インド総選挙によせて

 インド下院の選挙が終わった。
 与党優位は揺らぎがたいと見なされていたが、開けてみれば与野党逆転である。
 インド政局について述べたので、そのフォローアップもかねてそのあたりについて雑感を述べてみる。
 …と思ったらエライ長くなった。


1)インドの選挙は難しい

 インド下院(Lok Sabha)の総選挙が終了した。5年の任期を満了しての総選挙である。この間、ヒンドゥ右派政党BJPを中心とする与党連合「国民民主連合」の支持するヴァジパイ首相が一貫して国政を司ってきた。インド国民会議派以外の政権が5年持ったのは、たぶん独立以後初めてのことである。
 好調の経済指標と、首相ヴァジパイの個人的人気を反映して、選挙はBJPの勝利に終わると思われてきた。また、昨年末に各地の地方選が行われ、そこでの結果もおおむねそれを予想させるものであった。ところが、結果は与党連合が90議席を減らし、かわりに野党国民会議派とその連立政党が66議席、その他の政党が24議席を増やし、与党の大敗北に終わっている(特に共産党二派を中心とする左派連合に属する議員は60を超え、これも独立以降最多である)。
 とは言え、国民会議派グループも過半数(270議席)には遠く届かない217議席に過ぎず、また BJPと会議派をそれぞれ単独で比較すれば、138議席と145議席に過ぎない。インド政局の慣例から、カラム大統領はおそらく懐疑派総裁ソニア・ガンジーをこのまま次期政権首班に任命すると思われるが、長期政権は難しいかもしれない。
 ともあれ、今回の敗北は突然のものではあったが、原因が分析できないわけではない。好調な経済に気をよくしたBJPは「2020年には先進国の仲間入り」というスローガンで選挙戦を戦ったが、所詮構造改革による「好調な経済」とは人口の1〜2割を益するものに過ぎず、BJPのスローガンは生活は苦しくなる一方の、大半の庶民の怒りを買ったと言われている。実際、前回の選挙では伝統的な価値観やガンジー以来の伝統である自給自足といった政策を打ち出して勝利したBJPの支持基盤は、本来そういった「経済成長に取り残された庶民層」であったわけである。BJPの支持母体になっているヒンドゥ教徒の団体VHPやRSSなどの集会でも、こういった実際の政策と思想のかい離は問題になっていたという。
 いくつかの州で同時に州議会選挙も行われたが、インド経済を引っ張るITの中心都市バンガロールとハイデラバードを抱えるカルナータカとアンドラ・プラデシュでも与党が敗北している。後者はBJPよりだが、前者は会議派の政権であった。宗教問題ではなく、経済政策が批判の対象であることはほぼ明らかであろう。
 また、ヴァジパイの個人的人気は未だに高いが、すでに高齢であり、二期目の五年を満了することは難しいと思われていた。すると、BJPも後継者という意味では心もとないという事情もあった。ナンバー2とされるラル・クリシュナ・アドヴァニは自他共に認めるタカ派であり、彼の就任は国内の宗教対立やパキスタンとの関係を悪化させるという懸念がもたれていた。しかし、アドヴァニ以外に党内をまとめられる人物も見当たらないのが実情でもあった。


2)誰がグローバリゼーションに抗することができるか?

 ところが、では穏健社会主義政党であった国民会議派に政権が戻されたとして、庶民が納得するような経済政策が採用されるか、というのも難しいところである。今回の選挙は、1995年の総選挙と、ちょうど対称の構造になっている。というのも、このときは90年から政権をとって、湾岸戦争などに起因する経済危機を救い、インドを経済大国にのし上げた会議派のナラシマ・ラオ政権が任期を満了して信を問われた選挙だったからである。そして、今回とほぼ同じように、経済成長から取り残された庶民の批判票によって、会議派は政権与党の地位を追われた。そして躍進した BJPと、原理主義勢力の躍進に危機感を覚えた左派連合の間で激しい攻防が起こり、会議派の閣外協力などにより社会主義政党を中心とする政権が作られたが、超少数与党だったため政局は安定せず、次々と首相の顔がすげ変わったすえに、現在のBJPによるヴァジパイ政権が誕生した、という経緯がある。今後、BJPと会議派が役を取り換えただけの、まったく同じストーリーが展開されるという可能性も強いのである。
 すでに述べた通り、会議派以上に、BJPは国内の多数派である貧困層を支持基盤としている。また、ヴァジパイ政権はWTO(世界貿易機構)の交渉においても、南ア、ルラ労働党政権に率いられたブラジルと組んで、第三世界の利害を体現するG3を結成するなど、それなりの独自路線は維持しようとしてきたことは評価できる。これが、政策的には寄せ集め、といわれる会議派と、指導力にはかねてから疑問の残るソニア・ガンジーで何か変えられるのか、という疑念は強い。
 西ベンガル州と並んでインド共産党の牙城の一つである南インドのケララ州は独自の経済路線で世界的に知られている。インドの中では比較的小さな州ではあるが、面積4万平方キロメートルの中に、3,200万人が住んでいる。これは要するに、関東地方とあまり変わらない条件である。ケララの平均GDPもインドの平均を大きく割り込み、所謂最貧国レベルである(またその殆どは湾岸地域を中心とした国外への出稼ぎによって獲得される)。ところが、この地域は長く「社会開発の奇跡」と言われてきた。というのも、前述の悪条件にも関わらず、乳幼児死亡率は先進国に迫るほど低く押さえられ、貧困率(平均世帯所得の50%以下にいる人)もインドの中で極めて低いからである。この原因として、90パーセントを超える極めて高い識字率や女性の地位の高さなどが挙げられている。しかし、究極的には住民自治を中心とした、様々な政治的実験が行われ、また民衆もそれによく答えたということである。
 そして、こうしたことが可能になったのは、インドという地方自治に比較的大きな権限が与えられた大国の中で、(天然資源などの豊富な地域ではあるものの)比較的経済的な重要度が小さく、直接アメリカと対決しなくて済んだというところが無視できないだろう。60年代から冷戦終了までの間、スカルノ、ンクルマ、アジェンデら独自の権限を行使しようとした世界各地の指導者はおおむねすべてその足をアメリカ合衆国によってすくわれてきた。現在、たとえばブラジルに誕生したルラ労働者党政権をアメリカが軍事介入や諜報活動によって転覆させるということは難しくなっている(しかし、ヴェネズエラでは現在もそうした活動が行われている可能性が高い)。しかしながら、一方でルラ政権の側も、WTO体制を始めとする多国間主義の網の目の中で、勝手な経済政策を採ることができなくなっているのも事実である。
 したがって、今回会議派が政権をとったとして、またそこに左派連合の全部ないし一部が加わったとしても、大きな経済政策の変更があるとは期待できない。


3)とは言っても議論があるのはいいことだ

 余談ではあるが、もともとイタリア人で、故ラジヴ・ガンジーの妻だったということから会議派のリーダーを勤めているソニア・ガンジーの国民的人気はあまり高くない。しかし、今回国民の注目を集めていたのは、出馬は見合わせたもののソニアのそばに付き従って遊説をこなした娘のプリヤンカである。初代首相ジャワハルラル・ネルーから数えて4代目に当たるプリヤンカは、将来の首相候補として国民の人気と期待を一身に集めている。結局地縁血縁か、と思いきや、ソニアの長男ラフルは今回出馬したにも関わらず、控えめな性格が幸いして殆ど注目を集めていない。新聞などがインタビューするのも、押しが強くて弁の立つプリヤンカである。プリヤンカが祖母インディラにうり二つと言われているのも大きいかもしれない(正直、そんなに似ているともおもわないんだけど…)。まぁ、なんにせよ、インドでは貴種であろうと押しが強くて弁が立たないと相手にされないのである。
 こういう土壌であるから、民主制というものには大変な誇りを持っている。なにしろ、有権者7億人が参加する「世界最大の民主制」なのである(というか、7億人が参加するイベントって、他にあるだろうか?)。また、毎回ヒートアップする選挙戦は、数百人の死者を出すことも屡々である。今回、犠牲者は二ケタに留まったようなので、比較的平和に済んだといえよう(インドの民主制も徐々に成熟してきているのだと見ることもできよう)。
 こういった土壌であるから、人々も真剣に投票するし、その結果として今回のようなビックリもあり得る。インド亜大陸の南端からヒマラヤの奥地まで文化も言語も宗教も様々な人々が済む3000キロを、どう情報が伝わって「政権交代」をもたらすような結果を導き出すのか、想像もしがたい。しかしながら、こういったレスポンスの良さが、インドの政治状況に一定の緊張感を与えていることは確かであろう。「与党にいれておけばとりあえず安泰」型の日本の選挙との差を思わずにはいられない(どちらも「農耕文化」のはずなんだが…)。
 ヴァジパイはインド国営放送(ドゥールダルシャン)に、、「人々の意志によって政府はつくられ、変えられるのが常である。この民主制は、人々が常に大事に育て、保護しなければいけない国家の矜持の問題であった。私の党と連合は敗北したが、インドは勝利したのである」という趣旨のことを述べたという。
 http://www.hindu.com/2004/05/14/stories/2004051409760100.htm
 なかなかいろいろな意味に取れる、意味深なコメントである。清貧で知られ、インドの政治家たちが大好きな、支持者を集めた豪華誕生パーティ(bash)も開かないというヴァジパイ自信が、最近のBJPの方向性に批判的だったとも取れる言葉である(もちろん、その清貧さの陰には、つい二年前にナレンドラ・モディの画策によるイスラム教徒虐殺を黙認したヒンドゥ原理主義者の顔が隠れていることも忘れてはならないが…)。まぁ、善かれ悪しかれ会議派のみが担ってきたという印象も受けるインド政局に対して風穴を開けた大物政治家だけのことはあるな、と素直に思うのである。
 いずれにせよ、今後G3を中心にアメリカとは一線を画した政策を採用するという意味では、この選挙結果は国際社会においてインドがこれまで取ってきた方向性を後押しする力になると見えなくもない。各国とも国際貿易における思いきった措置を互いに求めていきたいのは当然であるが、それによって国内政治が不安定になってしまっては元も子もないので、インドのように選挙に世論がちゃんと反映する国には強く出づらいという側面は指摘できるだろう。
 また、グジャラートやマハラシュトラといったヒンドゥ主義勢力が力を強めていた地域でもBJPの勢力が大きく削がれたことで、この地域での宗教対立に一定の歯止めがかかることも期待できよう。すでに述べた通り、先のグジャラートでのイスラム教徒に対する虐殺事件は、州知事ナレンドラ・モディが黒幕と言われていたが、うやむやのままになっている。こういった問題についての調査が再開されることも期待できるかもしれない。
 もちろんインドは貧困や汚職といった社会問題の宝庫であるが、この、国内レベルのちゃんとした政治論争が国際レベルで自国に与えるパワーという部分と、政権交代によって国内の風通しがよくなるという二点についていえば、日本社会に生きるものとして大変うらやましく思うのである。

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このページは、かすががMay 15, 2004 1:37 AMに書いたブログ記事です。

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