ケララ 消えゆく夢の国か?


Originally uploaded by skasuga.

 今回、10日程度ですが、南インド4州の一つ、ケララ州を訪ねてきました。
 主要な目的は水問題についての調査なのですが、その中でケララ全体についても当然、ある程度は目に入ってきたというのもありますので、そのあたりを含めてご報告します。
 たぶん、調子がよければ3回シリーズぐらいで…



 「椰子の国」を意味するケララは、その名の通り南国情緒溢れる風光明媚な観光地であり、ゴアほど有名ではありませんが、南端近くのコヴァーラム・ビーチなどは海外からも多くの観光客を集めてきた。
 しかし、それ以上にケララは、いくつかの点で特別な地域として知られている。
 自然科学者であれば、異常に高い放射線値を示す海岸線が思い浮かぶかも知れないし、歴史学者はバスコ・ダ・ガマがたどり着いた地として記憶しているかもしれない。
 あるいは、原始キリスト教時代に聖トマスによって布教が開始されたという、長いキリスト教の歴史を思い出すかもしれない(ケララはポルトガルの支配下にあったこともあり、現在でもヒンドゥ、クリスチャン、ムスリムが混在する社会であるが、北インドで一般的になってきた深刻な宗教対立は見られず、人々は平和に共存している。…とりあえず今のところは)。

 それ以上にケララの名を有名にしているのが、「社会開発の奇跡」とも呼ばれる、生活指標の高さである。
 90年代初頭の一人あたりGDPといった経済指標を見れば、ケララはインドのなかでも低開発といってよい部類に入っていた(現在はケララを含む南インド4州はIT技術を中心とした経済成長のまっただ中にあり、ケララもインド平均よりも高いGDP を記録している)。
 しかし、その一方で乳児死亡率、平均余命、出生率などは先進国並みの数値を記録しており、開発研究者の間では「社会開発の奇跡」として知られていた。
 実際、すこし町を歩いただけでも、インドの他の都市と違って物乞いをする人が殆ど見られず、人々の生活レベルも高い。
 この背景にはいくつかの事情があると考えられているが、もっとも重要なものはインドの平均値の倍以上である90パーセントを超える高い識字率と、州政府による分権化への強い熱意である。

 ケララは西ベンガルと並んで、CPIM(インド共産党マルクス主義派)の牙城の一つとして知られており、1950年代にはインドで初めて普通選挙によって共産党による州政権が誕生した地でもある。
 ただ、チャンドラ・ボースら名だたる独立の英雄を生んだ西ベンガルの共産党と違い、ケララのCPIMは個人の強いリーダーシップが確立されるのを回避する傾向にある。
 州の有権者の多くは、ケララのアイディンティティがCPIMと密接に結びついていることを認めつつも、CPIMが長期政権を維持することは許さなかった。
 実際、ここ20年ほどのケララの政治は、インド中央政府の伝統与党であるインド国民会議派を中心とした中道左派連合であるUDF(連合民主戦線)とCPIMを中心としたLDF(左派民主戦線)による二大政党制の様相を示している。

 4月上旬にケララを訪れたときは折しも5年ぶりの州議会選挙が始まっていたが、誰の口からも前回大敗したCPIMが政権に復帰することを疑う科白は聞かれなかった。
 州民の高い信頼にCPIMの側もよく答えたと言うべきか、ケララのCPIMはレーニンの影響下にあった全世界の共産主義政党のテーゼの一つである「民主集中」(Democratic Centralization)の反対の、Democratic Decentralization(民主<脱>集中、とでも訳せよう)と呼ばれる政策を中心とする、オルタナティヴ開発路線の政策を推し進めてきた(一方、国民会議派政権の時代には経済成長を目的とする政策が進められ、めまぐるしく交代する政権の間で、政策のバランスが図られているように見える)。
 具体的には、州予算の40パーセントを、パンチャヤットと呼ばれる村落議会にゆだねる、という政策があげられる。
 この結果、学校や病院といった社会インフラが極めて発達しており、高い識字率と就学率を記録するという現在のケララ社会ができあがったと言ってよい。

 もう一つ、村落開発の現場レベルで高い識字率を支えてきたのが、1962年に設立されたKSSP(Kerala Sastra Sahithya Parishad / Kerala Science Literature Association)である。
 左派の科学者や科学ジャーナリストを中心に設立されたこの団体の主要な役割は、科学の普及であり、現在では4万人の会員と200の支部を持ち、(マラヤラム語で)3種類の雑誌と800を超える書籍を出版している、ケララ最大の民衆運動の一つとなっている。
 また、全インド民衆科学運動(All Iindia People's Science Network)という識字運動ネットワークがあるが、KSSPはこの中核を担う団体として知られている。
 基本的には「前衛知識人」に主導された運動であったが、教条主義的な進歩主義とは無縁であり、70年代にはタミル州との州境であるSilence Valley(静寂の谷)に計画された巨大ダム計画への反対運動に関わったことから、運動の中心をオルタナティヴ開発に移していく。

 またここでも特別著名な知識人指導者というのが見られないというのも脱中心化の国ケララの特徴であるといえる。
 E.M.S.ナンブーディリパッドやP.M.パラメシュワランといった人物が海外でも知られるが、彼らの思想とリーダーシップがインドの他の地域での社会運動の社会運動のリーダー(例えばヴァンダナ・シヴァやアニル・アガルワル)のようにKSSPの活動の根幹を支えているというわけではないように見える。

 まとめれば、ケララの成功の原因として

1)全世界の共産主義者を支配した思想に逆らって、民衆を信頼し「民主脱集中」を推し進めた共産党
2)左派的な理想を信じつつも柔軟かつ民主的に方針や戦略を変化させる「前衛」知識人/科学者の団体KSSP
3)これらに信頼を寄せつつも選挙に際しては厳しく挑み、自らが手綱を握っている状態を維持してきた、バランス感覚ある有権者

 の存在があげられるだろう。

 しかし、インドで唯一、全州が熱帯性気候に区分されるケララであるが、椰子の生い茂る水辺の楽園のイメージとは逆に、生活環境としては多くの困難を抱えている。
 人口密度が高いことに加えて、岩盤が固いため耕作可能面積は多くなく、農業の多くをココナッツやコーヒーといったプランテーション作物に依存しており、国際的な農産物価格の下落は長くケララを苦しめるものとなっている。
 また、主要産業と呼べるものがなく、外貨収入は湾岸諸国への出稼ぎに依存している。
 他の南インド諸州同様、IT産業の振興は著しいが、これは一方で貧富の格差の拡大につながっており、特に食料の多くを州外からの「輸入」に頼っているケララとしては、平均的な生活レベルの維持という点では大きな脅威になっている。
 隣国タミル・ナードゥ州からの経済難民の流入も、ケララの識字率と平等性にとっては大きな問題となっている。

 人口増加や開発による環境破壊(例えば、KSSPのアッチュタン博士によれば、建設ラッシュのため、川底の砂が取られすぎていることが乾期の水不足を呼んでいるという)といった問題を抱え、ケララの今後は予断を許さない。

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コメント(1)

tu-ta :

> 調子がよければ3回シリーズぐらいで…

続きを待っています。(笑)

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このページは、かすががMay 1, 2006 11:06 PMに書いたブログ記事です。

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