シンポジウム「対話型社会における科学コミュニケーターの養成」報告

 上野の国立科学博物館で行われたシンポジウム『対話型科学技術社会における科学コミュニケーターの養成』に参加。
 科学博物館はもう10年ぶりぐらいになるような気がするが、子どもの頃は毎月のように訪れていた懐かしい場所である。
 現在、慣れ親しんだ旧館は工事中とのことだが、最近つくられた新館は初めて見る展示だったので、休憩時間などに楽しめた。

 シンポジウムはオーストラリア国立大学国立科学意識向上センターのスーザン・ストックルマイヤー氏による「シェル・クエスタコン科学サーカス」(The Shell Questacon Science Circus)の事例報告から始まる。科学サーカスは、オーストラリア政府のイニシアティヴと民間企業の援助によって成り立っているシステムで、科学教育施設へのアクセスが難しい僻地に出張して、科学教育を実践している。プロジェクトに採用された大学院生はシェル・オーストラリアから一年分の奨学金を供与され、6週間のクラスワークののちに、50種類のサイエンスショーの道具を詰め込んだトレーラーを使って、オーストラリア各地に旅立つ。6週間の訓練には、サイエンス・ライティング、サーカスの運営やファンドの維持に加えて、アボリジニ社会とコミュニケーションするための異文化交流教育も含まれる。このプログラムを修了した学生は社会的にも評判がよく、決して「科学者になれなそうな学生に対する救済措置」ではない。したがって、参加する学生には大学院課程で高い成績を収めていることなど、厳しい要求が課される。

 次に、ミネソタ科学博物館のDevid Chittenden氏の発表で、科学博物館での展示を「科学現象」「科学の手法」「最新科学の内容と課題」「科学の本質」などに区分し、科学の本質を伝える展示の少なさなどの問題を提示した。
 実は、私はこの発表の論点が今ひとつよく判らなかったのだが、午前中のセッション終了後、早々に昼食をすませて新館館内を一巡してみて、昔よく博物館を巡っていた頃の記憶がよみがえるとともに、Chittenden氏の議論の趣旨がだいぶ了解できた。シンポジウムの参加者は科学博物館や日本科学未来館など、展示に関わる仕事に就いている人が多かったので、そのあたりは了解事項だったのだろうか。先に展示を見る機会をつくっていればもう少し理解も進んだであろう点が悔やまれた。

 午後からは日本の状況の発表で、最初のセッションでは日本における科学コミュニケーション全般の状況について概説がなされた。
 最初に科学技術政策研究所の渡辺政隆氏が日本の現状について解説した。国際比較では日本の小中学生の理科の成績はかなり上位に位置するが、「理科が好き」と答える子どもの割合はかなり低いという調査がまず提示され、科学技術創造立国を目指すためには危機的状況であることが提示された。理科に興味があるという人の割合は年齢が下がるごとに低下し、科学啓蒙書の売れ行きも20代で極めて悪いことなどがあげられた。また、全世代を通して、科学に関する情報のほとんどを新聞とテレビに頼っていることが示された。
 それを受けて、毎日新聞で「理系白書」などに関わっている科学環境部の元村有希子氏が、どういう科学記事が新聞に載りやすいか、科学報道の目的がどのように考えられているかなどについて、新聞各社の違いなどにも言及しながら論じた。また、「理系白書ブログ」を使ったコミュニケーションについても言及があった。
 最後に、国立科学博物館の有田寛之氏が、博物館での展示の問題について概説した。ここでは伝統的な「受動的な観客」という見方に対して、来館者のニーズや欲求に合わせた展示法を工夫することで、来館者が主体的に学んでいく相互作用を誘発するような展示法についての議論が紹介された。


 午後の第二セッションは、各地の具体的なプログラムについての発表があった。発表があったのは国立科学博物館に加えて、次の機関・プロジェクトについてである。
 ・お茶大サイエンス&エデュケーションセンター
 ・和歌山大学 宇宙教育研究ネットワーク "NewEar"
 ・北海道大学 科学技術コミュニケーター養成ユニット
 ・東京大学 科学技術インタープリター養成プログラム
 このうち、和歌山の事例は、天文台の運営主体である町と、地域の大学、それに県の教育委員会が協力して新しい学習施設として利用を始めたという、先進的な事例である。
 それ以外はいずれも最近はじまった科学コミュニケーター養成プログラムである。
 お茶の水女子大のプログラムは(元々師範学校という特性も反映して)主に「科学教育能力のある教員」を育てることに主眼を置いている。そのために、科学的探究能力育成、研究推進・教材開発、プレゼンテーション、4サイエンス・リーディング、サイエンス・ライティング、外部資金を獲得、学校運営・経営の7つのスキルの育成を目指すとした。
 北大については、すでに社会で活動している人々が、さらに科学コミュニケーションの能力を磨く場として設定したとして、受講者を大学院生に限定していない。「科学コミュニケーター」という専門家ではなく、それぞれの現場で科学コミュニケーションができる人材の育成を目標に掲げている。コンセンサス会議に言及するなど、今回の発表の中では一番社会的な側面に言及した発表になっている。
 東京大学については、研究を実践している大学院生のためのプログラムとして設定されており、授業も毎日設定されているなど、もっともハードなプログラムであるかも知れない。長期的には日本ではまだ珍しい「副専攻」プログラムとして確立したいとしており、学生に対する要求レベルも高い。

 最後に、神戸大学の小川正賢氏が、いろいろ問題もあろうが、それぞれのプロジェクトも始まったばかりであり、ここはポジティヴな目標などについて語り、来年以降のシンポジウムで問題点を検証することにしようとまとめ、会場からの発言を募った。

 しかしながら、ここでは全体的な問題点をいくつか指摘してみたい。
 実は、プロジェクト・リーダーが人文学者である北大と、それ以外のプログラムはだいぶ傾向が違うのだが、今回のシンポジウムでは、その差異はあまり強調されない傾向にあった。それは、日本で始まったばかりの「科学コミュニケーション」という運動を維持していくために必要なことかもしれないが、一方ですでに内包されている論点を指摘しておくことも必要であろう。

 違いというのは、基本的に「科学」そのものの評価に関わることである。科学コミュニケーションに関するプロジェクトを担う人々は圧倒的に自然科学系の学者が多く、どちらかというと最近の子どもたちが「自然の驚異に触れ、その謎を解き明かすおもしろさ」を理解していないことに対する落胆が大きい。
 これは一方で、過度に「科学技術創造立国」を主張し、実学に流れることよりは健全だと思うが、一方で科学技術が良くも悪くも社会と深く関わり、進歩の駆動力であると同時に諸問題の泉源になっていることも事実である。今回の発表ではほとんど触れられなかったが、原子力、狂牛病、アスベスト、気候変動、臓器移植や肝細胞といった社会的と密接に関わり、毀誉褒貶半ばするような話題に触れずに、一般の人々の「科学への信頼」を取り戻そうとすることは不可能であろう。
 逆に言えば、これらの諸問題は国内的にも国際的にも人類の最重要課題であり、かつ人々の最も関心を喚起するところであるのだから、これらの問題を積極的に扱うことは、むしろ科学と科学者共同体に対する関心と信頼を取り戻すことにつながるのではないか、と思われる。

 それと関連して第二点であるが、「コミュニケーション」といいつつも、コミュニケーションが本来持つ双方向性にはあまり関心が払われていない。しかし本来、コミュニケーションというものは、例えば面白い科学雑誌をつくったら「公衆」の科学に対する関心が2パーセント上昇した、というたぐいのことではないだろうと思う。
 欧州では既に議論のあるとおり、公衆は主体的なコミュニケーションを求めているのであり、その結果として公衆の見解が変動することを求めるのであれば、科学者共同体自信が変わる可能性も認めなければフェアなコミュニケーションではないのではないか。
 例えば、肝細胞などを巡って、従来通りの研究の自由か、社会の要求か、といった問題はすでに提示されているのであり、これは巨視的に見れば科学、研究、大学といったシステムの変更を迫るものであるかも知れないのである。
 (科学と社会の関係が危機的であるという認識は科学者の間にも共有されている。しかし残念なことに、現段階では夫婦関係の危機に「もっとコミュニケーションしてみたら?」と言われた夫が「そうだ。妻はもっと自分のことを理解しなければ行けない」と主張している、というのと大差ない状況にあると言えよう)

 第三点として、これが一番喫緊の課題といえるのだが、養成された「科学コミュニケーター」にどのような仕事があるのか、あまり明確なヴィジョンがないことの問題があげられる。
 現在、公的な研究費は3パーセントをアウトリーチ活動のために使用されることが求められるなど、社会に対する説明責任が求められるようになってきているが、これらの資金は広告会社などに丸投げされることも多い。これを、より有効でインタラクティヴに使う方法を模索するというのは一つ提示されていた。
 また、NPOの活用などが挙げられていた。ただし、このNPOの活用については、北大が実際に地元のコミュニティ・ラジオなどとのプロジェクトを開始している他は、明確なあり方についてはあまり詰められていないというのが現実であるように見受けられた。
 少なくとも、すでに株式会社として機能しているリバネスや学生主体のNPOであるNPOサイエンスステーションなど、いくつかの試みが先行しているのであるから、それらの人々もシンポジウムで発表があるとよかったのではないかと思う。

 第四に、上記に関連してだが、日本ではNPOなど、国際的に「第三セクター」と呼ばれるセクターの経済力が弱いことが、科学コミュニケーション活動を制約しているという、おそらく最大の障壁があまり意識されていないことも指摘しておきたい。
 今後の課題として、公的資金だけではなく、例えば全国の科学者・大学関係者から出資を募って科学コミュニケーション基金のようなものを募るといったことも考えられて良い。
 双方向の科学コミュニケーションという意味では、日本は欧米からたかだか10年遅れているだけだが、科学者が基金をつくったりロビー団体を組織したりと言った、社会との接点を構築するという活動については、半世紀以上の歴史を持つ欧米に比して、日本ではこれまでまったくそういった活動が見られなかったわけである。
 科学者共同体による様々な政治・社会活動の蓄積という堅牢な石垣の上に双方向的な科学コミュニケーションを継ぎ足すだけでよい欧米に比して、まず足場からつくらなければ行けない日本という大きな差異は、今後大きく問題になってくると予想される。

 上記四点に比べれば些細な問題ではあるが、無視できない問題として、資格の規格化がある。
 いくつかのプログラムでは一定のコースワークののち、一定の水準に達した人にはなんらかの資格証明を出したいと考えているようである。
 しかし、資格が乱立することは勿論混乱を引き起こすだろうし、いっぽうで多様なスキルを要求するこの領域で、資格を規格化することにメリットがあるかというのは疑問が残る。
 この問題については、継続的な協議を積み重ねるのが望ましいだろう。
 ちなみに、今回は発表がなかったが、日本科学未来館もオン・ザ・ジョブで科学コミュニケーターを、しかもおそらく最も大規模に育成しており、そういった機関の蓄積も参照されるべきだろう。

【追記】
 シンポジウム「対話型社会における科学コミュニケーターの養成」 発言要旨(PDF)が公開されていた。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: シンポジウム「対話型社会における科学コミュニケーターの養成」報告

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://talktank.net/mtype/mt-tb.cgi/187

コメントする

このブログ記事について

このページは、かすががNovember 10, 2005 8:26 PMに書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ブッシュ大統領、IMF批判に拍手」です。

次のブログ記事は「ナラヤナン・インド前大統領死去」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.27-ja