G8対抗オルタナティヴ・フォーラムの思い出: 人間は35時間以上働いてはいけない、か?


 くだんのデモで逮捕された人々も釈放されたと報告があり、8月2日には「G8サミットを問う連絡会北海道行動報告集会」(@文京区民センター)も開催されると言うことで、一応G8騒ぎも収束の方向といっていいと思う。
 G8に対する対抗アクションを評価する際、もちろん意思表明は重要なのだが、それ以上にサミットやWTO閣僚級会議などにかこつけて、世界の各地から問題を抱えている人々(やそのエージェントとしての社会運動体)が集まってきて、情報交換や意見交換が行われることも重要なのだと考えたい。
 ちなみに、最近はそういうイベントを「オルタナティヴ・フォーラム」とか「オルタナティヴ・サミット」などと呼ぶ。もちろん「サミット(頂上)」ではなくむしろ平原であるべきなので、私は前者の呼び方のほうが好きである。
 そういうなかで今回もいくつか、私にとって大変参考になる、貴重な出会いがあったと思っている。

 中でも興味深かったのは、ATTACフランスからやってきたのは初老の男女二人(たぶんカップル??)である。彼らは、背広の人間が夜の10時にオフィスビルからはき出されるのに驚き、ちょっと怒っていた。
 曰く、「人間にとって自由がなにより大事だ。しかし、知識の伴わない自由は奴隷状態となんら変わりない。だから人間は週35時間以上働いてはいけない。例えば私はすでに退職しているが、彼女は今、公的な職業教育機関で働いている。もし彼女が残業に次ぐ残業で疲れてしまっていたら、仕事が終わった後に世界情勢についての本を読んだり、休暇を取ってこうやって他の国の人々と議論したりする余裕はなくなるだろう」

 一応あとで、「でも、アメリカや日本の偉い人たちは、もし労働者を35時間しか働かせなかったら、残りの時間を無駄な遊びに使うだけだろうと思っているし、たぶんフランスでもサルコジやその支持者がそう思い始めているんじゃないですか?」と聞いてみたところ、ある漁業組合での取り組みの事例を教えてくれそうだったのだが、諸般の事情でタイムアウト。また今度聞いてみたい。

 また、社会運動についても次のように論じていた。
「本当は一番だいじな社会運動は、5〜6人のサークルを作って、毎週社会的な問題について勉強会を開くことだ。そうして、その成果をあつめてパンフレットのようなものを作って配る。今はインターネットもあるし、そういったことは私の若い頃よりも簡単にできるようになった。そういったパンフレットを読んだ友人たちも、また5〜6人のサークルを作り始めるだろう。そうやって普通の人々の知識が向上し、それが選挙に反映されることが大事なのだ。トップダウンで市民を動員したり、政治家に直接影響を働かせようとするのは、純正な市民運動ではない。」

 ちなみに、彼らは今回我々が準備していた声明文にも批判的で、口々に「こういった政治イベントはライムライトのようなもので、そこに注目することでかえって真の問題を隠してしまう」「グラムシが解明したヘゲモニー構造に、社会運動体がいまだにまんまとのってしまうのは嘆かわしいことだ」「我々はもっと、未来に目を向けて生産的な提案に努めるべきだ」と主張していた。

 故ピエール・ブルデューが『市場独裁主義批判』という本の中で「国家の右手と左手」という概念を提示してたことがある。
 右手というのは政治家や高級官僚のこと(そして彼らの中枢はエナルクと呼ばれるENA/国立行政学院の修了者で占められている)で、彼らが自分たちのサークルの利益のために規制緩和などの政策を推し進める一方、医療、福祉、初等中等教育に携わる地方の下層公務員たちが疲弊していく、というギャップを表現した概念である。
 そういう意味では、今回 ATTACフランスから参加してくれた二人は、まさにブルデューのいう「左手」なのであろう。
 正直な話、(上から下まで、公務員スキャンダルが続く)日本の状況では「右手」と「左手」の区別は相対的なものでしかないという印象しか受けないが、フランスではまさにこういった人々が「共和国」の誇りと底力みたいなものを守っているのかもしれない。

 もちろん、例えばムンバイやナイロビのスラムを見てしまえば、「知識の伴わない自由は奴隷状態となんら変わりない」という彼らの素朴なユマニスム信仰を鼻持ちならないヨーロッパ中心主義と退けたくなる気分になるのも事実ではある。
 例えば、日本のそれなりにカネも知識もあるサラリーマンが「奴隷の状態に甘んじている」ということに関しては、彼らにも批判されるべき点がないわけではないかもしれない。
 しかし、世界各地のスラムには、その日ぐらしの労働者や物乞いがあふれているのであり、彼らが恐怖や無力感から逃れるために、その日の多くのない稼ぎの大半を酒に費やしてしまったとして、それが非難できることであろうか?
 また、そういった人々にとってタバコは重要なコミュニケーションの手段(タバコの貸し借りによって一種のコミュニティができあがったりする)であることは想像に難くないが、彼らの収入からすれば極めて高価であるにも関わらず、ほとんど交換以外の価値がない(おそらく有害ですらある)ものに資金を投資することを責められるだろうか?
  では、同様に先進国の金持ちたちが同様の目的のためにダイヤモンドやワインにお金をつぎ込むのは正しいことだろうか?
 また、それらは北米インディアンのポトラッチ(Wikipediaにリンクしようと思ったら項目がない!!)とどのように違うのだろうか?
 こう考えると、経済とは確かに啓蒙主義だけで割り切れるものではないのではないか、という気がするわけである(もちろん、新古典派的合理性ではなお割り切れない、というところはこのフランス人たちに異論はないわけであるが…)。 

 ちなみにATTAC北海道の若い女性が「フランスの公務員ってすごいですね。日本の福祉関係者なんかも、がんばっているのはわかるんですけど、根本的な問題には目を向けないという感じがして、そこがちょっと残念なんですよね」と主張していた。
 まぁ、まさにフランス人の主張するとおり、「週 80時間働かされたら勉強する暇なんかない」ということなんでしょうけどね…。

 
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このページは、かすががJuly 21, 2008 1:03 AMに書いたブログ記事です。

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