ロースクール問題に見る無責任ニッポン!?

 ロースクールについての朝日の記事。「法科大学院生にも狭き門 新司法試験、一発合格は34%」と報じており、ウェブ上でも大きな反響を呼んでいますね。


記事曰く

 素案と、現在の法科大学院の定員に基づく同省の試算によると、新司法試験の合格率は初年度34%(受験者2346人)、07年度22%(同7387人)、08年度20%でその後も2割程度で推移する。これらは、修了できずに新試験を受けられない学生が続出したり、法科大学院の定員減で受験者が減る可能性は考慮していないが、07年度以降は複数回の受験者も予測して計算している。
 法務省が、初年度の新試験と現行試験の合格枠を同数としたのは、(1)2年制修了者のみが受ける初年度だけ合格率が極端に上がることを避ける(2)法科大学院に行かず、現行試験を選択した学生の質は高いと判断した−−などの理由からだ。

 判ったような判んないような話ですね。しかし、さすが秘密主義で悪名高い法務省、司法試験委員会のページに笑ってしまうほど情報がないのでこれ以上議論を追えない。
 そもそも「相対評価なのかっ?」てのが疑問ですが、そこは置くとしましょう。(1)の理由に関して言えば、三年制の受験者が加わる来年度からの合格率を7〜8割にすれば筋が通らなくもないわけですが、来年以降も合格率二割程度で推移させる予定とのこと。本来問題はそちらなので、記事の見出しはこの2割のほうを強調すべきでしょうね。結局、当初全国で10校前後と言われていた法科大学院を造り過ぎたってことでしょうね。合格率7〜8割という数字が規定事項で、合格者のほうがそれに合わせて延び縮みするものだと思っていたのですが(たぶん、政府中枢に近いごく少数を除いては教員ですらもそう思っていたのではないか?)。いずれにしても、政府の朝令暮改に問題があるのか(そういえば21世紀CEOも「入れ替え製」だったはずなのに予算が付いたから、みたいな理由でジリジリ増えているし)、大学側の横並び意識に問題があるのか…。
 この問題に関しては、『★J憲法&少年A★』の「新司法試験の合格率は2割程度」と『法と常識の狭間で考えよう』の「ロースクールは生き残れるか?」あたりがまとまっているので読むといいでしょう。
 あとネットでもロースクールの学生のものとおぼしきBlogを中心に怨嗟の声があがっています(多くが半分諦め切っている感じなのが逆に社会制度の疲弊を物語っているような気がします)。7〜8割という詐欺的宣伝を信じて馬鹿高い授業料を払わされ、人によっては仕事までやめて、飯の種にもならない専門職学位だけ貰ってハイさようなら、では洒落にならない。個々の人生があるということをまったく見ていない昨今の「教育改革」の典型例ではありますが。
 今の日本社会だとこれも政府の甘言を信じた馬鹿の「自己責任」ってことになるのかもしれませんが、働き盛りの人が2〜3年間、その時間を(広い意味での)生産的な活動じゃなくて「生産的な活動をするための能力取得」のために使わせておいて、その能力を後日有効活用できない状況に置いてしまう「社会的損失」の責任を誰がとるのか、ってことを考えないと法科に限らず大学院は上手く機能しないんですね。だから、逆に言えば資格を取得できなくても卒業というステータスで任せられる仕事が増えてくれば問題はだいぶ解消されるとも言えますね。準弁護士的な資格を導入するのも一考です。もうちょっと単純に数字に置き換えれば、学生たちが合格率8割に600万(年額200万が三年分)払って、それが合格率2割なったんだったら、学生にとっての価値は単純計算150万円ぐらいになったってことなわけじゃないですか。のこりの450万をなんらかの形で(奨学金の給付でも、新しい職業の設立でもいいんですが)返してあげないと、それこそモラルハザードですよ(すでに一般の大学院はモラルハザードっぽいところありますから、政府はそれで気にしないのかもしれませんけどね)。
 いずれにしても、常々主張しているように、日本ではそこがコンセンサスになっていないことが最大の問題だと思うのです。アメリカにおけるヴェンチャーとかNPOとか、そしてある意味では大学院もそうなんですが、こういう仕組みは「物好きに好き勝手やらせる」ためのものじゃなくて、「社会に有益そうなことのためにリスクをとる人のリスクを分散してやる」ための装置なんだよね。そのへんの「リスクを取る人は社会の迷惑」というメンタリティから「リスクを取る人を社会的にサポートしよう」というメンタリティに転換しないと、ここはどうにもならないでしょうね。

 …どうも新聞記事に反応するとダラダラと長くて取り留めのない議論になる。反省します。

トラックバック(1)

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コメント(7)

 トラックバックありがとうございました。
 記事を興味深く拝見しました。

 確かに、ロースクールを卒業したけれども新司法試験に合格できなかった人のための進路を確保してあげておくというのは大事なのことですし、制度設計においてはそこまで考慮しておくことが必要だと思います。

かすが(管理人) :

ビートニクスさま
 勝手にトラックバック送り付けただけなのに、わざわざご投稿ありがとうございます。

>ロースクールを卒業したけれども新司法試験に合格できなかった人のための進路を確保

 あるいはせめて学費ぶん負担を軽減するか。
 なんにせよ、多くの人がなるべくリスクを取りやすくしないと、制度そのものの意義まで死んでしまう深刻な問題だと思うのですね。

なかむら :

ロースクール問題、制度設計上の矛盾というのはそのとおりだと思うんだけれども、でも一方で、600万というお金と3年間という時間を投資できる人に対して、かなり高い確率(というか、現行制度で司法試験をうけるのに比べたら圧倒的な高さ)で合格を保証する、という根本のところはどうなのよ、という気はします。
ある意味、経済資本との相関がそれほど高くない現行制度のほうが、機会の平等を保障するという意味ではより望ましいと思うんだけれども。そう考えると、逆に、合格率がそこまで高くないというのは、結果的には悪くはないんじゃないか、とも思ったりして。
まぁ、とはいえ、3割といっても、現行制度に比較すればそれでもかなり有利だったりするんだよな。

かすが(管理人) :

なかむらさん
 コメントありがとうです。
>
>ロースクール問題、制度設計上の矛盾というのはそのとおりだと思うんだけれど
>も、でも一方で、600万というお金と3年間という時間を投資できる人に対し
>て、かなり高い確率(というか、現行制度で司法試験をうけるのに比べたら圧倒
>的な高さ)で合格を保証する、という根本のところはどうなのよ、という気はし
>ます。

 そこは、それなりにちゃんとやれば弁護士になれるというのであれば600万はかならずしもキツイ額でもないという判断があったんじゃなかったでしょうか?
 私は、もうちょっと奨学金(というのは「グローバル・スタンダード」に従って「給付されるお金」を指すことにしようや)を充実させるべきだとは思いますが。

 別件についての読売の記事にある、

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041008i416.htm
> 大学卒業後、10年間働き、600万円をためて東京都内の法科
> 大学院に入学した女性(35)は、「弁護士として女性の権利向上
>のNGO活動をするのが夢なのに、多額の借金を背負えば営利優先
> にならざるを得ない」と話す。

 って部分は問題になるからですね。

 結局、個人がよい教育を受けることは普通、回り回って社会の向上に帰するというコンセプトで大学というものが設計されるのが普通なのに、日本の政策は誰のための教育かが曖昧なところに問題があるのではないか、という気がします。

> ある意味、経済資本との相関がそれほど高くない現行制度のほうが、機会の平
>等を保障するという意味ではより望ましいと思うんだけれども。

 現行制度が「経済資本との相関がそれほど高くない」というのは事実かね?
 最後はやっぱり「ブルデュー先生の言うとおり」なのではないか?

>そう考えると、
>逆に、合格率がそこまで高くないというのは、結果的には悪くはないんじゃない
>か、とも思ったりして。
> まぁ、とはいえ、3割といっても、現行制度に比較すればそれでもかなり有利
>だったりするんだよな。

 まぁ、あとは言っていることをコロコロ変える詐欺商法の問題でしょう。
 最初から2〜3割と発表されていれば、それだけ賭けられる人しか来ないわけだから。

かすが(管理人) :

続報をこちらに載せておきました
http://d.hatena.ne.jp/skasuga/20041018#p1

鈴木敦士 :

お久しぶりです。社会的に有益なことをする人のためのリスク分散という観点興味深いですね。ブログを作ったりするのは到底私にはできませんので、まめだなーと思って感心して拝見しました。

ところで、合格率がかなり低くなると言うことは、最初から分かっていたことではあるのですよね。
というのは、ロースクール卒業後も3回までは受けられるから、最初合格率7割でも落ちた3割のうち半分以上は来年受けるからその分合格率が下がるのです。
業界では前からささやかれていたことではあります。

私が受験生時代のことを思い出してみると地方にいたこともあり全く情報がありませんでしたから、私も受験生だったら7割合格を信じたと思いますから、本当にお気の毒だなと思います。
それにしても、自分の受験時代を振り返ってみて、制度がころころ変わるのはすごくストレスであると思います。私の時はいわゆる丙案導入の最初でした。受けびかえすべきか悩みましたよ。受験している人や大学院生には結局のところ、制度がどうなっても地道に努力していれば、合格すると言うことで、あまり噂に振り回さないで努力してほしいなと思います。

ところで、一般論で言うと、資格試験なのだから、受験者が増えたら合格者が増えてもいいではないかということを言う人がいます。正論ですが、本当に資格試験にしたら、たぶん3000人も受からないと思うのです。現行制度の試験は、合格者が増えて、レベルが低下しているという実状はあります。

法科大学院は充実した教育をするからそんなことはないという批判があり得るが、そもそも、今まであまり機能していなかった大学の法学教育をほとんどかえずに、器だけ新しくしただけだから、そんな充実した教育ができるわけがありません。相当工夫しない限り、今まで学部で4年でやっていたものを(もともとそのレベルでは司法試験に受かりませんが)3年でやろうというのですから、無理があります。大学院生側からは声を挙げにくいテーマですが、教える側の能力のなさもかなり問題だと思います。
しかも、新司法試験、法務省の審議会などの答申を見る限り、合格率の問題をさておいても、試験内容自体が、現行の試験よりハードな気がします。
本当に受験生はかわいそうだと思いますが、受かって何をしたいのかという夢を忘れないで努力していただきたいと思います。

かすが(管理人) :

鈴木さま
 コメントありがとうございます&ご無沙汰しています。

>本当に資格試験にしたら、たぶん3000人も受からないと思うのです。
>現行制度の試験は、合格者が増えて、レベルが低下しているという実状はあります。

 この点については異論があって、もともと数を増やすといった時点で「平均的なレベルは落とす」というのが合意としてあったと思うのですね。
 で、情報化、マニュアル化で対応できる部分はカバーするとして、あとは個々のクライアントが判断するという形で、「市場に任せる」べきである、と。
 このことの可否については議論があるところでしょうし、私としても新自由主義の一形態であるという部分で、決して好意的にはなれないのですが、しかしここまで来てしまった以上、引き返せる者でもないだろう、という気がするわけです(少なくとも、工場労働者や小中学校の先生といった層が「流動化」を強いられているのに、大学教員や弁護士だけ安定を享受できるべきだという議論は世間一般の理解を得られないでしょう)。

 これは他の学位についても同様で、増やせばレベルは落ちるのは当たり前なので、競争を強化する、という理論で大学院を拡充してきたはずなんですね。
 ところが、日本の多くの分野で、「機会の拡充」で新規参入を誘っておいて、最後の最後で既得権益とか権威機構の開放には抵抗を示す、というケースが非常に多いように見受けられるのですね。
 今回の場合は省庁主導なのかもしれませんから、そのケースに当てはまるかどうかはわかりませんが、一般の大学院拡充(所謂重点化)の尻馬に乗って予算と院生の増加は嬉々として受け入れておきながら、任期制や法人化には抵抗を示す一般分野の大学教官なんてのはその典型例ではないか、と思うわけです。
 最初から反対してくれれば文句も言えないんですけどね。

 話を戻すと、この問題の妥協案としては、法定には立てないけど、事務はできるというような二級弁護士資格をつくることだと思います(海外でそういうところは多いですよね)。

>今まであまり機能していなかった大学の法学教育をほとんどかえずに、器だけ新しくしただけだから、そんな充実した教育ができるわけがありません。

 あまりたくさん事例を知らないのですが、全体に法科大学院にかかわっている人の「新しい事をやるぞ」という意気込みは相対的には強かったように思いますので、現場の責任は今回はやや薄いかな、と…。
 まぁ、民間からすると「アレでか!?」って所なのかもしれませんが…。

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このページは、かすががOctober 10, 2004 4:11 AMに書いたブログ記事です。

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