であるネリカ米を巡る問題などを提示できれば、制作提言の必要性も自ずと理解される(少なくとも一定層には)と思います。

 その時に、運動側のモノローグにならないことが大切だと思います。
 政府に質問状を出して、さらにそれを批判するような、対話ベースの見解表明が望ましいでしょう。
 例えば中公新書にそのものズバリ『ODA』という本があります。
 政府よりの見解に依拠した本ですが、きちんとエヴィデンスを提示していて、しっかりした本です。
 これに反論を加えていくような形でFAQを出せれば、説得力は増すでしょう。

 思いつきですいませんが、今後やるべきこととしていくつかアイディアをあげてみます(何人かの方にはすでに言った内容も含まれているので、重複する点はすいません)。

1)まず圧倒的にドキュメントが少なすぎるので、もうすこし、債務の歴史やなにをすべきかのドキュメントを出していくべきでしょう。
 また、ネットを見ないとそういうことが判らないというのはムリがあるので、少なくともパンフレットはつくるべきです(できれば一般紙にそういう記事が載るといいんでしょうけど。広告屋のヨタ話しか載らないというのは、メディア側の質の悪さもあると思いますが、事務局の努力不足と言われてもしょうがない部分もあるのではないでしょうか)。

2)もう少し、どう活動に参加すべきかのスキームが提示されるべきです。
 たとえば、必読書リストやウォッチすべきネット上のサイト(日本語のみと英語がわかる人向けの両方)のリンク集をつくるだけで、地方でも自主的に勉強会ができるようになります。
 また、これこれのテーマであれば交通費実費負担して頂ければ出張講演します、ぐらい打ち出してもいいと思います。

3)顔が見えないのは大きなマイナス要因ですから、みなさんもっと個人の思想を提示しましょう。
 ブログやポッドキャストは強力なツールになるはずです。
 お金の使途についても、公式見解が出せないのはしょうがないとしても、夢を語るぐらいのことはメンバー個人の責任でしてもいいでしょう。

4)先日のニューヨーク国連総会&世銀総会は本来、誰かが行って、写真などを使って実況すべきだったと思います。
 年末のWTO閣僚級会議(香港)はウェブサイトででも記事にできないものでしょうか?

5)せっかくWSF(世界社会フォーラム/先進国と第三世界の両方のNGOなどが集まって、貧困、環境などの問題を協議する大規模な会議)がアフリカ・マリ開催なのですから、もっと絡めるべきでしょう。
 多少のお金が確保できたのであれば、参加者から論文を募って優秀者はマリにご招待とか、そういう現地との対話が可能になる企画を打ち出すべきです。

 少なくとも現状では「日本はこれまでも援助をしてきたじゃないか」というような、素朴な疑問にすら十分に答えているとは、残念ですが言えないように思います。

 また、「ホワイトバンドは買った。で?」という人に、なにかできることを提示するということが必要です。
 それは、読書でもお祭りでも官邸へのレター・フォームでもいいと思います(メールフォームより、あらかじめ印刷したハガキを配って、「切手を貼って出してください」というのがいいように思います。そうすると出す側も読みますから)。

 GCAPに関わる市民運動がしなければいけないのは、実際は人様への「援助」なのではなく、なぜ第三世界も自分たちも同時に苦しいかということの解明に人々の意識を向ける、先進国版「民衆教育」であると思います。
 それは煎じ詰めれば、自分たちの身を守るために、自分たちのニーズにあった情報を、自分たちでとってくるための教育、ということです。
 そういう意味で、わざと小難しい議論を振りかざすのは避けたいと思うのですが、一方で最低限の理論武装は必要です。
 まぁ、なんというか、パウロ・フレイレはもっと読まれるべきだということです。

【追記】
 4〜5で言っていることに関しては「ほっとけない」キャンペーンのサイトに
 NGO News&Message (より専門的な情報、より専門的なニュース)というコーナーがあった。
 気づいていなかった点はごめんなさい、ですが、もうちょっとこのあたりを全面に押し出してくれた方がいいと思うよ。

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どら :

こちらのブログでOxfamジャパンのホワイトバンド関連の会計情報についてコメントされていました。

http://bonobono.cocolog-nifty.com/badlands/2005/10/ngo_8cc2.html

これを読むと、主催者の企業は、「5000個を格安で卸す(100万円の収益)から賛助団体にならない?」と誘い、それ以上を販売することを抑えるやり口なのではという印象を持ちます。

また、近日開催予定のコンサートやインターコンチネンタルホテルとのタイアップなど、ホワイトバンドの理念との関連が薄い(あるいはない)事業を見る限り、NGOや貧困問題はシリコンバンドやその関連商品を販売する企業によって搾取されているような印象を受けます。

批判は(後手後手で不十分な対応しかできない)NGOにいき、利益は企業に、、ということ!!??

かすが :

どらさん
 情報ありがとうございます。
 たしかにこれ、不自然ですね。
 オックスファムは、まさか5,000個はけると予想していなかったんで、その条件をのんだんじゃないかという気もしますが…。

hal* :

「削除という方法は兎も角ここは良かった」とありますが、どうでしょうか。
私からすると、そういう姿勢にこそ全ての原因があるように思います。つまり、アンチ層の段階で言えば私は4番のもうひとつ下のレベルで、彼らはそもそも商業国日本、ものづくりの国日本において非人情なやり方で、全く信用のおける人達に思えないのです。
笑福亭鶴瓶さんによれば「客良し店良し世間良し」が日本の商売の基本だとか。これは商売の基本であると同時に日本人のお金に対する倫理観だと思います。自分が客、店、世間、どの立場に居たとしてもお金を媒介した価値交換がこの様な形になってれば皆が幸せになれるから良しで、そうではなく誰かの損の上に成り立つものは悪なのだと。
私は彼らの言う理念や政策や認識が正しいかどうか、真に有効かどうかプロか素人かは大して問題でないと思います。それよりも現状の「客が勘違いをし世間から非難されても店だけはよい」これに何も思わないかのごとく、サイトを改変し記事を削除し一切謝らない、説明しない。客と世間を満足させる、喜ばせるという気持ちを感じないし、彼らが持ってるはずの価値を提供しようという姿勢も見えない。だけど金の集まるという事実は彼らこそがゼロサムゲームのプレイヤーであるという事実に他なりません。貧困の元凶です。
こちらのエントリにある5つのアイディアは、いずれも客と世間に価値提供せよとの提案になると思いますが、彼らに何故そういう事が必要なのかという事を理解できる資質がある様には思えません。
そもそも“自分以外の他人”が貧困を解決することに彼らは興味があるのか。これまでの、そして今回の振る舞いを踏まえれば、もうほとんどその答えは出ている気がします。

それと、このエントリーではSSUが悪いという前提になっている様ですが、個人的な直感で言えば、次原さんのコメントを聞く限り、SSUは貧困についての一般常識が欠けていた為に騙されてしまった善意の人ではないかと思います。物の売り方やファッション性の提案という彼ら本来の価値は十二分に事務局に提供されているわけですし、その対価を得ていたとしてもそれはゼロサムの中のゼロ地点ではないかと。
私は、(勘ぐりですが)店の事しか、自分の事しか、自己実現だけしか考えない人達が事務局の中にいて、問題の根本はそちらにあるような気がします。

かすが :

hal*さん
 コメントありがとうございます。

>それと、このエントリーではSSUが悪いという前提になっている様ですが、個人的な直感で言えば、次原さんのコメントを聞く限り、SSUは貧困についての一般常識が欠けていた為に騙されてしまった善意の人ではないかと思います。

 おっしゃるとおりである可能性はあると思います。
 ただ、とりあえず「ほっとけない」事務局と「ホワイトバンド」事務局は全く別個のものとして運営されているようで、その二つの関係とかがよく判らないので、なんとも判別できないという状態です。
昨年末から運営されている 「ほっとけない」事務局が NGO主体であるのは知っていて、私は知り合いも何人かいるので、どうしても点数が甘くなるのですが、「ホワイトバンド」事務局というのはどうも招待がわかりません。
 今度、そのあたりも含めて知り合いなどに確認してみたいと思いますが、知り合いだとどうしても追求が甘くなるところもありますので、メディアや利害関係のないブロガーの「つっこみ」にも期待したいところです。

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このページは、かすががOctober 26, 2005 9:49 PMに書いたブログ記事です。

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