AAAS年会報告 その3(4日目。評議会々合など)

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・AAAS年会報告 その3(4日目。評議会々合)※この記事です。

Boston 2008

 ということで、4日目。
 いろいろあったのですが、眼目はAAASの評議会ミーティング。
 クローズドで行われる部分と、オープンで行われる部分があるようなので、オープンの時に行ってみました。
 オープンだからといって、単純に説明責任の体裁を整えるために行われているのでもなく、それなりに実質的な議論が行われていると言えそう。
 最初からいたわけではないので、すべての議題を見ているわけではないが、AAASのとしての事業報告の他に、ブッシュ政権と科学技術予算、科学と人権といった問題が扱われている。
 特に、人権についてはかなりの時間が割かれたという印象。

 AAASの正式名称が American Association for the Advancement of Science(全米科学振興協会)であるように、基本的にはアメリカの団体であるわけだが、近年国際化が進行しているという点も論点であった。
 もちろん、サイエンス誌はネイチャーとならんで、自然科学の分野のトップ・ジャーナルであり、国際的に読まれている。
 紙媒体ではなく、サイト・ライセンス化が推進されているが、これも国際化しつつあるらしい。
 また、事業としても、さまざまな試みが海外との間に行われている(クウェートとの「アラブの女性リーダー」に関する会議や中国政府との「科学倫理」に関する会合、イノベーション政策に関するヴェトナムとの会合、科学と社会に関する欧州委員会との会合、等)。

 評議員の質問では、今年は欧州委員会が巨大なブースを展開していたことに加え、北海道大学が出展するなど、国際的な出展も多いが、それに対して継続的な協力関係を築く試みは行われないのか、といった質問も行われた(ですよ、CoSTEPさん)。
 議論に際して、議長から、国際的な協力関係を維持する際に、カウンターパートが相手国の科学省になることも多く、独立の科学省を持たないアメリカにとって、良かれ悪しかれAAASが疑似省庁(Quasi-ministry)として機能しているという点に注意を払う必要があるという提起も行われた(要するに、AAASという科学者のNGOが政府機能を補完しているという認識なわけである。凄い自信だが、考えてみれば分野ごとの学協会などから選ばれている執行部ほど科学の問題に理解のある人々はいないだろうし、人権や国際交流の研究などにも会費や雑誌購読費などの資金から積極的に投資しているわけだから、国にとっても極めて経済的なわけである)。

 また、すでに述べたとおり、人権に関する議論にかなりの時間が割かれたのも特徴である。特に、人権の委員会が設置されており、4つの項目にわたって綿密な活動をしているという報告や、人権問題についてAAASのトップ・プライオリティとするという決議案が議論され、決議されている様子が興味深かった。活動分野には、科学者に対する国内外の人権侵害や、科学と人権の関係(生命科学とプライバシー、など)が議論されている。また、トップ・プライオリティを置くとする人権侵害については、人名がちゃんと聞き取れなかったので定かではないのだが、ロシアや中国などが例に挙げられており、たぶん方励之などのことが念頭にある模様。

 もちろん、AAASが人権活動に熱心なのは、学問の自由も人権のひとつだという認識が根底にあるのだろう。
 背景には、科学や真理はしばしば時の権力によって迫害され、隠蔽されるという、言うならば「ガリレオ・コンプレックス」が背景にある。
 科学史家の常識としては、ガリレオが、彼が真実を語ったが故に教皇庁に迫害されたというのは、ほとんど神話だといってよいのだが、にも関わらずガリレオの話が繰り返され続けることの背景には、現代社会でも(あるいは現代社会にこそ)こういった対立構造が生きているからだろう。
 富国強兵以来、科学研究が国家の庇護の下で行われてきた日本との大きな違いがここにある。
 アメリカ政界の保守派にはキリスト教原理主義各派の支持を受けている議員が多く、彼らは一般的に科学研究に批判的である(その主戦場が進化論と幹細胞、というわけである)。
 従って、AAASのような団体をつくって、きちんと「人権と科学」をアドボカシーしていかないと、科学研究の自由がどんどん失われていくのではないか、という恐怖感(ガリレオ・コンプレックス!)が共有されているわけである。
 そういう意味では、日本でも安倍政権がもうちょっと続いて、「インテリジェント・デザイン」とか言っている人たちの影響力が無視出来なくなってくれば、日本の科学者たちも少しは…(以下省略)。

 まぁ、そういう(宗教との対抗という)事情もあるのだろうが、「科学をアメリカの文化に」という意気込みを強く感じる。
 つまり、社会の様々なセクターの人の共通言語としての「科学」を確立するという目標が明確に意識されているということでもある。
 それがある程度は成功しているために、例えば孫が生まれると祖父母がナショナル・ジオグラフィック誌の購読権をプレゼントする、というようなことになるのだろう。
 日本の問題というのはここらあたりにもある気がしなくもない。
 もちろん、科学者が「素人が自分の研究のことなど理解出来るわけがない」と思うのは万国共通なのだが、日本ではそれに加えて、科学を同業者の団体に抱え込むという側面が強いと思う。

 例えば、ノンアカデミック・キャリアを選ぼうとした瞬間に、指導教官から「じゃあ博士号はいらないね」と言われたり、そこまで酷くなくても指導がいい加減になるというのはよく聞く話である。
 自分の分野を理解し、場合によっては博士号を持った議員、弁護士、ジャーナリストなどが活躍することが、自分の研究分野にとってどれだけエンパワーメントになるかを考えれば、そういう可能性を自分から封じてしまうのは愚の骨頂というべきだろう。
 このあたりに、「国家の庇護の元、国家に都合の良い研究」をする日本の研究者(研究費の枠組みはあらかじめ国家によって決められているし、科研費審査も基本的にピアによって行われるので、アドボカシー活動は必要ない)と、宗教右派との長い闘いの上に現在の「研究の自由」を勝ち取ったアメリカとの違いが見えると言えば、言い過ぎであろうか?

 逆に見れば、日本ではアドボカシーにいかに積極的になったとしても、せいぜい政府資金が数パーセント変動するだけだ、という事情もある。
 研究の財源として政府資金が大きく、ゲイツ財団のような人道団体がほとんど無い日本では、「科学者」という認証を得られた業界人(それは政府資金に特権的にアクセスできることを示す)の数は少ない方が有利であり、「科学」に参与するアクターの数を抑えようと言う力学が働きがちであると見ることはできよう。
 対して、非営利資金への依存度の高いアメリカの科学業界は常に科学を普及し、新たなタニマチを探す必要にかられている。
 例えば、フォード財団を抜いて一気に全米トップに躍り出たゲイツ財団はグローバルな問題に熱心であり、製薬研究などに積極的に資金を提供しているが、ビル・ゲイツ自身が「飢餓は食糧供給量の問題ではない」と語ったと報じられたことからも解るとおり、食糧増産を目指した遺伝子組換え研究には全体的に冷淡である。
 もし、遺伝子組換え研究者が、ゲイツ財団の支援を受けようとすれば、同財団のポリシーに合致する成果を提供出来るか、ポリシー変更により、より幅広い「人道的活動」が行えると言うことを証明しなければいけないわけである。

 あと、評議会を見た全体の感想として、評議員、特に執行部がAAASの活動の全体を極めてよく把握しており、議論に参加しているということである(まぁ、会長がインドとルワンダに視察に行って、大統領と意見交換をするぐらいちゃんとやっているわけだから、当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが…)。
 日本だと、会長職がお飾りだったり、質問のふりをして自説(にもならない思い出話)を延々と述べ立てる年寄りが一定数混じっていたりするものだが、そういうことは一切無かったように思う。
 ただ、学協会の長老が選ばれていることを考えれば、あと何年かはしょうがないのかも知れないが、評議員は白人だらけで、女性の比率も、人種構成よりはだいぶマシだが、会場の男女比を反映していない。

 まぁ、今回の感想としては、諸々の問題はあるにせよ、アメリカという国は非常に根本的な制度設計はきちんとしていて、それは、その部分にお金を惜しまないからなのだなぁ、という印象。

 以下、今回参加しての雑感(初アメリカの感想も含む)。


Boston Commons

・やはり進化論がらみの話が非常に多い。
・参加型の重要性は認識されているようだが、実はアメリカでは今ひとつらしく、議論される事例はだいたいヨーロッパで行われたものだったりする(最初の記事で触れたフェルミ研の例は例外的っぽい)。

・自然科学系の日本人研究者の方のコメント。「脳の話を中心に聞いて回っていたんですが、普通の学会と違って、すべての発表が実績のある先生によるもので、選ばなくて良いのが楽ですね」。確かに。

・「憂慮する科学者同盟」は遺伝子組換え植物の問題を論じているが、組換え品種単体の問題と言うよりは、生産・流通過程でのコンタミネーションを問題にしている側面が強い。まぁ、問題がおこるとすればそこだろう。

・最終日の午後は時間があったのでMITの本屋に行ってみたが、休日だったので本屋も閉まっていた。残念。
・AAASの総会として、なんで月曜日までという日程なのかと思ったが、要するに月曜日が休日だったからだったという。
・しょうがないので、街の本屋(ボーダーズやバーンズ&ノーブルなど)を回ったのだが、見事に社会科学や人文系の本がない。けっこうな面積のフロアの本屋に、カントすら一冊申しわけ程度に置いてあるだけだったりする。これはアマゾンが流行るわけだ。
・自然科学系の啓蒙書はそれなりにある。「自然科学がアメリカの文化」という側面はこういうところにも現れていると言えるか?
・日本では勿論、イギリスの同規模の本屋でそんなことはあり得ないので、やはりアメリカ人は社会科学的な話が嫌いなんだろう。ただし、心理学、宗教学、自己啓発といった本は山のようにある(哲学のコーナーを自己啓発系が浸食している)。
・逆に、食事はイギリスに比べれば悪くないので、どちらに住むかと言われれば、かなり究極の選択っぽい感じがする。アメリカの食い物は不味いと聞かされてきたので、わりと肩すかし(まぁ、細かいところを突っ込めばキリがないし、フランスやインドのような長い宮廷料理の伝統があるような国と比べれば勿論、分は悪いだろうが)。
・シーフードも割と美味しかったのだが、北大の面々には非常に評判が悪かった。…なんか、彼らは比較の対象がハイレベルすぎる気がする(笑。

・全体的に見て、「製品化の上手い日本・欧州と、基礎研究のアメリカ」という対比は共有されているらしい。80年代か!!
・エマージング・カントリーの中では、韓国の科学技術政策に対する評価が高いような気がする。

・論点の傾向が解れば、細かい情報はバカみたいに愚直にドキュメント化されている。ウェブ上でPDFで手に入るものもあるし、購入しなければ行けないものもあるが、必ずしも大金使って何度も行く必要はないかも知れない。

・ちなみに来年はシカゴ、再来年はサン・ディエゴ、その次はワシントン、まで日程が決まっているらしい。
・2月にやるんだから、もう少し暖かいところでできないのか!?(ということで、阪大ブースはサン・ディエゴから参加と言うことで…)
・ちなみに、総会はAAASの事業として、最大の赤字部門らしい。

Museum of Science, Bostonは金かけてるなぁ、という印象。人件費が大変そう。

【今回のまとめ】
・AAASは豊富な資金源(『サイエンス』誌からの収入、会費および様々なグラント)と人材を持っており、特にアメリカの科学技術政策については疑似省庁(Quasi-ministry)的な権力を維持するにいたっている。
・AAASは、科学者全体の人種構成が多様化している現在、客観的に見ればまだまだ白人エスタブリッシュメントの団体であるという非難は可能であろう。
・AAASは一方で、国内外の人権問題を筆頭に、アフリカ、環境と言った社会問題にも熱心に取り組んでいる。
・でも、アメリカだとそのへんをがんばることで資金に直結するという面もあるんだよね。
・日本では、科学者がやらないから人道主義的な資金源がないのか、人道主義的な資金源がないから科学者もやらないのか? ここにもニワトリとタマゴ問題が…。

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このページは、かすががFebruary 22, 2008 11:20 AMに書いたブログ記事です。

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