エゴグローバリゼーションって呼び方はどうだろう
「グローバリゼーション」「反グローバリゼーション」という言葉は扱いづらい。
常識で考えれば、国境という障壁抜きに人間同士が交流できるのはいいことに決まっているからだ。
だから、とりあえず「反グローバリゼーション」という言葉は「オルタグローバリゼーション」(もう一つのグローバリゼーション」)という言葉で置き換える動きが進んでいる。
しかし、それでも「じゃ、その、もう一つのほうじゃないグローバリゼーションはどういけないの?」というのが問題。
「新自由主義的グローバリゼーション」という言い方もあるが、ちょっとキャッチフレーズに使うには冗長なのが難点。
それに「自由主義」は別にわるいことではないので(日本ではあまり自由主義的でない政党が長いこと名前に使っているので、手アカがついているが…)、経済学的な「新自由主義」という用語を知らない人にはやや理解しづらいのが難点。
で、ふと思いついたのだが、エゴグローバリゼーションってのはどうだろう?
ちょうどラテン語でオルタとエゴが対義語だし、まぁ、「エゴ丸出し」みたいな言い方は「新自由主義」の理解の仕方としてそう間違っているわけではない。
…ちょっと思いつきですが、このブログ、1エントリーあたりの文字数が多すぎる気がするので、たまには簡潔に書いてみました。
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