シマウマの思い出
先日の記事「いよいよ参議院選挙公示ですが…」を書いているときのなんとなく思い出したのが、川田龍平、志葉玲らと一緒にケニアのナクル湖国立公園に行ったときの話(そのときのことは『川田龍平いのちを語る』参照)。
公園の案内をしてくれたドライバー兼ガイド氏によれば、たいがいの野生動物(ヌーやインパラのたぐい)は捕まえられて動物園のような環境で育てられると、通常の(野生環境における)寿命より長生きをするらしい。
ところが、シマウマだけは捕まえられてしまうと早死にしてしまうことが多いのだそうである。
これは、一般的な動物が極めて短い短期記憶しか持っていないことによるとのことである。
インパラのたぐいで数時間、イボイノシシにいたっては10分前のこともろくに覚えていないという(木の上のヒョウに警戒して立ち止まったイボイノシシの気をそらすような物音を立てると、イボイノシシはそっちに気をとられて直ぐにヒョウのことを忘れて直進、ヒョウに食われてしまったりするらしい)。
ことろが、シマウマだけは極めて長期にわたって様々な出来事を覚えている。
なので、ヌーやレイヨウ類がサバンナを定期的に、長距離にわたって移動しながら暮らすことは有名だが、この群れからシマウマを外してしまうと、彼らは決まったルートをたどれなくなってしまうらしい(ホントかどうかは不明。そういう研究があれば誰か教えてください)。
この記憶力(というか、知能?)が仇になって、生まれ育った環境から引き離されて狭い囲いの中で育てられることは、シマウマに強いストレスを与えるのである。
こうして、サバンナの思い出に焦がれながらシマウマは動物園での短い余生を過ごすことになるのである。
シマウマとして生まれるのが幸せか、インパラとして生まれるのが幸せか、(地球上どこであろうが野生動物とはいえ人類文明の影響を受けざるを得ない)現代にあっては難しい問題である。
※シマウマは写真のように、互いに相手の後方を見張るような形で休憩していることが多い。
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