メーダ・パトカル、中央政府には一勝。「インドのヒットラー」との対決へ?

 インドの聖河の一つ、ナルマダ川の総合ダム開発計画は、世界的な関心を集める環境問題の一つであるが、ここ数週間大きな動きを見せているので、ちょっとまとめてみる。
 発端となっているのが、開発計画中最大級のダムであるサルダール・サロバール・ダムの高さを111メーターから122メーターまでかさ上げしようと言うNCA(Narmada Control Authority ナルマダ管理当局)の決定であり、それに対して反対派のリーダーであるメーダ・パトカルが首都ニューデリーで無期限のハンガー・ストライキに入ったことである。

 4月上旬の一週間、たまたまインドに滞在していたのだが、テレビは連日メーダの容態を伝え、また反対派のスポークス・パーソンである作家アルンダティ・ロイと政府高官の討論を伝えていた(インドは未だ「文化人(インテレクチュアル)の権威」とでもいうものが生きている世界であり、英文学最高の賞の一つと見なされるブッカー賞を 『小さきものたちの神』で受賞した急進左派の作家の影響力は非常に大きく、インドで人気の政治討論番組でも頻繁に彼女の姿を見る)。

 もともとインド(及びインド国政を担い続けてきた伝統与党国民会議派)の内部には建国以来、近代技術の拙速な導入を批判し続けた国父ガンジーの「スワラジ・スワデシ」思想と、そのガンジーの顔を立てつつも穏健社会主義者として科学主義的な開発路線を歩む初代首相ネルーの近代主義という二つの思想潮流の間の緊張が存在する。
 インド人が女神と考えるナルマダ川を大小数千のダムで寸断する計画はもちろん、ダムをインドにとって「20世紀の神殿」と位置づけたネルーの陣営に属するプロジェクトである。
 一方、現政権与党に対しては閣外協力の位置にあるインド共産党二派は近年、世界社会フォーラムをホストするなど反グローバル運動への肩入れを強めていることもあり、貧困層の権益保護の立場からダムの建設には批判的である。

 また、昨年の総選挙までインド国政を支配した野党第一党BJP(バーラタ人民党)はヒンドゥ復古主義を掲げる右派政党であるが、情報科学やバイオを中心とした科学技術の発展には非常に意欲的で、ダムの建設も支持している。
 この伝統主義と先端科学の結託という事象は、極めて現代的な「よじれ」現象に見えるが、会議派系の知識人として著名なアシス・ナンディなどはガンジーを暗殺したヒンドゥ主義団体RSS(BJPの有力な支持団体でもある)メンバーが、ガンジーが近代技術の導入に批判的であったことも暗殺の理由に挙げていることをあげ、「伝統主義」そのものが極めて近代主義的な態度なのであると指摘している。

 BJPがナルマダ・ダム計画に積極的なのは、ダムから大きな恩恵を受けるであろう州の一つであるグジャラートの州首相がBJPの重鎮の一人であるナレンドラ・モディであることも大きいであろう。
 グジャラートはインドの中では比較的、経済的に恵まれた州であるが、それだけにグローバル化の影響も大きく、ヒンドゥ・ムスリムの対立を中心とした社会的緊張も大きい。
 そんな中で、2002年にはムスリムに大規模な犠牲者を出したグジャラート動乱があった。
 この問題についてはインドで裁判が継続中であるが、グジャラート当局がムスリム虐殺に組織的に手を貸したという可能性が大きいとされている(まことしやかな噂によれば、暴動勃発当時、州政府の幹部を集めてのパーティの真っ最中だったモディは警察幹部に「ヒンドゥ教徒の便宜を図るように」要請。それを拒否した幹部数人がその場で解任された、という。)。

 いずれにしてもモディがこの社会不安に乗じて選挙で票を伸ばし、グジャラートにおけるBJPの支配体制を盤石なものにしたことは否定できない。
 このため、モディは現在「インドのヒトラー」とも呼ばれている(ナチスが国会議事堂放火事件や「水晶の夜」で危機を煽り、共産主義者やユダヤ教徒を社会的な「敵」として顕在化させ、その社会不安に乗じて政権基盤を強化していったことになぞらえている)。

 一方、ナルマダ川上流部に広がり、ダムによって最も広い面積が水没するマディヤ・プラデシュ州には工業用水や電力の供給はあまり割り当てられておらず、ダムからの恩恵にはほとんど預かれない。
 M.P.州はアデヴァシと呼ばれる先住民(ヒンドゥ化しておらず、識字率も低い)の人口も多く、下流のグジャラートや(インド最大の都市ムンバイを抱える)マハラシュトラに比べると経済的にも後進的な地域とされている。
 このため、開発を巡る論争でも発言力は大きいものではなかった。

 この部分を埋め、M.P.を中心として開発の犠牲になった先住民たちの声を代弁する活動を続けてきたのがメーダ・パトカル率いるNBA(Narmada Bachao Andolan/ ナルマダ川の友)であることは疑いがない。
 イギリス統治に抵抗した独立運動家(フリーダム・ファイター)を父に持ち、社会活動家として名高いメーダと、国際的にも著名なアルンダティのコンビの活動はインド国内でも幅広い支持を集めており、今回のハンストもインド映画界三大スターの一人アミル・カーンなど、数多くの著名人が支持を表明している。

 政府は基本的にこの運動に押し込まれ続けており、1990年代初頭には、世界銀行も世論に押される形で独立の調査委員会を発足させている。
 国連開発計画の元代表であるBradley Morseが議長を務めたこの委員会は、開発計画の環境アセスメントがずさんであり、また水没地域の住民への代替地提供計画がまったく不十分であることを表明。
 この結果、世界銀行はナルマダ・ダム計画からの撤退を余儀なくされた(その後も我が国がこのダム計画への出資を続けてたことは、日本人としてはちょっと困った事態である)。

 今回のハンストについても、初戦はメーダの勝利という形で推移している。
 ハンガー・ストライキを自殺に当たるとしてデリー警察はメーダを逮捕、病院に収容したが、メーダはそこでもハンストを続行。
 その後、連邦政府と各州の協議がもたれ、マンモーハン・シン連邦首相の意向もあってサルダール・サロバール・ダムのかさ上げ計画は白紙撤回され、政府はメーダ・パトカルにハンストを解くように呼びかけた。
 興味深いことに、クリーンな合理主義者として国際社会の高い信頼を得ているマンモーハン・シン連邦首相自信は、利権政治で悪名高い国民会議派一般の議員たちと違い、公共事業全般には批判的であり、ナルマダ・ダムにも熱心ではない。
 また、国民会議派総裁ソニア・ガンジーもメーダに同情的であり、このあたりの政治情勢がメーダの勝利を後押ししていることは疑いがない。

 日本の社会運動であれば、このあたりで「お騒がせしました」といっていったん退くところだろうが、さすが「自己主張の国」インドというべきだろうか、メーダ・パトカルはダムの高さを90メーターとした最高裁判決を遵守することを確約するように政府に迫り、ハンストの続行を宣言している。
 一方で、ダム推進派も活動を活発化させ、グジャラート州議会の国民会議派はマンモーハンがダム建設を保証することを求めてゼネストを組織(その後、州議会会議派リーダーはマンモーハンが建設を保証したとしてこれを撤回するが、連邦内閣府は何らかの結論が出たという事実を否定。事態は混乱している)、BJP総裁のアドヴァニも首相にダム建設を強く要請、ナレンドラ・モディはメーダに対抗して51時間のハンストを宣言し、BJP支持派の暴徒がNBAの事務所とアミル・カーンの作品を上映中の映画館を襲撃している 。

 そんなわけで、最終的な予算執行権限を持つ連邦首相の態度は極めて流動的で、ハンスト第二ラウンドはメーダ対ナレンドラ・モディの連邦に対する圧力合戦という様相を見せ始めている。
 また、アルンダティはエッセイ集『帝国を壊すために』でもモディの政治手法を批判していたが、ここは民族対立を煽る恐怖政治と、多様性の元での共存を主張するオルタナティヴ・グローバリゼーション勢力のどちらがインドにおいて幅広い支持を集めるか、という直接対立の機会としても興味深い。

 続き:「メーダ・パトカル、ハンストを終了。闘争は最高裁へ」

参考記事:
 Dam protester's health gets worse
 Aamir lends support to Narmada campaign
 Guj: PM assures Congressmen; bandh called off
 Modi does a mini-Medha: Centre flip-flop on Narmada dam
 PM asks Soz to retract dam statement
 Soz suspends raising of height of Sardar Sarovar dam
 End Narmada dam stalemate, Advani tells PM
 Left leaders meet PM over Narmada Dam issue
 "Now, it's Modi vs Medha Patkar!"

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このページは、かすががApril 17, 2006 2:29 AMに書いたブログ記事です。

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